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書き散らし

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感じたことを形式に捉われずに、比較的短い文章で書いてみたいと思います。エッセイのようでもあり、また詩のようでもあり。
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記事一覧

散文詩 一筆したため春薄暮

散文詩 一筆したため春薄暮

前略貴女様

随分と笑顔を見せてくれるようになったと思います。
貴女のお母さんはやはり苦労の連続でしたが、いつもお話しているように大丈夫なのですよ。
思い出してください。髪をとかしてくれるのはお母さん。ぼろぼろの子犬のぬいぐるみを繕ってくれたのもお母さん。三輪車を押してくれたのもお母さん。
お母さんは大丈夫です。きっと幸せになりますよ。そして貴女を捨てたり、ましてや殺めたりなどあろうはずはありませ

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小春日和には

小春日和には

色付く葉のすぐそばで、ひっそりと咲く秋深い時の花を見た。
この季節、昔ならば年末年始のあれこれを思い、慌ただしさも楽しみも感じていたものだった。
それが今では繰り返し考える。
自分が生きてきた年月に、やってきた事やってこなかった事を。
委ねるとは真にどういった事だろうか。単に右往左往しないと、それほど単純な事なのだろうか。
わたしにできるだろうかと。

これから小春日和の時には丹念に掃除をしよう。

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散文詩 通学路

散文詩 通学路

ちーちゃんの家に行く道を探した。

夏休みの絵日記を一緒に書こうと約束して、通い慣れた通学路を歩いた。
いつもはみどりのおばさんが待つ信号を渡り、学校の裏庭に咲く向日葵が目に入った後に、そこから先、ちーちゃんの家に向かう路地が見つからない。
通学路のその先は、初めての「ひとり」だった。
あっちにウロウロ。こっちをウロウロ。
学校すら見えなくなった。

「こっち、こっちだよ!」
迎えに出てくれたちー

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祭 彼方に

祭 彼方に

☆神話と遠い記憶の祭り

声ー頂きより

足元の村ではぎっしりと実の詰まった稲穂が、陽の光を受けて輝いている。これを見ると、渡る風の匂いすら違うように思うのだから不思議だ。

収穫が済めば、かつては火を噴いた畝傍の麓あたりで、装束を纏った者達が織りなす、厳かで重々しい祭りが見られるのだろう。

水を張った土に苗を植え付けてより刈り入れまで、およそ稲を育てる人間の働きは変わらない。変わったのは祭りだ

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散文詩 まだ遠く

散文詩 まだ遠く

どんな季節にしても、夕方というものは気持ちを鷲掴みにしてくる。
忘れていた事をグッと空に浮かびあがらせて突きつけてくるかのように。
あの時漕いでいたブランコの、キコキコいう音までも。
歓声を上げた汗のほとばしりを。
もう二度と会えない人の皮膚の温度を。
やがてフェードアウトしてゆく切れ切れを、決して掴ませないように、大夕焼けという舞台装置に立ち上らせる。

人の夕暮れ。
ここを越えて、忘れ去る事が

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癒す

癒す

空は晴れていた。ただ風は冷たかった。

朝の少しのんびりできるはずの時間にベランダに出る。
夜から続くもやもやが渦をまいて、好きなコーヒーでもごまかせなかった。
きっとわたしはまた、頼まれもしないのに誰かの何かになっている。

胸の中に思い出す、モノクロ写真の幼いわたしの顔を両手でつつみ、大丈夫だからと背中をさする。ちいさなわたしの顔が少し安心して頬が緩めば、わたしはわたしに帰ってゆく。
きっと。

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散文詩 相生(あいおい)

散文詩 相生(あいおい)

気がつけば口をつく繰り言は
先に旅立った父に向けられたものかどうなのか

そうかと思えば毎年実を付ける金柑に手を入れ
玄関先には母の育てる鉢植えがひとつまたひとつと増えていった

何が本当で何が嘘なのか
夫婦は互いの影を踏み
知ってか知らずか
やがてはそれも気にならぬ程
重なりあった影となる

あれから長い年月が流れ、母の娘は夫の影と
どれほど重なりあっているのだろうかとため息をつく
ガラリと窓を

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散文詩 宴のあと

散文詩 宴のあと

花の命は短いと申しますが、この土地で桜の木が今年の花を付けたのは、随分と前のように感じます。

青々とした立ち姿は、やがて老いた葉を落とすとは言え、ほんの少し背丈を伸ばし来年もまた咲き誇ろうと、上を上をと仰いでいる若者のようです。

いったいどちらが主役なのでしょうか。
それぞれがそれぞれに垣間見る物語がありそうです。
短い花と、ながらえる葉。
まるで宴の後のようなこの木の下で、わたしも自分の物語

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乙女ー花テロー7

乙女ー花テロー7

乙女という言葉は清楚で可憐な女の子といったイメージもあるが、本来は嫁入り前の娘自体を指すようだ。

わたしが子供の頃、おかっぱ頭のことを乙女刈りと呼んでいた記憶がある。ワカメちゃんのあの髪型だ。
お金を貰って初めてひとりで近所の床屋さんに行ったのは、幼稚園の頃だ。乙女刈りにしてくださいと言った時、意味もなく気恥ずかしかった思い出がある。
だからと言うわけでもないが、この言葉には恥じらいと言うものが

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子として

子として

暑さ寒さも彼岸まで。
少しずつ感傷的になってゆく季節。

自分の事より、いや命すら秤にかければそちらの方が大切だと感じる子供の事より、折にふれわたしは親の事に多く触れる。

親であっても、先に親の子だからだ。
親としての有り様を考えるならば、その前に子である事に思いを致す。

来年は還暦を迎えるこの身は、決して順番を間違えてはいけないと感じる事が増えた。
親より先に逝ってはいけない。
子としての有

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偲ぶ季節

偲ぶ季節

こちら悠凜さんが書かれた私小説。優しく、深く、そしてわたしも先に還った人達を思った。

夏は偲ぶ季節でもあろう。
薄れる記憶。愛おしく哀しく、それだからこそ人は生きていけるのだと、何度も思った。
未練を離し、か細く忘れていく事が供養になると聞いた事がある。真理であろう。

ただそれでもたまに思い出す。
愚かしくもそれは人だから。

うつろうものを手繰り寄せ、その掌から祈りの舟に乗りやがてさらさらと

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無題

無題

何者かになりたがる。
肩書きだとか、或いは役割りだとか。名前の上に付く、その何か。

家族の中で。あるいはもっと広く社会の中で、拾っては歩き捨ててはまた別のものを拾う。
二重三重に重ねながら、重かったり安心したり。
道連れにし、くたびれたものを愛おしむことが増えた。

やがて葉の色を変える木々。それを知りながら眺める花に誓った日々。
巡る年月が一巡する日まで一年を切ってわたしは、どれほどの人と巡り

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後ろ髪引かれるくらいが

後ろ髪引かれるくらいが

ずっと今日こそはと意気込んでいたわけでもないけれど、久しぶりに何とかフラペチーノが欲しかったのに。
あまりの混雑に時間がないからと、すごすごと引き返す。
気分的には後ろ髪を引かれたまま。

後ろ髪を引かれる。

それくらいか丁度いいのかも知れない。
いくらでもある。行き過ぎると憎らしくなってくる。愛情と憎しみは執着を介してある意味紙一重だと…… そうかもね。

たかだか何とかフラペチーノ?
いやそ

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