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「自分を守る武器を授けたい」声で未来を変える“ライフボイストレーナー”を始めた訳~川島史奈さんインタビュー~

川島史奈(かわしま ふみな)
ライフボイストレーナー。幼少期に声を褒められたことからアナウンサーを目指す。東日本大震災を経験し、福島の現状を知って人の心に寄り添った現場の報道をしたいと福島大学へ入学。新卒で入社した大手飲食チェーンでは店舗の顧客満足度上位、エリア内売上トップの獲得に貢献。一方、接客現場でスタッフの声が出ていないことに課題意識を感じ、声をサポートする仕事を志して退職。2022年よりボイストレーナーとして活動しており、現在は“対話と人の可能性を広げる場”を作るべく、全国の自然あふれる場所で幅広い世代に向けたボイストレーニングのセッションを行う。


伝えることを志し、伝えることを諦めた学生時代

――川島さんは現在ボイストレーナーをされていますが、もともとはアナウンサーを目指していたんですよね。

はい。幼少期に声をほめられたことと、中学校時代に被災した東日本大震災の経験が影響しています。当時は栃木県に住んでいたのですが、ニュースを見る中で疑問に感じたのが、福島県の原発のニュースでなぜか東京への放射線量だけが報道されていたことです。福島県内の状況はどうなっていて、福島県で暮らす人たちの様子やその人たちがどう思っているのかが全く伝わってこなかった。そこから「福島の現状を知り、人に寄り添った報道をしたい」「声なき人の声を拾い、自分の声を使って力になりたい」という思いが強くなりました。

それから同じく中学校時代に、大切な後輩を不意に失ってしまう経験をしました。彼女のお母さんはシングルマザーで、社会的にも経済的にも弱い立場にありました。周囲に助けを求めることもできず、将来に希望を持つこともできない。そんな中で親子関係に不和が生じた末の出来事でした。私は彼女の置かれた辛い状況を知っていたけれど何もしてあげられず、助けてあげられなかったことの後悔がその後もずっと残りました。

だから彼女の身に起こった出来事を多くの人に知ってほしいと思っていたし、彼女と同じように社会的・経済的に弱い立場にいる女性を救いたかった。そこから「自分の取り柄である声を活かして、社会問題として適切なケアにつなげる=アナウンサー」という考えでアナウンサーを目指していました。

――中学校時代の経験が大きく影響しているのですね。

ですが、いざアナウンサーを目指して大学に入学してみると大きな壁にぶつかりました。在学中は私自身もボランティアの方と一緒に何度か原発の建屋内に足を運び、震災後の状況や原発に関わる人々の様子を発信する活動に携わってきました。

それなのに、本当に伝えたいことはどうしても編集されてしまうのです。新聞やニュースの取材もいくつか受けましたが、事実が意図しない形で報道されてしまいました。そのとき「事実をありのままに伝えること」に挫折し、アナウンサーになることを諦めました。

「みんな声が全然出ていない」配属先で受けた衝撃

――アナウンサーから方向転換をして、どのように過ごされたのでしょうか?

就活にかなり苦戦して、人事の人とたまたま息が合ったのが飲食チェーン店を運営する会社でした。どうにかその会社に入社し、社員として店舗に配属されたのですが、配属先の店舗でまず驚いたのが「みんな全然声が出ていない」ということ。アルバイトのスタッフさんは女子高生や女子大生、主婦の方など女性が大半でしたが、全然声が出ていないんです。

――「声が出ていない」というのは具体的にどういうことでしょうか?

接客に必要な最低限の声が出ていないという状況ですね。スタッフさんの中には接客が好きな方だけでなく、コミュニケーションが苦手だけど克服したい、自信がないけれどがんばりたいから飲食店に入ったという人もいます。だけど自分に自信がないから声を出すことができず、相手の目を見て話すことすらできない。その事実に衝撃を受けました。

従業員の声が出ているかどうかは、売上はもちろん、従業員同士の士気やオペレーションにも大きく影響します。これはどうにかしなければと思い、はじめは声の出し方などテクニックの部分で指導をしていたのですが、なかなか変わらなかったんです。なので私は“空間”に注目して、声の出しやすい空間づくりに努めました。

