小野信也

本名:小野信也です。1954年5月15日生まれ。福島県いわき市出身です。現在、東京都板橋区に住んでいます。個人で学習塾を経営しています。趣味:マジック、Bob Dylan、映画鑑賞、美術鑑賞、食べ歩き、旅、おしゃべり。好奇心旺盛ですね、と言われます。

小野信也

本名:小野信也です。1954年5月15日生まれ。福島県いわき市出身です。現在、東京都板橋区に住んでいます。個人で学習塾を経営しています。趣味:マジック、Bob Dylan、映画鑑賞、美術鑑賞、食べ歩き、旅、おしゃべり。好奇心旺盛ですね、と言われます。

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  • エッセイ、随筆、徒然なるままに、戯れごと

    エッセイと言うか、随筆、随想と言うか、徒然なるままに、戯れごとをしたためるのも、また楽しからずや。

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    ロック、クラシック、ジャズ、邦楽・・・ジャンルを問わずこれまで触れてきた音の世界の思い出を中心にまとめてみる

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    幼い頃より触れてきた映画の思い出。僕の人生観を作ってくれた映画。愛してやまない映画作品たち。若い頃に失望するも、月日を経て感動に至った作品。何度観ても涙する映画。館内が暗転する時の高揚感、映画館の思い出。思いつくままに書き連ねてみよう。

最近の記事

No.248 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(5)眼鏡を作り、食生活を激変させた結果

(No.247の続きです) 血液検査の5日後、宮本先生に呼び出され、ヘモグロビンA1c値「16・2」血糖値「856」を叩き出したことを告げられ「小野さん、このままだと死にますよ。死亡レベル、最低でも入院レベルです」と警告された。インシュリン投与を促されるも、その時に測った血糖値が「250」だったので、何とか注射を免れたものの、楽観的というか、達観しているというか、そんな自分ではあったが、流石に「チトまずいかな」との心境にはなった。 連れ合いの由理くんに先立たれ、子供もいな

    • No.247 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(4)かつての生活習慣

      (No.246の続きです) 勤務医として昼間に働き、夜には自宅で診療をする宮本内科医先生に出会って一週間後の月曜日21時、教室にいた大学受験生たちを残し、血液検査の結果を聞きに、ナビを入れてもなお迷いそうになる小道の突き当たり、この日も「宮本医院」の電飾看板が明々と灯っていた。 自動ドアのところで、帰り際の男性と出くわした。軽く挨拶を交わし、待合室に入ると、先日と同様患者の姿はなく、すぐに診察室に入った。 「こんばんは、小野さん」にこやかな笑顔と共に、宮本先生は声をかけて

      • No.246 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(3)宮本先生とのやり取り

        (No.245の続きです) 塾の仕事を早めに終えた月曜日の21時過ぎ、主要幹線中山道から脇道へと愛車プリウスを滑り込ませ、おそろしく入り組んだ小道の突き当たりに、外観の一部が半円柱の洒落た建物に着いた。車二台駐車できる程度のスペースの横、移動式の電飾看板の上に明るく「宮本医院」の文字が目に入ってきた。隣に、綺麗に刈り込まれた高さ3mほどの真っ直ぐな木が聳えている。 思ったよりもずっと綺麗な待合室に入ると、患者は誰もおらず、初診の手続きを終えると、すぐに名前を呼ばれ診察室へ

        • No.245 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(2)健康への過信と宮本先生との出会い

          (No.244の続きです。初めの部分は同じです) いつにも増して真剣な表情の宮本先生の前のスツール椅子に腰を下ろした。先生は開口一番「小野さん、このままだと死にますよ!まずいです」と、告げられた。後ろには誰がいるわけでもなかった。僕に向けられた言葉なのは明らかだった。 器具が示したデジタル数字は「血糖値250」かなりまずい値と言われたものの、宮本先生との約束値「300」を下回り、インシュリン投与は免れた。「250」の表示に、人格者の先生が患者を思い安堵したのか、準備したイ

        • No.248 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(5)眼鏡を作り、食生活を激変させた結果

        • No.247 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(4)かつての生活習慣

        • No.246 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(3)宮本先生とのやり取り

        • No.245 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(2)健康への過信と宮本先生との出会い

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          No.244 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(1)

          いつにも増して真剣な表情の宮本先生の前のスツール椅子に腰を下ろした。先生は開口一番「小野さん、このままだと死にますよ!まずいです」と、告げられた。後ろには誰がいるわけでもなかった。僕に向けられた言葉なのは明らかだった。 桜の開花時期がどんどんと早くなってきている。四月の初め、早くも淡いピンクの花びらの間に緑色の葉が広がりつつあった。そんな穏やかな春の日の昼間、食後でも無いのに、異常に喉が渇いてきた。かつて一度も経験したことの無い渇き、「カラカラ」との擬態語が降りてきた。

