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つわり

妊娠3か月に入るころ、ついに本格的につわりがやって来た。

つわりは、排毒で、お腹の子が過ごしやすいように、要らないものを排出しているのだと思っている。

つわりで、吐いて、吐いて、乗り切ると、身体が整う。

調整のために、つわりはある。

吐くことに抵抗は全く無かった。


20代から30代前半は、過食嘔吐だった。約10年くらい。その時は、それが異常なことだとは思わなかった。過食嘔吐をしなくて良くなってから、あれは異常なことだったと、気が付いた。

ちょっと話が反れる。

人生の先輩が、吉祥寺にあるカフェに行った帰り道、「リストカットと過食嘔吐って似てるね」って言った。その時は意味が分からなかった。友人は、私が過食嘔吐だとは知らずに言った、と思う。その後3年くらい経ってからようやく、

ああ、そうしないと生きていけない、という意味で似ているね、

って思った。

親から受けた傷と、受けたくても受けられなくて不足した愛情と、必死に戦っていた。自覚はなかったけれど、今になってそう思う。


過食嘔吐の時、そうだったように、つわりも、吐く、吐かないをある程度コントロールできた。ドラマみたいに、急に口元を押さえて駆け出す、ということは無かった。

吐きたいけれど、今は落ち着かない場所だから、吐ける場所を探そう、とか、そんな感じだった。家にいる時は、安心できた。いつでも吐ける状況にあり、好きな時に吐くことができる。

勢いよく吐く。嗚咽する。呼吸困難になりそうになりながら、必死に嗚咽の合間に息を吸った。そうして吐くと、すっきりした。


一日、用事が無い時はぐったりしていることが多かった。

歩くにも、夜だった。夜になって、ようやく動けるようになって歩きに行った。「起き上がるよ」「靴を履くよ」「どの道を通ろうか?」お腹の子に、いろんな話しかけをした。花が咲いていると、ピンクだね、黄色だね、と話し、この子は、一体どんな花を好きになるのかな?と想像した。

高齢ドライバーの事故が問題になっているけれど、夜に散歩に出ると、何度かヒヤリとした場面があった。

青信号で渡ろうとしたら、一台の車がスーっと近づいて来て、信号で止まる様子が無いな、と思ったら、案の定止まらずに行ってしまった。用心して、立ち止まっていたけれど、横断歩道を渡っていたら、ぶつかっていた。運転していたのは、高齢の男性で、前を見ていなかった。下を向いていたので、スマホか何かを見ていたのだと思う。

比較的明るい十字路で、青信号で渡ろうとしたら、向こうから軽トラがやってきて、右折してきた。目が合ったように思った。見えているはず、と思っていたのだけれど、見えていなかったみたい。横断歩道の手前で止まると思いきや、突っ込んで来た。慌てて足早に渡って振り向くと、ハッとして止まって、こちらに向かって会釈する、やはり高齢の方がいた。

見えていたのか、気付かなかったのか、分からない。けれど、危なかった。もう少しでぶつかるところだった。


つわりも歩いて調整する。しんどい時こそ、歩いて骨盤を調整すると良いと教わった。

散歩の最後、家に着く前、もしくは散歩の途中で、10歩ほど大股で歩くことを入れる。そうすると骨盤が整う。かかとから勢いよく足を落とさないように注意して、慎重に丁寧に、大股で歩いた。

少しくらい気持ちが悪くても、外に出て新鮮な空気を吸うと、気分も晴れた。最初は住宅街を選んで歩いてみたけれど、つまらなくてすぐに飽きてしまった。もう少し街中に出てみよう。住宅街の方が、車が来ないと思いきや、たまに来る車は、人が歩いていないだろう、と思っているのか危なかった。街中の明かりの中の方が、いくらか安全だった。昼間の人の気配があるのも、嬉しかった。

お腹が空っぽでも気持ちが悪くなる。食べても気持ちが悪くなる。だから、少し食べて、一気に食べないようにした。

夫さんが休みの日は、外食した。お気に入りの多国籍料理屋さんに良く連れて行って貰った。人と一緒だと、食が進んだ。


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