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エッセイ、随筆、徒然なるままに、戯れごと

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エッセイと言うか、随筆、随想と言うか、徒然なるままに、戯れごとをしたためるのも、また楽しからずや。
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記事一覧

No.248 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(5)眼鏡を作り、…

(No.247の続きです) 血液検査の5日後、宮本先生に呼び出され、ヘモグロビンA1c値「16…

小野信也
4か月前
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No.247 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(4)かつての生活…

(No.246の続きです) 勤務医として昼間に働き、夜には自宅で診療をする宮本内科医先生に出会…

小野信也
4か月前
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No.246 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(3)宮本先生との…

(No.245の続きです) 塾の仕事を早めに終えた月曜日の21時過ぎ、主要幹線中山道から脇道へ…

小野信也
4か月前
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No.245 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(2)健康への過信…

(No.244の続きです。初めの部分は同じです) いつにも増して真剣な表情の宮本先生の前のスツ…

小野信也
4か月前
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No.244 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(1)

いつにも増して真剣な表情の宮本先生の前のスツール椅子に腰を下ろした。先生は開口一番「小野…

小野信也
4か月前
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No.243 戯ごと(6)「ちいかわお雛様」わが家の仲間たちに加わる

家業の酒屋商売、30歳代後半からの大学生活を経て始めた学習塾経営も、いつの間にか25年の時を…

小野信也
1年前
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No.241 戯れごと(6)「三種の神器」を中心に世の中の変わりようを語ってみよう

第二次世界大戦後、1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争は、日本国内に「特需」をもたらし産業復興の端緒の一つとなったと言われています。朝鮮戦争停戦の翌年の1954年(昭和29年)に生を受けて、1974年(昭和49年)に成人するまでの20年間、電化製品の「三種の神器」を中心に、僕の多感な時期の社会情勢を振り返ってみるのも、今後のnote記事を書く自分の一助になりそうです。 加えて、物心つく頃には携帯電話やインターネットなどの情報機器の存在が当たり前の世代の方たちにも、当時

No.239 僕の本棚より(14)「遊びの博物誌」未知の世界の扉を開くふしぎの国の博物館…

「遊びの博物誌」朝日新聞の日曜版に、1975年(昭和50年)12月から1977年(昭和52年)3月まで6…

小野信也
1年前
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Re-posting No.088 入試問題の著作権の話

Re-posting No.088 入試問題の著作権の話 「入試問題に使われていたよ。知ってた?」 「えー…

小野信也
1年前
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Re-posting No.053 若き友よ!(1)タカマサくん

Re-posting No.053 若き友よ!(1)タカマサくん 「オレ、ポテトチップスとか、えびせんあま…

小野信也
1年前
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No.229 戯れごと(5)美術展図録について、ちょっとだけ触れてみる

No.229 戯れごと(5)美術展図録について、ちょっとだけ触れてみる 1978年10月、池袋西武デ…

小野信也
1年前
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No.227 ふるさと情景雑記帳(2)実家にやって来た「コックリさん」

No.227 ふるさと情景雑記帳(2)実家にやって来た「コックリさん」 (2年前に書いた記事を大…

小野信也
1年前
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番外編・徒然なるままに・noteここまでの話

番外編・徒然なるままに・noteここまでの話 note用に記事を書き始めたのが、3月12日でした。…

小野信也
4年前
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番外編・徒然なるままに・noteこれからの記事

番外編・徒然なるままに・noteこれからの記事 友人大橋さんは、僕のnoteの記事について、毎日のように感想と有益なアドバイスをしてくれる。誤字などの校正までしてくれます。ありがとうございます。本当に感謝しています。 少し前の記事の中に「僕はひとり夜中の地元商店街を、自転車暴走族で走り過ぎるのだった」と書いた。この箇所を気にする人もいるのではないかとの指摘を、大橋さんからしてもらえた。確かに「法令遵守」とか「社会的ルール」と訳される「コンプライアンスcompliance」