「どうして誰も助けてくれないの?」私が誰かから助けを受けた時の状況と、助けてくれるレベルを☆印で具体的にご紹介
「私はこんなに困っているのに、なんで誰も助けてくれないの?」
Twitterやnoteを閲覧していると、このようなネタを多数見受けます。
実は私も、過去に色んな人に助けを求めては、頻繁にあしらわれていました。しかし、自分が何も言わなくても、不思議と手を差し伸べてくれる人が増える時もありまして。
一体、この違いは何なのでしょうか?
そこで本記事では、私の実体験に基づいて☆印評価で人が助けてくれる時とはどのような時なのかについて紹介します。
①SNSに「助けて欲しい」と書く
助けてもらえる度:☆☆☆
気持ちが伝わる度:☆☆☆
リスク度:☆☆☆☆☆
簡単なおかつ、ダイレクトにメッセージが伝わるのはSNSに「誰か助けて」「困っています」と伝える方法です。
ただしこの方法にはリスクがあり、伝わらなくてもいい人にも伝わり「それは甘えだ」、「あなたに問題があるのではないですか?」とクソリプで言い返される可能性があります。
とくにフォロワーが多いとよりリスクが高まりますが、キャッチーな内容ならフォロワー少なくてもぶっちゃけ変なコメントが来たり、クソリプされます。
それはSNSでの日頃の行いがいいとかそういう問題ではなく、全く関わりのない「お前誰?」みたいな人から来ます。多分、たまたまツイート内のワードの何かが刺さってしまったのでしょう。
SNSで助けを求める時は、クソリプも覚悟の上で行うくらいの方が良さそうです。
②ブログに書く
助けてもらえる度:☆
気持ちが伝わる度:☆☆☆☆
リスク度:☆☆☆
助けて欲しい気持ちをブログに書くというのも、ある意味ひとつの方法です。ただしこちらも、TwitterなどのSNSと同様に届かなくていい人にまで届きます。
ただし、Twitterよりも見る人が限られるので、リスクはやや抑えられます。そもそもブログは、ある程度名の知れた人の記事や、フォロワー数や読者が多い、もしくはよくやり取りするような人でもなければあえて読まれないものだと思っています。
そのため、Twitterやインスタよりは変なコメントもつかないかと。ただし、アメブロは畑が違うので別物だと捉えてください。
③信頼できる友人に話す
助けてもらえる度:☆☆☆☆
気持ちが伝わる度:☆☆☆
リスク度:☆☆
「信頼できる友人に相談するのが、最もいいはずに違いない!」と思う人が多いとは思うのですが、私は実は一番要注意なのではないかと睨んでいます。
そもそも少人数の友人のみに相談すると、偏った意見を言われることもあります。
また、その友人の個人的な思い(あなたにはこうなって欲しいなど)をぶつけられて、かえって面倒な時もあるんですよね。その人への想いが、変に強かったりして。
さらに、あなたがその人を信頼していても、本当はその友人があなたをよく思っていなかったなんてこともありますし。
そもそも近い人物ほど、敵に回ると怖いものはないと思うんですよ、私は。
相談する時は、あなたがその人を本当に信頼してるか否かよりも、その人自体があなたを本当に大切だと思っているのか、誠実なのかを見極めることが重要ではないかと。
少なくとも「あなたは大事な友人だから」など、やたらいい言葉を羅列してくる人ほどあなたに依存傾向があるので、私は要注意だと思っています。
④薄い繋がりの人に相談する
助けてもらえる度:☆☆☆
気持ちが伝わる度:☆☆
リスク度:☆☆☆
近年ではオンラインコミュニティなども増えてますし、ちょっと顔を合わせる人とか、なんとなく時々やり取りするくらいの関係が増えた人も多いのでは。
薄い繋がりの人に相談すると、客観的目線で的確なアドバイスをもらえることも多いです。その理由は、ある意味適度な関係だからこそなのかもしれません。
ただし口の軽い人物にあたると、話した情報がブワーッと広がります。
適当な話ならいいですが、大事な話の時は、口の軽い人かどうか見極めた方がいいでしょう。とくに普段から第三者の悪口を言う人には、要注意です。
その人があなたに悪口をいうのは、あなたがその人にとって特別だからではありません。むしろあなたも誰かのネタにされる恐れが高いです。ネタにされる前に、とりあえず逃げましょう。
また、適当な人に相談すると本当に適当な答えが返ってきて、かえってゲンナリする時も。薄い繋がりの人に相談する時は、期待しないぐらいがちょうどいいでしょう。
⑤筆者が実際に感じた、本当に誰かに助けてもらえる時とは?
さて、ここまで話してきたところで身も蓋もない話をしますが。私自身、誰かに本当の意味で助けてもらえた時ほど、第三者に助けを求めた時ではないです。
それはガムシャラに何か頑張ってて、とくに誰かに助けを求めていない時ばかりです。
しかし、内心では「どうしよう」「困った」とは思っていて。でも口に出してる暇がないというか、自分でも困ってるのか何なのかわからないくらいに一杯一杯の時ばかりだったと思います。
そんな時に「大丈夫?私でよかったら聞くよ」と優しい言葉をかけてもらえると、物凄く救われた気持ちになりました。ああ、ちゃんと自分のこと見てくれていたし、本当に自分を思ってくれているんだなぁと。
逆に、周りに「こんな大変な目にあってる!」「助けて!」「酷い目にあった!」と助けを求めまくってた時は、もちろん静かに話を聞いてくれる人もたくさんいましたが「あなたにも問題があるんじゃないの」と言われる時も多々ありました。
こういう時って、「相手の意見もあるよね?」「それ、あなたの目線の話ですよね」って思われやすく、おまけに下手に関わると面倒な物事に巻き込まれるのではと敬遠されやすい気がします。
またこういう時ほど、話怪しげな本を紹介される、マルチ商法や高価な化粧品勧められる機会が多かったです。
その時に思ったんですけど、もしかして人間とは奮闘している人を見ると、思わず手を差し伸べたくなるのではないかと。
だから、誰かに本当に助けてもらいたい時は自分自身が奮闘するしかないのかもしれません。その上で助けを求めると、本当に自分が求めている「助け」を受けられるのではないでしょうか。
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