その助産師さんのところには、出産時にお世話になるつもりで通っていましたが、(結果的に)出産2日前に断られ、頼れる人がいなくなり、自分達でやろうと旦那さんと自宅で出産した、という経緯があります。 その話はちょと置いておいて、またくわしく書くつもりなのですが、 その助産師さんから聞いた話です。 どうしても妊娠がしたいという女性から電話で相談を受けたので、「あなたは今どんな仕事をしているの?」と聞いたところ、 「税理士事務所で一日中パソコン業務をしている」 という返事だった。
最近、インスタグラムで見付けたとある妊婦さんをこっそり応援しています。 妊娠中のつわりのしんどさや、食べた物などアップされていて、 うわぁああああ、妊娠中のこと、懐かしいぃぃぃいい となり、思わずフォローしました。 そうそう、胃が痛かったよね、とかつわりしんどかったよなとか。 お腹が大きくなるとゆっくりしか動けなかったね。 寝返りも一苦労だったな、と当時を思い出しながら見ています。 あんなに辛かったのに、終わりが来ないんじゃないか?とすら思っていたのに、綺麗さっ
妊娠したかも知れない。 生理が遅れていて、胸が張って来た。 その時、まだ籍は入れていなかったけれど、旦那さんと妊娠検査キッドを薬局に買いに行った。 結果は陽性。 自分の人生にこんなことが起きるなんて?ってびっくりしたし、嬉しかった。 正直、妊娠を願っていなかった。というと語弊があるかも知れない。 「子供は絶対に産みたくない」とも、「産みたい」とも、そのどちらにも気持ちがなかった。 もう年だし、子供が欲しいとか欲しくないとか、自分が選べる年齢じゃなくなったと思って
そんな話、ある? なんで?? 少しびっくりする。 妊娠6か月になった時のことです。 整体をする仕事は全然できるのだけれど、予約管理ができなくなって、産休に入ることにしました。 妊娠中の整体は勘がさえわたっていてやりやすかったので、残念でした。 一日にその日の予約を何度も確認するのがしんどくなって、予約に穴を開けてしまわないか?という心配もしんどくなって、産休に入ることを決断する。 本当は臨月に入るまでやりたかった。 産休直前にいらしてくださった方が、娘さんの話
妊娠が分かるまで添加物を気にせず甘いお菓子も気にせず食べていました。 食べた物が赤ちゃんの栄養になる。 それまで食べていた添加物たっぷりのお菓子、甘い物をやめました。 醤油、塩、砂糖(甜菜糖)、油などの調味料は自然食品で売っている物をそれまで選んで買っていたので変えずに済みました。 洗剤は「えがおの力」という物を使っていました。 シャンプー等も自然食品で売られている物を長年使っていました。 コンビニやスーパーで売られている菓子パン、総菜パンをやめました。 すごく
45歳になって自然妊娠してまさかの自力出産を経験し、そこには野口整体の智慧があり、どんなお産をされる方も少しでも取り入れたら楽で安全できっと負担が少なくて、と考えて 伝えなくちゃ、と意気込んで意気込んで、 妊娠して出産するまでを時系列で書かなくちゃと思って、 でもできなくて、つくづく文章を書くって生ものよね、と思うのですが、 時系列じゃなくても、思い出しながら 思っていたこと、考えていたことを文章にできたらなと思いました。 ずっとほっておいてしまったnote。
私の仕事は、野口整体を源流とした整体を行う、整体指導者なのでありますが、 本格的に整体のお稽古に辿り着く前に、お遊びのような、なんちゃって整体「もどき」を教える修得講座に足繁く通っていました。 産前産後を得意としているらしいですが、今思うと素人が大した技術もなくやっていて、大して役にも立たないことをしていたと思います。受けられる方は、看板を出していても、流行っていても勘を働かせて、本物と偽物を嗅ぎ分けて欲しいものです。 それでも通っていた時は真剣でした。そこで聞いた沖縄
「産院はどこだった?」と聞かれ、 自宅で出産しました、と答えると皆に驚かれる。 へその緒の切り方は、ネットで調べました😃 野口整体の智慧をお借りし、身体への意識の向け方、対話の仕方、などなど今まで修得したことの集大成でした。 夫と二人で向かえた出産は、終始穏やかで、 夫が取り上げて、へその緒の処理をしてくれました。 めっちゃ安産で、陣痛と陣痛の間は寝たり、鼻歌をうたったり、自然と自動運動が出たりしてました。 産まれた時、最初に聞いたことは、 「蒙古斑ある?(性
