明日なんて来なければいいと思っているあなたへ
10歳くらいまで、声を出して話すことが苦手だった。
頭の中には、伝えたいことがたくさん渦を巻いている。
でも、それらの「こと」を「音」に変換する術がわからない。
緊張した状態で無理に言葉を絞り出そうとすると、喉がぎゅっと締まって、息ができなくなる。
顔を真っ赤にして魚みたいに口をぱくぱくさせる私を、先生は困った顔で見守り、クラスの子どもたちはくすくす笑った。
朝の健康観察で返事をするのも、国語の教科書を順番に読むのも、日直の号令をかけるのも、みんなが当たり前のようにできることが、私にはできない。
みじめで、悲しかった。
毎朝、学校へ行くのがとてもつらかった。
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周りの子たちとうまく話せないので、休み時間は図書室で本を読んで過ごすようになった。
本は、やさしい。
私が声を出せなくとも、そんなことにはかまわず、たくさんの「おはなし」を聞かせてくれる。
生きている人間と会話する代わりに本と会話をして、私は彼らと友達になった。
だから本は、私にとって人生最初の親友だった。
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毎日、たくさんの本を読んでいるうちに、気がついたことがある。
本は、ページの上に書かれたたくさんの言葉で、私に話しかけてくれる。
でも、私には、自分の気持ちを、親友である本に伝える術がない。
本から教えてもらった面白いお話や素敵な言葉が、自分の中にどんどん増えていくのに、私はそれを、誰にも伝えることができないのだ。
人は誰かに自分の想いを伝えたい、わかってほしい生き物なのだと、子どもながらに思い知った。
私は、とても孤独だった。
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読まれるあてのない文章を書きはじめたのは、頭のてっぺんからつま先までみっしりと詰まった言葉の海に、内側から溺れそうになったからだ。
誰かに、切実に、自分の気持ちを伝えたかった。
声が出ないから、私はふつうの人間にはなれない。
それならば「本」になろうと、一時期真剣に考えていた。
私自身が本になれば、いつか、誰かがページをめくって、私の言葉を受けとってくれるかもしれない。
たとえば私が、図書室で1冊の本と出会ったように。
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瓶に詰めて海に流す手紙のような、誰に宛てたものかもわからない文章をたくさん書いているうちに、「読んでもいい?」と言ってくれる人があらわれた。
びっくりして、おそるおそる差し出すと、「面白かったよ。こんなこと、考えていたんだね」と感想を言ってくれる人もいた。
ーー私の気持ちが、伝わった。
体がふるえるほど、うれしかった。
声が出せなくても、文章を書くことができれば、ほかの人とつながれる。
この世界に自分が存在していいのだというゆるしを、ようやく得たような思いだった。
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文章を書くことで世界とつながれるようになった私は、飛べない鳥が羽ばたきの訓練をするように、少しずつ声を出して話す練習を始めた。
伝わらない絶望感や、笑われた悲しみを思い出して苦しくなることもあったけれど、いざとなったら書けばいいと思うと勇気が出た。
辛抱づよく耳を傾けてくれる人たちとの出会いもあり、本気で伝えたい想いがあれば、きっとそれを受け取ってくれる人がいるのだと、少しずつ世界を信頼できるようになった。
気づいたら、いつの間にか、声を出して人と話すことに不自由を感じなくなっていた。
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私にとって、書くことは生きること、世界の中で自分を生かすための、1すじの細い糸だ。
それを手繰り、綱渡りみたいにして何とか生き延びたおかげで、たくさんの美しい景色にも出会えた。
声を使って話せるようになっても、私のコミュニケーションが書き言葉から始まったことに変わりはない。書きながら考え、書いてから話す。今でも話すより書くほうが早いし、うんと深くまで潜ることができる。
ずっと文章について考えているうちに、縁あって文章を書く仕事ができるようになった。いろいろな選択肢の中から書くことを選んだというより、ほかにできることがなかったというほうが近い。
自分の書いた一行の文章が、世界のどこかで待っていてくれる人のもとに届いたら本当にうれしいけれど、それはたぶん、海に流す瓶詰めの手紙を誰かが受け取ってくれる確率と同様、偶然の結果にすぎない。
世界から隔絶された夜の昏さを知っているから、自分の書いた文章が誰かの希望になれば…なんて、安易には言えない。
それでも私は、図書室の隅で、膝を抱えて明日なんて来なければいいと思っているあの子に向けて、手紙を書かずにはいられない。
今もこんなふうに、そしてたぶんこれからもずっと、海に瓶を流し続けていく。
*
お元気ですか?
私は元気です。
こちらでは紫陽花が咲きました。
あなたのほうでは、どうですか?
あなたの話が、聞きたいです。
今、どんな気持ちでいるのか。
何を見て、きれいだと思うのか。
話し方なんか、下手でもいい。
何時間でも待つし、私がちゃんと受け取るから。
もし声を出したくなかったら、筆談でも、ジェスチャーでもいい。
あなたの、言葉を、どうか聞かせて。
読んでいただきありがとうございます! ほっとひと息つけるお茶のような文章を目指しています。 よかったら、またお越しくださいね。