発達障がいについて、私が想うこと。

隅っこで一人で小説を書くのが好きな子供だった。

その姿を見ると、教師や親は「みんなと一緒に遊びなさい。」と口煩くいったが、そんな言葉に耳を傾けることは無かった。


「みんなと遊ぶより小説書いてた方が楽しいんだい」

ある者はイジメに遭ってないかと私を酷く心配し、ある者は人間不信に陥ってるので精神科に連れて行け、という旨の文言を母に託し―

【一人で小説を書いていたい】という、私の願いは成人を過ぎるまで

叶えられることは無かった。


「みんなが黒と言ったら黒という同調意識を持つこと」

「誰とでも仲良くコミュニケーションが取れること」

―社会は、この2つを執拗に強く私たちに求める。

みんなと同調出来ない者はつまはじきにされ、隅に追いやられる。

私も、辛い過酷な想いをしてきた人の一人だ。


「頭は良くても、コミュニケーションが取れなかったら意味

ないわよねェ」

母は口癖のように、その言葉を発するが。

私だって、本当はみんなと普通にお喋りしたい。

集団の輪の中に入って一緒にゲームをしたり、何処かに遊びに行ったりしたい。


【頭は良いけれど社会ではやっていけない】

そんなこと、解り切っていた。しかし、解った所で何が出来ると言える。

勉強をしなかったらしなかったで、もっと過酷な人生が待ち受けていたかのように思う。


「大学はAO推薦で楽々合格。勉強は中2までしか分からない」

そんないい加減な人が、社会性があるだけで成功している姿を見ていると、

何とも言えない複雑な気持ちになる。


「ホラ、見なさい。ハルカちゃんのように、コミュニケーション能力のある子の方がずっと社会で上手く活躍してるでしょう」


彼女が第一志望の会社(誰もが知る有名企業)―に内定をもらった時、

母は高らかな声で私にそう言った。


「そうだね。」

短くそう返事をしたが、内心は彼女に追い付けない悲しみでいっぱいだった。


(世の中なんて不平等だ。)

いつも心の何処かで、そう思っていた。そんな思いを、ひたすらノートに書き綴った。


「梨沙子さんの話に感動して、小説を書きました」

「次は何をテーマに書くんですか?次回作も楽しみにしてます」


多くの方から温かい励ましのメールや手紙を頂き、お陰様でこうして

今も文章を書き綴っている。紆余曲折や葛藤もあったが、小説を書く道を選んで良かったと、心の底からそう思っている。


「別にお喋り出来なくたって良いじゃん?

【普通】になれたくたって良いじゃん?」


すっかり開き直りながら小説を書いているが―

ただ一つ、世の中の風潮がピクリとも動かない事が気がかりだった。

【もう少し優しい世の中だったら】【コミュニケーション至上主義の風潮が薄まれば】今よりもっとずっと私たち(発達障害の当事者)は生きやすくなる。

そんな想いが何度も何度も、私の脳裏を駆け巡っている。







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