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2025年の大変革 キリスト教にはびこる悪神の罠と日本が衰退した理由 因果応報を忘れた人民に起きること

宗教の違いで起きる様々なこと

幼少期にした選択ではじめて宗教の意味を考える


私は、エホバにはまった母によって宗教二世になる道を選ぶか、それとも母と縁を切って生きていくかの二択を幼稚園児の時にさせられました。その時の私の決断は早く、迷いもなく母を捨てたのはわたしでした。

振り返ってみれば、私の家族は子どもに酷いことを選ばせたと思ったときもありましたが、それは私の父方の家族の親心だったと思います。子供は愛情の深い方を鋭く察知します。あっさりと母を捨てていつの間にか消えた母のことは、その日からもう存在しないものとして認識したのです。

その悲劇すら自分の都合よく利用することもあったのですから、子供というのは大人が思っている以上に頭がよく、子供は大人が思っている以上に強いと私は思います。

それから数十年が経ち、

ここで書いたことをするのですが、その時からさらに十数年たち、私が宗教の意味と日本という国の特異な宗教観を理解して思ったことを書いていきます。

世界は宗教に支配されている

世界での宗教

西洋で宗教が起きた成り立ちは、ユダヤの人たちが迫害されてその後、モーゼによって神の助けを得、その迫害から命からがら逃れたことから端を発し、唯一神を信仰するユダヤ教が発生しました。

その後、そのユダヤ教から派生してキリストが生まれ、キリストが布教をしたこと、また迫害され復活をしたことで奇跡を信じた人たちによって信仰されているという歴史は大体ご存じだと思いますが、キリスト教が大きくなったのは、パレスチナから始まったキリスト教がローマ帝国が大きくなったころ、色々な国の民族がローマに集まり、その民族がお互いにバラバラの価値観を持ち、ローマ国内での統制が取れなくなったことから国教としてキリスト教を掲げ、そのキリスト教を元にして国をまとめるようになった、という背景があります。

ですが、現在もあるようにキリスト教の中でも派閥があり、この派閥の争いが元で滅亡を繰り返し、または十字軍などの宗教戦争が昨今まで続いているのです。


キリスト教信者が信じる『神』が為すこと

キリスト教は、今も昔も争いの歴史の中にあります。その歴史の中にある概念が【神】です。この神が私たち自らの行動を全て許容している、行動そのものは神の思し召しである、という大義名分をもって完結していて、キリスト教の概念の中には『因果応報』という概念がないのです。


つまり、【自分のしたことは自分に返ってくる】という東洋思想に当たり前に存在している考え方がなく、『自分のしたことは神が為された』と解釈

自分に責任がある、とは考えない


これを知ったときは驚愕しました。


だからこの世界から意味のない戦争が無くならない
お金を生み、国だけを愛し、自分の思想だけを愛する末に用いる暴論と化す


人類が神の種子であり、人類すべての内側に神がいることを、
外国は無意識にも遺伝子的にも理解していない



ポアロから学ぶキリスト教の哲学

神の名のもとに殺人を見逃す


オリエント急行殺人事件

その神髄を見たのはポアロの殺人事件で最も有名な『オリエント急行殺人事件』です。デビッドスーチェ版のオリエント急行は非常にキリスト教の考え方が色濃く反映されていて、殺人を犯した犯人でさえ「これは神が為したこと。正義の殺人だ」と言い切り、ポアロは最後まで判断に悩みますが、その結果を神に委ねることにして嘘をつき犯人を見逃します。


私はデビッドスーチェ版のポワロを何回も見るほど好きなのですが、このオリエント急行の結末だけ今までモヤモヤしていたのが『キリスト教には因果応報という概念がない』という衝撃的な事実を知って謎が解け、キリスト教の限界を知りました。

世界は争いで溢れている

西洋化する日本で起きてきたこと

私たちの日本は、ある意味で独特の生活をしてきました。鎖国が解け、外国人が日本にやってきた頃、あまりの日本の素晴らしさに感動して帰る外国人ばかりでした。

私たちは、神道という『いるようで、いない』八百万の神様を信じ、仏教という『自分を律し、因果応報を信じる』という厳しい教えの元で、大義名分のない戦も少なく、智慧のない人民による暴走は多々ありましたが、武士や将軍だけではなく、その妻なども厳しく教養を身につけさせられ、勤勉に励み、時代と共に識字力も上がり、寺子屋で学問を平等に学んで人との輪を自然と学び、庶民ですら数学を理解する時代になるのも早かったのです。


ザビエルも悩ませた日本人の精神性

かの有名なフランシスコザビエルはキリスト教を布教するために日本にやってきましたが、日本の歴史の教科書には美談しか書かれておらず、キリスト教を称賛することばかりでなぜ、踏み絵を踏ませたかという背景を説明することはありません。


キリスト教は、多くの人たちを

【神の名のもと】で
奴隷にして日本人を売ろうとしていました。

そうして、神という名に縛られて

【神を裏切っては、しあわせになれない】

という恐怖感を埋め込み、がんじがらめにしてしまった


キリスト教に入信した人たちは、自分の過酷な境遇を神に帰依することで何とか自分を保つことができたのです。それは紛れもない事実であり、キリスト教をすべて否定するものではありません。


