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521/1096 【浄化】『嫌がり力』の鍛錬

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で521日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から本題が始まるので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

521日目、どうやらなにかのウイルスに感染したわたしだが、家族にうつさぬように気をつけつつ、温かく過ごして仕事を楽しんでいる。

最近の毎日は、朝起きてSNSをチェックして朝食を食べて、それからこの毎日投稿ブログを書く。書き上げて画像を選んでタイトルを決めてハッシュタグを決めて各SNSにシェアして終了。お昼を食べて、オンラインセッションやサロンお茶会があればそれを楽しんで、他の執筆や返信や発信や情報収集をしているとあっという間に夜になる。という感じなのだけど、母に「一日中仕事で忙しいんだな・・!」と言われて驚いた。
得した気が・・!(笑)

SNSチェック、ブログ執筆、返信、発信、情報収集、セッションやお茶会、わたしにとってはどれも、仕事でなくてもやりたいことだから、一日中食う寝る遊ぶで過ごしているようなものだ。遊びに忙しいとも言えるし、大変な遊びをしているとも言えるし、暇な仕事をしているとも言える。

なにが仕事でなにが遊びなのだろう。忙しいと暇の差もどこにあるのだろう。

もうこうなってくると、自分の中で、仕事だとか遊びだとか、忙しいとか暇だとかいう概念が崩壊していると言える。

ぜんぶ仕事だしぜんぶ遊びだ。みな生きている間ずっと忙しいしずっと暇だ。寝ていても食べていける人は寝ていることが仕事だ。わたしみたいに遊んでいるような楽しさを感じながらお金を得ている人もいる。どっちも、仕事だし遊びだ。

昼寝をしたあとにぼーっとしている人だって、昼寝やらぼーっとすることやらで忙しい。それに時間を使い果たしているのだ。今日は一日中暇なんです、予定がなくて。という人は、暇をするという予定で一日のスケジュールが埋まっている。

その間、本を読んで漫画を読んでゲームをして友達に連絡をして、たまにはなどと言ってマフィンを焼いて排水溝をキレイにして、昼寝で体を休めてストレッチをして、やる気が起きてジョギングまでして・・と分刻みの行動に出るのかもしれない。みんなずっと忙しいしずっと暇だ。

このブログはわたしにとって、無料であろうとも大切なチャレンジだ。チャレンジは仕事なのだろうか遊びなのだろうか。

どんな名前をつけたって、人はその行動に命を費やしている。だから、名前なんてなんでもいいんだね。

限りある命の時間を費やしての経験だ。仕事だとはいえ嫌なことをしていたら嫌なことに時間を使っている。遊びだろうと遠慮しながらやっていたら遠慮に時間を使っている。

仕事をした、遊んだ、と言ったって、その実やったことは「嫌なこと」「遠慮」だ。感じたことは、名前でレッテルを貼ってもごまかせないものだ。

みんな、やってることは命を使った、命がけ。せっかくなら、奔放でいたい。面白がったり気ままだったり気楽だったりしていたい。
今日は気楽な気分で書いてみよう!

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ひいいーーーっあと更新のリミットまで40分しかないではないか!思いつきをそのまま書くぞ!ぐむーーーん、自分の思いつきを信じる怖さ、毎回のようにバンジーである。

そうそう、上のことを書いていて、「なにをしていても、人生の時間は容赦なく進む」のだと思った。そして、そういえば昔、自分がこのことを思ったときに、

「自分は一生をダラダラと無駄に過ごしてしまうのではないか」と考えて、恐怖していたことを思い出した。

わたしは、自分が『時間を有益に使えなければならない』と思っていた。勉強をして、資格を取るとか試験に受かるとかなにかの称号を得るとか、実績を積むとか。でも、役に立ちそうだからやらなくては、という思いでなにかをしようとすると、身体の拒絶反応が強すぎて不可能だった。

鉛筆を持っていられないし、机に向かっていられなかった。嫌すぎた。お腹いっぱいのときになにかを食べるのと同じような感じで、まったく、まったく食指が動かない。資格取得のための授業に行くと、ゾンビみたいになってしまうのだ。帰らせてくれ・・・帰らせてくれ・・・つまらない・・耐えられない・・・という思いだけは、なぜか常人の1万倍くらい持つことができるのだ。なぜなのだろう。『嫌がり力』が強くて、自己嫌悪の対象だった。でも、今はそれが良かったと思う。

面白くないことに面白みを見出そうとしても、無駄だと思う。
辛い生活を辛くないと思おうとしても、無駄だと思う。
嫌いな相手を好きになろうとしても、無駄だと思う。

なぜわたしたちは、面白くないと思うことを否定するのだろう。
辛いと思うこと、嫌いな相手がいることを否定するのだろう。

面白くないものは面白くないのだし、辛いものは辛いのだし、嫌いな相手は嫌いなのだ。それを変えようと思うとき、無駄なことに悩んでしまうのではないかな。

もしかしたら、それがひっくり返ることもあるのだと思う。でも、それって目指してそうするものではないと思う。

面白くないからやめてみたり、辛いからやめてみたり、嫌いだから離れてみたりして、そうしてみてからでないとわからないことってあるのではないかな。

ちょうど銀塊を握っていて、金塊が欲しいとする。
そのときに、銀塊を金塊だと思おうとしても思えない、ということで悩んでいる人がとても多いのだと思う。

まずは、銀塊を手から離して、金塊を掴む下地が必要なのだよね。
なのに、銀塊が惜しくて手から離せない。

ほんとうにこれは、銀塊から手を離す以外に方法がないと思う。
そのための癒やしだったり、そのための勇気だったり、そのための発想の転換を求めると良いはずなのだけれど、銀塊を金塊だと思おうとする、のは無駄だと思うのだ。

銀塊でも我慢しようと思うの。とか、
銀塊が金塊に見えるようになったの。とか、

そんなのは人格者なのではないと思う。ごまかしを目指すくらいならば、静かに銀塊から手を離すことを考えてみようじゃないか!だって、銀塊を握っている間は、ずっとモヤモヤしてしまうのだもの。

まずは、嫌なものを嫌だと感じるのはおかしいことなんかじゃないと思ってみてはどうかな。嫌なんだもの、嫌よね。(笑)

『嫌がり力』って、高くていいのだと思う。
嫌なことを書き出してみるととても面白い。どんな小さな「嫌だ!」も見逃さないで釣り上げてみようとすると、楽しくすらなってくる。

自分の中の、子供のワガママを聞いてあげるかのように、ちっさなちっさな嫌だ!を拾い上げてみよう。

あれこれを嫌だと思う自分を、「なかなかやるじゃん」「ちゃんと嫌がれるんじゃん」と思ってみると、「嫌がるなんてダメなわたし・・」と思うのとは気分がまったく違ってくるのだ。嫌がる力、これがこうして拾っていくことで鍛えられる。ほんとうだから、試してみてね!

そこで見えてくる、ただ黙って嫌なことをいっぱい我慢してくれていた自分に、いちばんそばにいる人物として謝ってあげよう。これもひとつの、強力な浄化法。ぜひ試してみて!

というわけで今日は、嫌がり力を鍛えよう、そこで自分に誠心誠意、謝ってあげよう、これも良き浄化ですよ。というお誘いでありました。それではまた、明日ね~!

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