          No.244 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(1)

          No.243 戯ごと(6)「ちいかわお雛様」わが家の仲間たちに加わる

          家業の酒屋商売、30歳代後半からの大学生活を経て始めた学習塾経営も、いつの間にか25年の時を刻んでいます。数年前からこちらの卒業生のお子さんをお預かりするようになっています。そのうちの一人、お母さんになったミサコちゃん(かつては「ちゃん」をつけて呼んでいましたが、今は「ミサコお母さん」ですかね)の娘さんサユリちゃんは小学4年生から通ってきてもらい、もうすぐ中学校に入学します。 年甲斐もなく「可愛いもの好き」な僕と、ミサコお母さん・サユリちゃんの連絡手段であるラインで使う「ス

          No.243 戯ごと(6)「ちいかわお雛様」わが家の仲間たちに加わる

          No.242 Bob Dylan ボブ・ディランを追い続けて(3)デビューアルバム「ボブ・ディラン Bob Dylan」と出会って

          (No.240の続きです) ボブ・ディランの素顔を、いったい何歳くらいの人なのか確かめるべく「梶田レコード」の小さな店内の「ボブ・ディラン」のコーナーで、LPレコードを括り始めた。 LPレコードの左側には、タイトルや説明を兼ねたキャッチコピーなどが書かれた縦長の帯紙が掛けられていることが多かった。この当時の戦略だったのだろうか、ボブ・ディランのLPを初めCBSソニーのレコードには、上部に横長の帯封が付いているものも多く、文言が読みやすかった。 10枚近くあったLPレコー

          No.242 Bob Dylan ボブ・ディランを追い続けて(3)デビューアルバム「ボブ・ディラン Bob Dylan」と出会って

          No.241 戯れごと(6)「三種の神器」を中心に世の中の変わりようを語ってみよう

          第二次世界大戦後、1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争は、日本国内に「特需」をもたらし産業復興の端緒の一つとなったと言われています。朝鮮戦争停戦の翌年の1954年(昭和29年)に生を受けて、1974年(昭和49年)に成人するまでの20年間、電化製品の「三種の神器」を中心に、僕の多感な時期の社会情勢を振り返ってみるのも、今後のnote記事を書く自分の一助になりそうです。 加えて、物心つく頃には携帯電話やインターネットなどの情報機器の存在が当たり前の世代の方たちにも、当時

          No.241 戯れごと(6)「三種の神器」を中心に世の中の変わりようを語ってみよう

          No.240 Bob Dylan ボブ・ディランを追い続けて(2)初めて目にしたLPレコード「セルフポートレイト・自画像」

          (No.235の続きです) 1960年代、福島県いわき市の片隅で、小学校高学年の頃から、マジックや文学の世界に加え、周りの友人たちと同じように、音楽の世界にも足を踏み入れ始めていた。お年玉などや親からの小遣いを貯めて、一年に1枚か2枚のLPレコードやシングル盤などを買い、地元の高校を卒業するまでに、手元には数枚のレコードが宝物として残った。 映画好きなこともあって、初めて買ったLPレコードが「決定盤!マカロニウェスタンテーマのすべて」で、次に「世界映画音楽全集」を購入して

          No.240 Bob Dylan ボブ・ディランを追い続けて(2)初めて目にしたLPレコード「セルフポートレイト・自画像」

          Re-posting No.074 映画「世界の中心で愛をさけぶ」に少し関わり、長澤まさみちゃんにマジックを指導した話

          (以前の記事を大幅に書き直しました) 「しんやさ〜ん、元気〜?クニさんが話あるんだって〜」友人の一人さやかから電話が入ったのは、熱帯夜が続いていた8月初旬のことだった。長男ユーマくんを出産してからも、さやかは連れ合いの旦那さんを「クニさん」と呼んでいた。 僕は38歳の時に、仕事を続けながら上智大学比較文化学部に入学、さやかはその時に知り合った若き友人の一人だった。そして、大学卒業2年後に家業の酒屋商売にピリオドを打ち、ひょんなところから始めた学習塾が、4年目を迎えようとし

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          No.239 僕の本棚より(14)「遊びの博物誌」未知の世界の扉を開くふしぎの国の博物館!