しかし、思ったよりもザビエルにとっては、日本人の教養が非常に高かったため、布教の難しさで辛酸を舐めたとあります。



神様が信仰している自分だけ助けるのはおかしい、なぜみんな助けないんだ
キリスト教の神はそんな薄情か


そんな問いにすら答えられなかった

日本人は神の厳しさを知っていた

なぜ日本人は因果応報を信じてきたか

私たちの国には神道という、信仰しているようで信仰していない宗教が存在しています。その結果、神道の長として天皇を神人化し、そして仏教が広がってそのもとで各々が自分の与えられた働きを真摯に全うして生きてきました。

人間は、過去に起きた出来事によって様々に悪い行いをしてしまいがちです。特に村社会と言われる場所には未だにその名残は残っているのでしょうが、その村の長の精神性が軒並みその土地に『意識が』残っているだけであり、その社会から出たらこの日本というのは多種多様な考え方があるとわかると思います。

私たちは、自分の意識に縛られて生きていく限り、様々な思いに振り回されて【これが真実の世界だ】と考えてしまいがちですが、本来はそうではありません。私たちが「感じている」「思っている」こと、すなわちその意識そのものには過ちがあるのです。


真実であり、真実ではない。
世界は広い、自分は小さい
意識が違えば、世界が違う
この世は陰と陽で出来ており
裏と表が必ず存在している


私たち日本人は、知らず知らずその意識を自分で変えていく力を持っていて、『自分を信じる』強い力で古来の日本人は自分の苦境をなんとかかんとか生きてきたのです。



信仰している自分だけ助けるのはおかしい、なぜみんな助けないんだ
キリスト教の神はそんな薄情か


昔の多くの日本人は、神がそんなに薄情ではないことを知っていた



キリスト教の神を信じる外国は奴隷ばかりが増えていき
奴隷を差別するが生まれ

神道と仏教が混合する日本では、
身売りはあれど黒人奴隷のような差別はなし


外国を礼賛するもの、地獄行き

日本人の精神性が芽を出すときが来ている

現代日本を眺めて見ていくと、社会そのものが外国思想に溺れ切って《外国では》や、《外国に取り残される》等をよく見かけるようになりました。

結果的にこの国がいい方向に行っているのならそれは間違いではないでしょうが、今、この国はどうなっているかと言えば《国民がみんな不幸である》という事実が否めません。それでも、外国の考え方に従い、外国にならって経済を動かしていることを考えてみても、これから先の日本の将来はより暗くなることが目に見えています。


私たちは戦後、自国のプライドを捨て外国主体の考え方を多く取り入れるようになりました。それは、一面ではいい部分もありましたが、私自身の宗教研究や哲学や心理学の研究から矛盾している点を解消していけばいくほど、宗教が説いてきた終末論や世の立替立て直し、その原因が人間である、ということの意味を理解できたとき、日本は本当に日本に返らなければ、人が思う以上に地獄が待っている、人類が経験したこともない地獄を体験しなければいけない、とはっきりと理解できたのです。


隠れし神の出現

その神は宗教それぞれに予言されている

その神は誰か
日月神示に、「子の年真ん中にして前後10年が正念場」という神示があり続いて、「新しき御代の初めの辰の年、現れ出でましぬ 隠れいし神」という神示があり、これは2020年の子年を前後にコロナ騒動とかウクライナロシア戦争勃発、日本でも平成から令和への始まりがあり、子年生まれの天皇が成立し、そもそも、子年と辰年は12年毎にくるわけでいつ時期は判らないのですが、今回の2020年’子年というのがぴったり当てはまっているような気がする訳です。


割愛

ちなみに宗教家でも預言者でも無い著名な哲学者で教育家の森信三が唐突に言った予言がある。

「2025年になったら、日本は再び立ち上がるだろう。2050年には、列国は日本の底力を認めざるを得なくなるだろう」と不可思議な予言しています。

BlueBloomBlog

この世の中にはたくさんの書物がありますが、その書物というのは色々な人の意見が交じり合って自分の主張が混じっています。ですから、同じテーマで読んでいくと全く矛盾したことが書いてあったりするのです。

その矛盾を全て否定していくと、共通する何かだけが残ります。多くの予言や霊能者の話などを見聞きしていくと、共通することは

人間が堕落して世の中が大きく変わる
終末が起きる
本物の神が降臨してくる

なのです。

それは、キリスト教でも仏教でも神道でも哲学者でも神秘学でも言霊学でも何もかも同じ共通点です。

その共通点を紐解いていくと、大きなことがわかってきます。


神という存在は、悪神と善神に分かれている


霊界物語から紐解く悪神の繁栄

私がこれまでキリスト教について永遠と書いてきた理由は、悪神に支配されている。ということを書きたかったからです。

私は霊界物語を読んで、教義は正しいがなぜ悪神がこれほどはびこっているか、を理解したのです。

キリスト教という教義は元々創造主によって送り出された天使(ミカエルとかそんな風な天使ではなく、世の中をよくするために使わされた天の使い)と言われる神人がこの地球に転生し、それぞれの使命を持って生まれてきたと昨日書きました。

