見出し画像

強さと弱さのはざまで

こんな時間にしたらばを頬張りながら、最近お気に入りの午後の紅茶おいしい無糖をがぶ飲みして尾崎豊の『卒業』を聞きながらエッセイを書いている、MIKA です。「したらば美味しい」がバズらないことが不思議で仕方ないMIKA です。

私はそもそもコーヒー派なのだが、何故か急にアイスティーの美味しさに目覚めた。いや、そもそも本当は紅茶が好きだったんじゃないか?それに気付かなくてコーヒー好きと思い込んでいただけなんじゃないか?いや、まてよ。そもそも私が飲んでいたのは紅茶だったのか!?と夜中にくだらない勘繰りが止まらない~!!!

♪誰か 勘繰り 止めて 勘繰り 
胸が胸が苦しくなる~♪

とC-C-Bの替え歌を歌ったところで誰も止めにこないので続けますね。
コーヒーと紅茶くらいならいいのだけど、そもそも私はとんでもない思い込みをしていたことに気が付いた。

それは私はメンタルが強いと思い込んでいた事だ

今まで大病も乗り越え、子供の頃の願いも叶え、メンタル最強だと思い込んでいた…でも、6年くらい前から私の人生は音を立てて崩れ始めた。いや、生まれた時から崩れていたわ、失礼。まあ、とにかく自分の弱さをこれでもかと見せつけられたんだ。暗黒時代とはこの事だ。

6年くらい前、クリエイティブスクールも卒業し、短編映画を自主制作すべく奮闘していた。ロケハンしてロケ地も決まり、オファーしたい女優さんと芸人のマネージャーと会う約束までしていた。
ここからが凄い。ロケ地から断りの連絡が入り、一緒にサポートしてくれた放送作家さんも忙しく手伝えなくなり、マネージャーからはクラファンNGだされ、『八方塞がり』を絵に描いたような状況になった。
私はこれまで努力してある程度の願いは叶えてきたので、もうパニック。
なんで?なんで?なんで?と言ってる間に脳出血となり左半身が麻痺して、ただでさえ歩けないのに体がより不自由に。
なんかね、もう生きてなくていいかな~って。これ以上生きても幸せとか私にはないかなってモードにギア全開で突入しそっからは真っ逆さま、暗闇にどーんと落っこちましたわ。

あれ??私ってこんな弱かったっけ??

メンタル最強どこいった?いつから弱くなった??とハテナがいっぱい。突然ですが私はいつから弱くなったのか時代ごとに振り返ってみましょう!

子供時代→弱-200

生まれながらに骨の弱い病気で、どれくらい弱いかと言うとくしゃみをしたら力を入れたところがボキッと折れる程で、よりによって私は痛みに対する耐性がこれっぽっちもない。
ということで、子供時代の私は痛みと号泣の日々。そこに闘う力などまるでなかった。

学生時代→強+100
悪性リンパ腫のステージ3~4になり闘病。元気な人の姿を見るのが耐えられず友達の面会は全て断った。(弱-100)
持病がありできる治療が限られた。病気を自分でも調べて医者と治療方針を相談しながらの闘病。この時初めて病気は治してもらうものじゃなく、自分でも治していく姿勢が大事なんだと学んだ(強+200)

社会人時代→強+50000
社会のお荷物扱いされ、自分の市場価値を上げるべく奮闘。転職を繰り返すことで初任給の約三倍の年収まで上げ、外国の人と働きたいと思ってた願いが叶う。(強+20000)
チャレンジ精神が生まれ、子供の頃、漠然と夢見ていたアメリカで色んな人種の人と話してみたいという願いを叶えるべくアメリカでホームステイしボランティア活動を実現。(強+30000)

そして、上記に述べた暗黒時代(弱-100000)の到来だ。こうして私は弱さと強さの間で振り子のように揺れながら生きてきたらしい。ああ、強いままでいることの難しさよ!
ただ1つ言いたいのは強いのがいいこととかそういう事じゃないんだ。そうじゃないけど、弱い自分は自分を不幸にすることは私が経験してきて言えることなのかもしれない。
私はこの6年間ずっと自分の弱さに負けっぱなしだった。いいんだよ、それでも。
なぜかって?

闘い続けたから。


負けっぱなしだっていいさ。強いままでいることが美徳じゃないんだ。

でもね、

自分の弱さと闘うことを諦めたらダメ。
闘うことを諦めたら、生きることがしんどくなるから。負け続けても勝つ日は必ず来るから。

皆さんはどうだろうか?
強いだけの人間や弱いだけの人間なんているのだろうか?



誰しもが強さと弱さのはざまで揺れ動きながら生きているのではないだろうか?

そして、今度また自分の弱さに遭遇したら「よ!久しぶり。元気してた?また会っちゃったな」と気軽に挨拶でも交わしてやろうじゃないか。

そんな私は今もなお、強さと弱さのはざまを揺れ動きながら、エッセイを書き続けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?