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No.181 よろしく!小野先生(6)学習塾を始めるにあたって

No.181 よろしく!小野先生(6)学習塾を始めるにあたって

(時間軸としては、No.153 No.154 若き友よ!教え子愛ちゃん に先立つものです)

1998年に学習塾を40歳代半ばで始めた。酒屋稼業からの転身であった事は、以前のnote記事の中で度々触れてきている。当初、学研のフランチャイズに入ったのは、僕自身、福島県いわき市出身で子供もおらず、東京都の進学事情には疎かったのと、他にもいくつかの理由があった。

教育関連会社学習研究社のフランチャイズであるので基本テキストや決まりなどはあるものの、確固たるカリキュラムや指導方法があるとは言い難く、加盟している各教室がそれぞれに工夫をして頑張っている有り様だった。フランチャイズに加盟して間もなく、本部をあてにし過ぎてはならないことを悟った。別の観点から言えば、加盟店の縛りが弱く、教務面での自由度が高かった。

教務経験のないものでも、いやむしろ教育関係の経験のない人が多くフランチャイズに加盟している現実があった。「教育関係に無知でも我々本部が支えます。あなたでもできますよ」そこまで露骨には言ってなかったかもしれないが、フランチャイズ加盟の謳い文句の一つだったと言っても反論は出ないであろう。

僕自身も酒屋商売、教育関係とはまるで関係ない「素人」からの転身と言われても仕方がなかったが、大学を卒業して間もなくであり「学業」をずっと続けてきた事実はあった。また、酒屋時代に、ちょっとした縁から英語を個別で教える機会が何度かあって、かなりの結果を出していた。こんな経験も少しばかりの自信に繋がっていたのであろう。

酒屋商売を続けながら、独学で英語学習に取り組んできた話はnote記事「英語・挫折の歴史シリーズ」(No.016No.023No.029No.031No.036No.037No.042No.046No.050No.055)や「大学を目指す歩みシリーズ」(No.085No.090No.108No.109No.110No.123No.149No.151No.165)などでたっぷり書いてきた。大学入学後の話もまだまだこれから書いてゆく予定である。

今でも、人にものを教えて生計を立てることに若干の抵抗がある。「人にものを教える時に付き纏う奢り」を感じるのだ。この点については、この程度で筆を留めておくが、この気持ちを持つ理由を自分の中でもっと消化できた時に書き綴ってみよう。

大きな時の流れの中で、酒屋商売に見切りをつけた。次なる生計の糧を求めねばならず、連れ合いの由理くんとも随分と話し合った。「人の元で働いた経験」もなかったこと、自己物件で酒屋商売をしていた場所を改装すれば他の事業も可能であること、多少なりと興味があった「人にものを教える」のが僕に向いているとの指摘が由理くんからあり、そうかもしれないと思えたこと・・・。

時代に抗って生きてきた僕の実家の有り様と、由理くんのお父さん隆司さんの浮き沈みの大きい激しい人生は、僕と由理くんの中に「楽観」というか「達観」を植え付けていたようである。由理くんの言葉「まあ、何とかなるんとちゃう」の前に「前を向いて誠実に生きていけば」を付け加えて、霧の中に足を踏み出していった。

一応、英語を専門に学習に励んできたが、海外生活経験もない僕には英語専門の塾を開く自信もなかったし、向いているとも思えなかった。これらを考慮して最終的に残った選択肢が「学研のフランチャイズに入り、自宅で塾経営」をすることだった。

貯金の切り崩しと、板橋区の中小企業向けの融資を受けて、塾経営の資金を調えた。改装費などを抑えるために、中学校の「技術」以来の試みだったが、大工仕事に精を出した。本を読んで「DIYドゥーイトユアセルフ」である。電気ドリルやトリマー、壁紙貼りのローラーなど、プロ仕様の大工道具を準備して、壁紙を貼りかえ、床のマットを敷き詰め、机を作り、果ては看板まで手作りした。

今では考えられない程に、個人情報の入手がこの当時は容易だった。板橋区役所に行き、住民基本台帳の閲覧を申し込めば、コピーはできないが手書きで写すのは可能で、塾の生徒の対象である年齢の子を順番に探してはノートに書き込んでいき、学年別に色分けした。おそらくダイレクトメールの名簿作りの業者か、そのアルバイトの学生と思しき人で、区役所に準備してある机と椅子はいつも満席状態であった。

塾を中心に半径2kmほどの住宅地図の拡大コピーの中に、対象生徒のいる家を色分けしてある地図と、僕の走り書き文字が何とか読み取れる対象生徒名簿が手元に残る。学研の指導で作ったものだが、後に知り合うことになる同業の教室で僕のように作った方は皆無だった。

英語と社会と国語の教務については自信がある。教科で言えば理系、数学と理科については、中学までの知識しか持たず、多少の不安はあったが、分からなければ自学自習で身につければいいと腹を括り、1998年1月15日に学習塾を開校した。

・・・続く

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