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文章術以前に自分の感じ方や意見あり

私達は自分の言葉を磨こうとすると、文章テクニックに走ってしまいがちです。スピーチのスキルをあげようとすれば話し方教室に申し込みがちです。

しかしその順番は違うだろうと筆者は第1章で繰り返し繰り返し、手を変え品を変え読者に訴えてきます。

前回の私のnote「言葉のテクニックを学んでもむなしい 」でも、くどいほど著者はそのことを繰り返したことを取り上げました。繰り返し繰り返し、まずは「内なる言葉」を育てることが大事だと言っていました。
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「外に向かう言葉」を、文章術入門書や話し方教室に安易に頼ってはいけない、それでは人を感動させることはできない。このことは認めるとして、ではいったい、どうやったら「内なる言葉」を手に入れることができるのでしょうか。

内なる言葉とは自分の意見である

「言葉が意見を伝える道具であるならば、まず、意見を育てる必要がある」p26

著者はこれに気がついたときは「大きな発見」であり「救い」だったと述べています。

この前提に立つと、言葉を生み出すプロセスには、①意見を育てる、②意見を言葉に変換する、という二段階が存在していることに気づく。
この両者を比べてみると、後者の「意見を言葉に変換する」ほうがイメージしやすく、効果があるように感じられる。しかし、自分に意見ななければ、つまり、言葉にすべき思いがないならば、一体何を言葉にするというのだろうか。

私にとっても、これはもちろん「大きな発見」であり「救い」だっのですが、私はこの言葉が電通の現役コピーライターの人から出た言葉だということに驚きました。生意気な言い方をすれば、プロ中のプロの人でも、こんなピュアな考え方持っていらっしゃるのだなあ…。

それに引き換え私は…( U_U)シュン……。というわけ。

青臭く「自分の意見を持ちましょう!」これは、身も蓋もない言い方ですが、誰でも言えるのです。第一線で身を削りながら、コピーという一見華やかな世界で切った張ったで暮らしている方も、こんなにも真摯に言葉に向かい合っているのだなと感動しました。

あなたはいつ魂を誰かに売りましたか

「ここで思い出してみましょう!」のたーーーいむ!

ありがたいお話が続いたので、みこちゃん節で書きたくなった。
(^~^)

昔は自分の書きたいこと書こう!とブログ書き始めました。自分の趣味を、その醍醐味をみんなに何とか分かって欲しい。こう思って自己表現の場所をブログに求めました。

それが、いつの間にかグーグルで上位検索されるための、いわばGoogle検索エンジン受けする言葉を使い始めました。自分の内なる言葉よりもGoogleのアルゴリズムという外向きの言葉を優先させたのですね。

不幸にして自分のブログを自分で潰した経験がある人なら、この瞬間、つまり内なる言葉を引っ込めて外向きの言葉を優先させたときに自分の手塩にかけて育ててきた大切なブログは死んだのだ、ということにうなずくのではないでしょうか。いえ、実態はもっと悲惨だな…。

最近のブログっておもろくないよねという言葉

悲惨なという言葉を使った理由を申し上げましょう。

この大失敗は、後から気がつくんです。その瞬間に気がつけばまだいい。

「それでも自分の内なる言葉が大事だよな、検索エンジンに評価されなくても、伝えたい人に伝えたいことを伝えるという原点は忘れないようにしよう」

こう思えればいいのです。しかし多くの人は「外向きの言葉」を優先します。SEO対策を第一優先にして、検索上位に来るような文章を書き始めたあの日。だんだんと人の書くブログが面白くなくなってきました。

最初は、人のブログを見ているときにこのようにつぶやきます。

「最近のブログっておもんくねえよな」

そらそーです。あなたが必死になってチェックしているライバルのブログの視線は、読者であるあなたではなく、みーんな神であらせられるグーグル様向いているんだから。むかしは違ったはずです。もっと面白かった。

検索エンジンの上位に食い込んでいなくても、セレンディピティの恩寵で、何気なく見つけたあのブログ。
デザインは悪いし、なんか文章も下手。でも読んでいて楽しかった。だから昔はブログが面白かったんですよ。

ブログがつまらなくなったんじゃありません。

あなたがつまらないブログしか読まなくなったんです。検索順位を上げる、沢山集客して広告を掲載して小遣い稼ぎする。そのための敵情視察があなたのメインのブログ巡りになったのです。

そう、後から振り返ってこのことの重大さに気がつくんです。

自分は自分でない誰かに魂を売ったのだと。

こんなことありませんでしたか…

内なる言葉を引っ込めて、Googleという外向きの言葉に従ったあの日、人のブログはだんだんつまらなく見えました。

そして最後の日、もう自分のブログを潰してしまおうと思った決定的な日。あなたは気がついたのです。

一番面白くないブログはおれのブログじゃねーかよ

そりゃそうです。

書きたくもないものをGoogleの評価のために書き続けたら、面白くないブログになるでしょう。楽しくて人様のブログにお邪魔するのではなくて、まるで値踏みするようにそのサイトの、キーワードやら導線とやら、ランディングページやらのSEO的工夫を盗もうとする。

そしてブログを運営すること自体、しだいしだいに面白くなくなります。そして売れなくなった作家が忸怩たる思いで筆を折るように。無料ブログは潰します。

どっかで聞いたようなこと偉そうにしゃべってるな、あんた。

こうお叱りを受けそうですが、どっかで聞いた話ではありません。私が複数やってきたことです。忸怩たる思いもよく知っています。一時的にせよ、検索ページの1ページ目を飾った記事も何本も書きました。トップもあります。

でももうそれは、ほどほどでいいです。私はGoogleのアルゴリズムにとっては何の変哲もない記事、SEOは結果として付いてくるような、それでも(いや、ここはだからというべきか)人の心の内奥に達する文章の可能性を捨てられません。

ブログを潰したのは、あくまでも自分の未熟さが原因です。テクニックの未熟さではないですね。精神的な未熟さです。こんな私でも、ブログにはまだ完全に忘れるにはもったいない可能性がある。

ブログがつまらなくなったわけではない、自分がつまらなくしたと思っているからブログの可能性は静かに信じられます。まるで出戻りの不良娘のような気まずさとともに、少しだけ実家の暖かさを呼吸する心境でね…。

あの瞬間に気がつけばよかったのですが、後の祭りとはこのことです。失敗するまであの瞬間の間違いに気が付かなかった。

だから、noteは大事にしたいです。ちょっとスピリチュアルな発言ですが、noteとは、そして私の拙いnoteに「いいね」してくださるみなさんとは、私がそういう反省を終えた後、出会うべくしてご縁を頂いたと思っています。

おっと、自分語りが過ぎました。

というわけで、ここでいう「あなた」とは、今の私(みこちゃん)が過去の自分に言っている言葉です。誤解して気を悪くなさらないでくださいね!

話をもとに戻しましょう。

今回のまとめ

最後に著者の言葉を引用して、「内なる言葉」のさらなる考察は、次回に回そうと思います。

外に向かう言葉だけをどんなに鍛えたところで、言葉の巧みさを得ることはできるかもしれないが、言葉の重さや深さを得ることはできない。

言葉の重さや深さ…

まるで、忘れかけていた青春時代を思い出すような、わくわくする照れくささがありますね。
(*^^*)


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