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No.085 大学を目指す歩み(1)シスター村田 / ネリア様との出会い

No.085 大学を目指す歩み(1)シスター村田 / ネリア様との出会い

この記事の最初に「No.070 カルロス・クライバー・僕に届いた音楽の力」の最後の部分から抜粋する。

クライバーが左手側から早めの足取りで中央に向かう。拍手が会場内に響く。クラシックの演奏会には珍しく、声もかかる。タキシード姿のクライバーが客席に向かい、軽く微笑んだ。聴衆の興奮の拍手を無視するように、即座に体を反転させ、オーケストラに向き合う。聴衆が慌てて拍手を止める。さっとタクトが振られる。瞬時の事であった。会場にすーっと音が行き渡る。波が僕にも静かに到着する。右の頬に一筋の涙が流れた。今も不思議だ、降りてきた言の葉である。「何をやっているんだオレは」。

酒屋商売は順調であったし、嫌いでもなかった。映画・音楽・マジック・美術・グルメ・・・楽しく日々を送ってもいた。クライバーの音楽に生で触れ、何故か心の底から湧き上がる「何か」があった。人生をもっと一生懸命に生きてみても悪くないか、昔挫折した大学入学を目指すか。


1986年5月、カルロス・クライバーのコンサートの時に降りてきた言の葉を「神の啓示」と考えると、その啓示の実現まであと6年を要した。その数年の間にも様々な出会いがあり、様々な出来事があった。その第一歩と言って良い出会いを書き進めてみる。

コンサートの後、すぐに上智大学比較文化学部を具体的に目指したわけではない。ボンヤリとしたイメージしかなかった。入試科目の違いなども、すぐに調べはしなかった。上智大学の選択は、かなり後の事になる。

子供がいない自由さはあったが、結婚はしているし、酒屋商売はそれなりに安定した職業だった。実際、やめようと動いた時には「もったいない」と言われた。だが、迫りくる社会情勢の変化の波は感じていたし、このままではダメだろうとの思いはあった。地方から出現していた酒の安売りの動きや、酒類免許の簡素化への方向が出始めていたのが、具体例だ。結果的に、最高に近い形で職業の転身を図ったこととなる。

自分の英語能力のなさは、ずっと自覚していたし、今も能力は乏しい。それでも、英会話学校やテレビ・ラジオの番組視聴などでそれなりの実力はついたので、海外旅行や日常会話で困ることはなくなっていた。英語の本の乱読で、英文法や英語の感覚も身についてはきていた。「ネイティブスピーカーの英文法」や「なんで英語やるの」などが印象に残る。

一段上の能力をつけるために、プライベートレッスンを考えた。ただ、英会話学校での受講には魅力を感じなかった。日本人英語に慣れている教師や、こちらをお金の対象としてだけで捉えられるのも嫌だった。僕の希望するプライベート教師は、1)日本滞在が長くないこと2)一時的滞在で、英語を教えようとしていないこと3)男性で年齢が近いこと4)もちろん性格が良くちゃんとしていること、この条件を満たしていて欲しかった。

連れ合いの由理くんにこのことを話すと「そら、なかなか見つからんとちゃうかいな」だった。その後に言葉が続いた。「ネリア様に話してみよか。そや、ネリア様、今東京にいるそうや。わたしも会いにいかんと、と思ってた」それまで、何度も由理くんの話に登場していた「ネリア様」。お名前から、初めは外国の方かと思ったが日本人、ネリアはクリスチャン名だった。僕はそれまでお会いしたことがなかった。何者も恐れない自由奔放な由理くんが、唯一恐れる人が「ネリア様」こと、シスター村田、村田敏子さんだった。

ネリア様は、旧帝国陸軍幹部の裕福な家庭に生を受ける。感じるところあり20歳前に誓願してシスターとなる。バチカン市国などでの奉献生活を経て、日本へ帰国。神戸海星女子学院の設立に奔走し、二代目校長を務める。その後、福岡海星女子学院の設立の中心となり、中学高校を設立する。福岡では、土地の買収などで手腕を発揮、無の状態から認可の厳しい学校設立までを、ほとんど一人で成し遂げたと言っても過言ではない志の人である。

由理くんの父隆司さんはネリア様に会い、その人柄と生き方に感激する。その縁もあり、娘である由理くんは福岡海星女子学院第1回の入学生として、中学高校とネリア様の元で厳しく教育を受けることとなる。とにかく生活態度や勉学の姿勢に厳しかったそうである。由理くんが恐れる所以(ゆえん)である。その後、由理くんは上智大学史学部を推薦で入学する。そこでもネリア様にお世話になっているわけだ。

由理くんと結婚後、彼女の中学校の同窓生が14人、みな姉妹のようだったと聞いて驚いた。こちらは一学年250人が普通の感覚であった。自分の見識の狭さを思い知らされた。シスターはイエス・キリストに誓願した身であり、自分の所有物はない。修道会の決定に従い、世界中どこでも身一つで赴く。全て、由理くんと結婚してから得た知識である。

ネリア様が前年から、東京都新宿区中落合にある聖母病院にいらっしゃると連絡があった。家から車で30分もあれば着く。いい機会だ、会いに行こうとなった。当日の由理くんの様子は尋常ではなかった。

僕に、失礼のないように「きいつけてや!」と命令だ。挨拶はちゃんとせえ、こちらをまるで幼稚園児扱いだ。しんくん、この服派手すぎへんかな。はあ、大丈夫と思うけど。虎屋の最中(もなか)詰め合わせ、これなら一個一個の包装でええやろ。はい、配りやすいですね。しんくん、アレもう読んでおらんやん。聖母病院に入院している子供たちの役にたつやん。虎屋の最中の他に、僕の収集した「手塚治全集」も寄付として車に積んだ。段ボール3箱、売れば結構な値段付くよなあ。こちらは俗人もいいところである。俗人と半分聖人(僕の姉早苗は由理くんを「堕ちた天使・堕天使」と評した)が聖人のもとへと向かう。

聖母病院の階段上からネリア様がいらした。神に仕えた方の降臨だ。由理くんがスッと膝を曲げ両手の指をからめ、ネリア様に挨拶した。結婚して初めてみる動きだった。由理くんは洗礼を受けていないが、カトリックの教育を受けたのだなと実感した。考え方などにもカトリックの影響が無縁ではないだろうな、少しだけ、聖書でも読んでみようかなと思った。

ネリア様は想像していたより、遥かに穏やかな方であった。小柄な体に丸メガネ、にこやかに「お久しぶり、カネコさん」と由理くんを旧姓で呼んだお声は、ハイトーンで溌剌としていた。膝を落としたカネコさんに十字を切る。続けて、しっかりとこちらに体を向けた。「はじめまして、あなたが小野さん、しんやさんね」。僕もカネコさんと同じように、両手の指を合わせ膝を落とした方が良かったかな。カネコさんの表情に叱責の匂いはなかったので安心した。

溢れんばかりのオーラを感じた。神に仕える身のシスターに「俗な」表現は失礼だが、真実だから仕方がない。お優しい瞳の奥に潜む厳しさを感じたのは、由理くんの態度からの影響ではない。自然と、気持ちがキリッと引き締まった。「神の啓示」の第一歩には、ネリア様こと、シスター村田は最高のキャストだった。

・・・続く


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