――“声の出しやすい空間”ですか。

たとえば、同じ場所にいても周りが全員友達なのと、知らない人に囲まれているのとでは声の出しやすさは全然違いますよね。
だからまずはスタッフさんと仲良くなって安心してもらえる関係性を築き、私が一番に声を出して良い雰囲気を作る。続いて誰かが声を出したらみんなでほめる、ということを徹底して行ったところ、お店の雰囲気は断然よくなりました。売上は3カ月連続でエリア内トップになり、顧客満足度上位にランクイン。テクニックだけに頼らない声の出し方の重要性と、声の出し方ひとつで空間が変わるのを実感したのはこのときのことです。

――たしかに店員さんの声がよく出ているとお店とそうでないお店は、店内の空気感が全然違いますよね。

ただ、雰囲気がよくなったとはいえ、そもそも声を出せない人がいることに対する課題意識は引き続き持ち続けていました。私が救いたいと思っていた「社会的・経済的に弱い立場にいる女性」「自分に自信がなくて大きな声を出せない人」にその職場でもたくさん出会い、そんな人たちの力になりたいという想いはより強くなりました。

「声で空間や周りの人を変えることができる」という“声の可能性”に気づいてからは、ボイストレーナーを目指して飲食店を退社。ご縁があって出会った師匠の元で学びと実践を繰り返しながら、それ以外にもコーチングを学んだり、学生向けキャリアスクールのサポートをしたりして過ごしました。
2022年からボイストレーナーとしての活動を始め、2023年の夏には「100本ノック」と題してトータル100人以上の方にセッションをさせてもらいました。

「声と話し方で未来は変わる」自分の使命が明確になったインドでの夜

――2023年だけでも100回以上のセッションをされたということですが、学びや実践を重ねる中で印象的だったできごとはありますか?

私はこれまで学んできたコーチングの要素も活かしてセッションを行っているので、一度のセッションで声だけでなく精神面まで変化が起こる人もいます。セッションを受けてくれた人の人生が変わっているのを感じたり、悩んでいたことが改善されたと言ってもらえたりすると「誰かの力になれるんだな」とうれしくなりますね。

声の出し方には、身体の使い方や呼吸の仕方などが大きく関わってきます。以前セッションをしたフリーランスの女性からは、取引先の社長にどうしても言わなければならないことがあるけれど自信がなくてなかなか言いづらいという相談を受けました。その方に姿勢や声の出し方など2時間かけてみっちりレクチャーしたところ、自信がついたようですっかり元気になって帰っていきました。後日その女性から「社長に言いたいことを言えた」と連絡が来て、心の底からよかったなと思いました。

それから「私が声によって伝えたいことはこれだ」と明確になったのが、今年の1月、ヴィパッサナー瞑想というものに参加するためにインドに行ったときのことです。ヴィパッサナー瞑想はインドにおける最も古い瞑想法の一つで、10日間誰とも目を合わさず、話しても触れ合ってもいけない、ひたすら瞑想をして徹底的に自己の内面と向き合うプログラムです。

――ヴィパッサナー瞑想は日本でもできるそうですが、なぜわざわざインドまで行かれたんでしょうか?

あえてインドに行ったのは逃げ出せない環境を作るためです。私の良くない癖として、不安になると周りの人に答えや判断を委ねたくなってしまうし、自信がなくなると何かと理由をつけて逃げ出してしまうことがあるんですね。ボイストレーナーになると決めてからも自信を持てずに何度も逃げ出しそうになったけれど、そんな弱い自分と向き合って、やっぱりやるんだという覚悟を決めたかった。そんなわけで半月ほどインドに行ってきました。

その中でも特に印象に残っているのは最終日の夜のことです。10日間のプログラムを終え、最終日の夜だけは人と話すことができるので、同じ瞑想に参加していたインド人の女の子と、ドイツ人の女の子と会話をしていました。そこでインド人の子がドイツ人の子に向かって「ドイツの人はヒトラーのことをどう思ってるの?」と唐突に質問したのです。そこから、それぞれが自分の国の歴史について話す流れになりました。

――けっこう際どい話題ですね。

私は「そんなこと聞いて平気なの?」と正直ヒヤヒヤしていたのですが、ドイツ人の子はしんどい想いもさらけ出しながら、ヒトラーのことや自分の両親、先祖の世代がどういう考えを持っているか語り始めました。

