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わたしの終わり

わたしは永遠の探求者。
わたしが終わらない限り、探求はずっと続く。
すなわち、喜びと苦しみは交互にやってくる。
それは永遠に消えることがない。
なぜなら、わたしという存在は、二元の世界で生きているという幻想から、逃れることができないから。

このことが体感として、ストンと肚に落ちた。
それがわたしの終わり。

目醒めや輪廻転生や魂のこと、なぜ、人はこの世に生まれてきたのか?
私の使命は一体、何なのか?
幼い頃から、家族の影響で神様、仏様の観念を学び、観えない世界に興味があった私は、大人になってからも、数々のスピリチュアルの教えに、折々に触れてきた。
でも答えは一向にやってこない。

そこへ、
「スピリチュアルの教えと実践は、わたしがいなければ成り立たない。」というお知らせが届いた。
その時、私の中がハラハラと解けていった。

わたしがいる限り、ずっと答えを探し続けることになる。

たぶん、以前にも何度も聞いていたのかも知れない。
非二元論、いわゆるノンデュアリティという知識を得たのは、今から7、8年も前のことで、ここで語られていることはとても魅力的だったので、付かず離れず、ずっと惹かれ続けてきた。

そして、もう一撃、わたしを解体したメッセージがある。
それは、
「自分を観察することは永遠に分離を感じることであり、緊張している状態を作り続ける。」というお知らせ。

ここ数年、私は分離した自分の中を一つに統合しようと、統合ワークに明け暮れてきた。
それが確かに効果があるように感じていたのは、観察をすることがとても上手になり、以前よりはだいぶ楽になったような自分を感じていたから。
しかし、やはりエネルギーはどこか重たいまま。

分離を感じているわたしは、緊張状態を止めることができない。
そこにはエネルギーの収縮がずっと残ったままだから。


ノンデュアリティとはエネルギーそのものである。
何も変わらず、ただそこにあるもの。
それは全体の現れ。
わたしは最初から生まれていないし、死ぬこともない。
わたしはいない。

これは究極のお知らせだ。

わたしの終わりは、ノンデュアリティのエネルギーと融合した時に起こる。どうやら、わたしの終わりのタイミングがやってきたようだ。

あぁ、
わたしはとても軽くなった…
と感じているのは、わたし
軽くも重くもない世界で、真面目に軽さを味わおうとしているわたしの行為が、今はただ、可笑しくて、可笑しくて、笑いだけがこみ上げてくる。


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