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洋画の日本語字幕によって頭が混乱した話

オーストラリア5年目。


僕の趣味の一つに映画鑑賞がある。邦画洋画問わずに観るのだが、Filmarksの自分のページを確認したところ洋画を観る傾向が強いように思う。


現在の英語力は間違いなく人生でのキャリアハイを更新しているものの、2時間ほどの尺の映像を字幕なしで観て全てのセリフを理解できるほどではない。

これにはリスニング力だけでなく、集中力も関係してくるだろう。

オーストラリアの劇場で映画を観ることもあるのだが、当然英語が分かること前提に作られているため字幕はついていない。作品で分からない部分があれば、その都度ネットで解説等を読んで照らし合わせをすることは今でも頻繁にある。


そんなところから、今でも映画は字幕をつけて観ている。

かつては日本語字幕で鑑賞していた洋画だが、現在はできるだけ英語字幕で観るようになった。

理由はもちろん英語力の向上のため。

英語力を上げるためには字幕なしで観るのが良いのかもしれないが、映画を英語教材としてだけでなく、作品として楽しむためには現状これがベストの方法だろう。


数年前はそれでもハードルが高かった英語字幕での洋画鑑賞だが、今では特に不自由なく観ることができている。

専門用語が多すぎるものだったり、そもそものセリフが難解であるものを除けば大抵の映画は英語字幕で理解できるようになった。


そんな英語字幕に慣れ切った中で先日観た映画が、こちら。

2021年にイギリスで制作された映画である、『ファーザー』。

羊たちの沈黙の名優、アンソニー・ホプキンスが認知症の81歳を演じた作品である。

記憶障害を持つ主人公の目線で話が展開していくことで、娘の顔が変わっていたり、突然謎の男が部屋に現れたりといったあたかもサスペンス的な描写は斬新で面白く、作品自体が持つ大きなテーマは自分の語彙では言及できないほど重々しいもので素晴らしい映画だった。

年を経れば経るほど更に良さが分かる映画なのだと思う。


こちらの映画を動画配信サイトで観ようとしたのだが、残念ながら英語字幕に対応しておらず使用できるのは日本語字幕のみ。

作品を見終えた後だと「字幕なしでも良かったかなぁ」とも思えたのだが、内容が追えるかどうかやや不安だったため日本語の字幕をつけて観ることに。

数年ぶりに、日本語字幕で洋画を観てみた。


すると…


ありゃ???


なんか…


邪魔だな…


入ってこねぇぞ…


逆に映画の内容が入ってこないといった謎現象が発生してしまった。


英語字幕で観ていた時は、英語で聴こえたセリフと全く同じ、「英文」が、字幕として、目で見える情報として入ってきていた。

ところが、日本語字幕では英語のセリフの内容こそ伝えているものの、英語で聴こえたセリフとは異なる、「日本語の文章」が出力される。

そりゃそうだ。日本語字幕なのだもの。

耳では英語をキャッチしようとする一方、目では日本語をキャッチしようとする。

二つの情報を捕えようとして、頭が混乱してしまったのだろう。


つまり、それだけ自分が耳で英語を追えるようになったということなのだ。


自分の英語力の伸びをこういった形で知ることができたのは新鮮だったし、何よりあの不思議な感覚は日本で平然と日本語字幕の洋画を観ていた頃には感じることがなかったため、なんだか嬉しくなったのであった。

まだまだ英語伸ばすよ!






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