息子ちゃんが、私たちを選んで来てくれてとても嬉しい。 生まれてから、夫婦で決めたことがある。ガチガチの決まりごとではないけれど、自然とそうしたくなった。 それは、「息子ちゃんが楽しくない、喜ばないことはしない」という ごく当たり前のこと。 まだ小さい息子ちゃんを預けて二人で遊びに行くとか。 息子ちゃんにとって、うるさいし眩しいであろうショッピングモールへ行くとか。 外食とか。 自分たちの行動に、付き合わせたくないな、自分たちは愉しくても、息子ちゃんが愉しくないこ
44歳で人生初めて妊娠して、45歳で出産しました。産科での初めての診察では、「高齢だから」を連発され、まだ若いと思っていたのに、ちょっと傷付いて、夫さんが「若いよ」と励ましてくれた。 今、無事に出産をして、毎日、息子ちゃんのことをかわいいなぁと思って、「かわいい」を連呼しておりますが、 今までの自分の人生の歩みを振り返って、20代だったら、30代だったら、同じようにかわいいと思えていただろうか??と思う。 「ねぇ、夫さん、もし夫さんが20代前半で、今の状況で子供がいたら
結婚前、妊娠前の食生活は、あまり褒められたものではなかった。お菓子大好き、アイス、毎日食べていました。スーパーへ行くと、カゴの半分はお菓子が入っていた。カップラーメンはあまり食べなかったけれど、お昼は良く袋ラーメンを作って食べていた。 ファーストフードは、もう何年も食べていない。ファミレスにも入っていない。 20代の頃、家の近くに自然食品屋さんがあった、ということもあり、有機や無農薬の野菜やお米を買って、無添加のおやつを買って、どっぷりハマっていた頃もあったのになぁ・・・
妊娠3か月に入るころ、ついに本格的につわりがやって来た。 つわりは、排毒で、お腹の子が過ごしやすいように、要らないものを排出しているのだと思っている。 つわりで、吐いて、吐いて、乗り切ると、身体が整う。 調整のために、つわりはある。 吐くことに抵抗は全く無かった。 20代から30代前半は、過食嘔吐だった。約10年くらい。その時は、それが異常なことだとは思わなかった。過食嘔吐をしなくて良くなってから、あれは異常なことだったと、気が付いた。 ちょっと話が反れる。 人
妊娠12週目 53㎏ 体重は増え過ぎたらいけない。プラス7㎏かせいぜい10㎏まで、と注意を受ける。今のところ、プラス・マイナス0。体重は増える気がしない。なんで皆そんなに増えないように苦労しているんだろう?と、この頃は思っていた。のちに苦労することになる。 産院でたくさん歩くようにアドバイスを貰った。2時間とか3時間とか。スクワットも、200回とか300回行う・・・らしい。 私はスクワットを何回か行ったら、筋肉痛になった。腰を落とす時に、左右同時に落とすことができず、微
無事初診を済ませ、妊娠していることがはっきりした。 「4人に1人は流産になる」という言葉が、「覚悟を」という言葉が、重くのしかかる。 せっかく来てくれたから、無事に産みたい。 お腹の子の寿命だったら、仕方がない。だけれど、私の不注意で悲しい結果になるのは避けたかった。責任重大。気を付けることはたくさんある。 お腹の中に、赤ちゃんがいる、というわくわくと、少しの不安をかかえて、朝を迎えた。 あ・・・・。 トイレに入ると、出血していた。ほんの少し。少しだけれど、不安に
玄牝ーげんぴん というドキュメンタリー映画を渋谷で観たのはいつだっただろうか。自然分娩の産院のドキュメンタリーを観て、自然なお産は美しいと思った。と、同時に、まき割りをしているお腹の大きな妊婦さんを見て、「お腹の子を意識して!一緒に動いて!じゃないと、お腹の子がびっくりして、お腹の中でしがみ付くようにしているよ」と思った。そう感じた。 小さい頃、友達のお母さんとウチのお母さんが話しているのを聞いて、どうやら赤ちゃんを産むときは、おまたを切るらしい、という情報を得た。将来大人
妊婦さんは、目を極力使わないでいることが安産の鍵になる、と教わった。例えば新聞は、大きな見出しなら見てもいい。それくらい目を使わないでいることが大事なんだそうだ。 朝起きるとまずテレビを付けて、仕事が終わればまたテレビを付けて夜更かし。そんな生活を送っていたので、テレビが見られないのは退屈だった。 本もテレビもダメ、パソコンもダメ、スマホもダメ。 となると、ラジオ。ラジオ生活始まる。ラジオはいつもすぐ隣でいろんな話をしてくれた。楽しい番組はあっという間に過ぎ、つまらない