ヒトラーが本当はドイツではなく隣国のオーストリア出身であることや、それがあまり知られていないこと、アメリカで働いている彼女の友人が、ドイツ人というだけで職場で理不尽な扱いを受けていること。彼女は、終戦から80年経った今でも国内外で戦争が名残をとどめ、「ドイツ=ヒトラー」と連想されてしまうことに複雑な想いを抱えながら、しっかりと自分の言葉で自国の歴史やそれに対する考えを語っていました。

――突然聞かれたのに、そこまで自分ごととして語れるのはすごいです。

そうなんです。そしてドイツ人の子が話し終わると、今度は私にも「日本はアメリカに原爆を落とされたけど、アメリカ人のことはどう思っているの?」と聞かれました。私は自分の考えをうまく言葉にできず、アメリカとの関係性や自分がどういう風に歴史を捉えているか、これから日本をどうしていきたいかなどをほとんど話すことができませんでした。きっとそのことについて明確な考えを持っていなかったからだと思います。

同時に、ある危機感を覚えました。ドイツ人の子がそうだったように、私は今この場で彼女たちから「日本国民の代表」として見られている。けれど、自国について語ることができなかった。このような状況が積み重なっていくと「日本人は発言できない」と思われ、日本はいつか潰れてしまうのではないかと。

――国際社会でも日本の地位が下がっていることが叫ばれていますが、政治家だけの問題とは思えなくなってきますね。

政治の場面に限った話ではなく、このような身近な場面から日本人の地位の低下は始まるんじゃないか。仮に国政を担う立場の人だったら、自分の発言で何千人もの人生やその人たちの子孫、ひいては国の将来を変えることになる。そう思ったときに、たった一人の話し方や言葉でさえ、国の未来を変えうるのだと気づいてぞっとしました。逆にいえば、言葉を正しく発することは、日本を守ること、次世代を守っていくことにつながるのです。

身近な例で言えば、資料作りが上手な後輩に「スライドの作り方上手だね!センスあるよ」と私が伝えたら、その後輩はそれをきっかけにデザインの勉強を始めていました。自分の一言で誰かの人生が変わり、その周りにいる人の人生、それが積み重なって社会まで変わることがあります。

私がセッションを通して伝えたかったのは、単なるテクニックとしてのボイストレーニングでなく、適切な声と話し方で、一人一人が未来や社会を変えられるということだと気付いたんです。

声とはお守りであり武器である

――接客現場やセッション、インドでの体験など、これまでに色々な経験をされてきたと思いますが、川島さんがこれからやりたいことを教えてください。

土台となるのは「声を通してその人の人生をサポートする」ということです。その中でも2つのパターンがあります。

一つは、自分の声や話すことに自信を持てない人に声の出し方を教えていくこと。面接や就活で話すのに自信がないという人はもちろん、自分の本音を打ち明けたいときなど、大事な場面での声の出し方や話し方などをレクチャーするセッションを行っていきたいと考えています。いわば「お守り」を授けるようなイメージです。

もう一つは、ある程度キャリアを重ねている人がさらにステップアップできるよう、声の面からサポートをすること。演説や大勢の人の前でのスピーチなど、「ここぞ」という場面で周りの人を動かせるような、効果的な声の出し方を身に付けてもらうことが目標です。これは先ほどの「お守り」と対をなす「武器」にあたるものです。
大げさではなく、一人一人が声の出し方を変えることで、国を守り、さらには国を飛躍させていくことに繋がると信じています。

――最後に、川島さんにとって声とはどんなものでしょうか?

声とは、自分の身を守るお守りのようなものであり、未来を切り拓いていく武器でもある。困ったときでもSOSの出し方を身に付けていれば、自分の身を守ることができます。最後に自分を守れるのは自分自身であり、自分の声なんです。

人間は、本当につらいときに声をあげるのってすごく勇気がいるものだと思うんです。亡くなってしまった後輩も、もしSOSを発することができていれば、そのための声を出す方法を知っていれば、今も元気に暮らしていたかもしれない。今思えば、そんなところから私のボイストレーナーとしての夢はスタートしたのだと思います。

私のライフボイストレーナーとしての役割は、お守りにも武器にもなり得るものとしての声を授けることだと思っています。つらいときやここぞというとき、私のセッションで伝えた内容が頭の片隅にあって、あなたを守り、人生の道を切り拓いていくものになってくれたらうれしいです。

――今日はお話を聞かせていただきありがとうございました。

川島史奈さんのセッションはこちらよりどうぞ↓


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