          「遊びの博物誌」朝日新聞の日曜版に、1975年(昭和50年)12月から1977年(昭和52年)3月まで63回に渡り掲載されたシリーズである。連載終了の四ヶ月後「未知の世界の扉を開くふしぎの国の博物誌!」と銘打たれた青い帯紙が目を引くA5横長変形版の書籍としても発売された。 筆者の坂根巌夫(さかねいつお)氏の知性に溢れた筆は、世界の様々な遊びを紹介するにとどまらず、その背後に秘められた人間の想像力にまで思いを馳せ、芸術作品や心理学、物理学など話題は多岐に渡り、日曜の朝のぼんや

          No.239 僕の本棚より(14)「遊びの博物誌」未知の世界の扉を開くふしぎの国の博物館!

          Re-posting No.132 よろしく!小野先生(5)手作り教材の話・その1国語

          (以前書いた記事を少し書き直しています) noteのフォローのひとり「ひよこのるる」さんは、ドイツとフランスの詩を訳していると自己紹介しているが、英語やラテン語やロシア語他の言語の話まで幅広く、記事を読んではいつも「この人、勉強家だなあ〜」と俗な感想を持つ。 先日、ロシア語の単語アプリなるものを作られていて、これまた「ようやるな〜」と、富や名声を追わず(たぶん)に、好きな分野のことに邁進する姿に感銘を受けた。ロシア語ゆえ、それが実用的か優れているかは僕には即座には判断でき

          Re-posting No.132 よろしく!小野先生(5)手作り教材の話・その1国語

          No.238 ブルース・スプリングスティーン1985年初来日・伝説の熱きライブの渦の中で / 来日ライブコンサート備忘録 ロック、ポップス編(2)

          No.238 ブルース・スプリングスティーン1985年初来日・伝説の熱きライブの渦の中で / 来日ライブコンサート備忘録 ロック、ポップス編(2) (No.234の続きです) 05)ブルース・スプリングスティーン&E ストリートバンド Bruce Springsteen & E Street Band「Born in the U.S.A Tour」 1985年4月 東京5公演・京都・大阪2公演 4月13日 国立代々木競技場第一 A席4000円 3階B-L列9番 「The

          No.238 ブルース・スプリングスティーン1985年初来日・伝説の熱きライブの渦の中で / 来日ライブコンサート備忘録 ロック、ポップス編(2)

          Re-posting No.088 入試問題の著作権の話

          Re-posting No.088 入試問題の著作権の話 「入試問題に使われていたよ。知ってた?」 「えー、知らない!見たーい!」 かなり前、どこかの雑誌だったと思うのだが、詩人の谷川俊太郎さんが語っている記事を読んだ。曰く、入試問題や教材に、自分の作品があまりに多く許可も得ずに使われているのに怒りを感じる、と言うものだった。確かに入試問題の中に谷川さんの詩を見る事は珍しくなかった。 その記事を読んだ後、2007年、谷川さんの他に、作家のなだいなださん、松谷みよ子さんた

          Re-posting No.088 入試問題の著作権の話

          No.237 僕の本棚より(13)「ブールデルのレダ展」図録 / 詩情あふれるギリシャ神話の世界

          No.237 僕の本棚より(13)「ブールデルのレダ展」図録 / 詩情あふれるギリシャ神話の世界 (No.236の続きです) 1980年8月15日から9月15日までの一ヶ月間、東京池袋西武百貨店内にあった「西武美術館」で興味深い二つの展覧会が同時に開催された。一つは「ミケランジェロのヴァチカン壁画 」で、もう一つは「ブールデルのレダ展」と銘打たれたものだ。 40年以上も前のことなので、どのようなコンセプトでこの二つの展覧会が同時開催されたのか、会場がどのように分けられて

          No.237 僕の本棚より(13)「ブールデルのレダ展」図録 / 詩情あふれるギリシャ神話の世界

          No.236 僕の本棚より(12)「ミケランジェロのヴァチカン壁画 / 岡村 崔写真展」図録

          No.236 僕の本棚より(12)「ミケランジェロのヴァチカン壁画 / 岡村 崔写真展」図録 1980年8月15日から9月15日までの一ヶ月間、東京池袋西武百貨店内にあった「西武美術館」で興味深い二つの展覧会が同時に開催された。一つは「ミケランジェロのヴァチカン壁画 」で、もう一つは「ブールデルのレダ展」と銘打たれたものだ。ここでは「ミケランジェロのヴァチカン壁画」について記していく。 ルネサンス期の巨人ミケランジェロがローマ市内ヴァチカン市国システィーナ礼拝堂天井に描い

          No.236 僕の本棚より(12)「ミケランジェロのヴァチカン壁画 / 岡村 崔写真展」図録