その一人が【キリスト】です。
ですから、キリストは創造主の復活の為に人々を導く役目を持って生まれた非常に高い徳のある神です。

しかし、その教義は様々な歴史的背景から都合よく解釈され続け、悪神によって本当に隠れていた神を【サタン】とし、悪いものとして祭り上げてきていました。


一方、日本でもこの創造主は【閻魔】として恐れられ、闇に葬られ、鬼として禁忌し、その存在を亡き者にしてきたのです。


本物の神の役割

本物の神が人類にすること

神は自ら助くものを助く

霊界物語

本物の神というのは、自分の努力を最大限する人しか助けない、という神で非常に厳しい神様です。ですから、キリスト教に『意識』として蔓延しているような、また神社に行って簡単に自分の願望を叶えてくれるような神ではありません。


人間の努力のなさを見て、むしろ『もっと努力が必要』と背中を押すような神なのでした。

むごく見える状況であっても、
【その人本人の魂の向上】が目的であり、
魂の悟りが得られないとわかると手出しはされない


ですから、現世利益を出してばかりの神が多くなったこの世の中で、人間の堕落を進めている神が多くなり、人間が本来すべきことをしないで環境のせいにし、人のせいにし、自分の心を省みることもなく、反省することもなく、恥じることもなく『自由になりたい』『自分らしく生きることが愛とつながる』と言って言葉の意味は同じくしても、全く意識が異なる愛と自分らしさに突っ走り、西洋の意識に染まっていく日本人の多くを見ていくと、ゾッとするのです。


聖徳太子も仏教の教えもキリスト教の教えもヨガの哲学も日月神事も竹内文書も思想も哲学も経済も科学も自然界ですら、それぞれが別々の言い方でこの終末による大きな変動を予感し、それの為に各々が何をすべきか、どう考えるべきかを解いてきたのですが、いよいよその時期が近付いていると思う気がしています。


私だけではなく、こういった類を知らない人たちでさえ、コロナ以降多くの事件や天災に巻き込まれ、地球がおかしい、と誰しもが感じていることだと思います。


平素
利己主義を様し、甘い汁を吸う悪人は全身甘くなり、
有難がる(蟻がたかる)
世界の為に苦き経験を舐めた神人は苦くなる。

甘いものには有難がる(蟻がたかる)が、
苦いものには蟻がたからぬ(不有難)

霊界物語

天界における地上神人の悪化した妖気の気が地上を支配し、自然界に天変地異を起こさせる一因である、と説かれています。

この説は霊界物語だけの説にあらず、数多の研究者が人間の意識の悪化が地上に天変地異を招く、といっているように、私たちの心がいかほどに邪悪化しているか、という目安になり、昨今の自然の乱れを見ても、天変地異の多さを見ても歴然とした明らかな事実です。

その邪悪な意識というものも、『自分が正しい』と思い込んでいると、いつの間にかこの邪悪な意識に蝕まれ、いつの間にか自分が悪神に憑りつかれて思いもよらない行為をしているのです。

ですから、


自分の行動を省みよ
反省せよ
畏れよ
恥じよ
よく悟れよ

霊界物語

が大変重要だとわかってきます。

無意識のうちに、自分が自分の内側の内在神とのつながりを忘れ、悪神に支配された結果、自分のツケとなって帰ってくる。


甘い汁だけを吸う人になれば人は集まる。
理屈を知らず省みず、反省せず、恥じず、畏れず
甘い汁を吸えば吸うだけ、求めれば求めるだけ
その甘い蜜をすった人間と密を求める人間は悪神の奴隷と化す


邪悪な妖気が漂う現代社会で蝕む甘い汁を吸う人たちの末路

甘さを味わった人間(神人)は蟻にたかられる

天界での邪気を取り払う作業において、(ノアの箱舟時代)この天界は泥海になり、悪神と善神の選別が為されました。その時に、泥海になる前に自分たちの思う世界にすべく、計略に計略を重ね、自分たちの利益しか考えなかった権力のある神人は、一旦は救われたものの、その甘い汁を吸い続けた結果、自分たちの体は甘くなり、せっかく助かった命もその体に蟻がたかりそのまま残酷にも息絶えていきます。


辛酸を舐めてきた多くの神人は、蟻がたからず悲惨な状況から逃れ、その様を見て改心していきます。自分たちの行動も一歩間違えればこのような姿となってしまったのだとわかったのです。


私たちは、このノアの箱舟時代と同じく、もしくはこれ以上の悲劇があり、自分のしてきた行為を自分自身で裁きを受ける時に来た、と思いました。


自分で起こした行動の責任は自分で始末する

究極の自己責任=神の世

これから始まるよの立て直しの神であり、私たちの内在神である直霊と繋がる神は、人民を直接は助けません。


自分のしてきたことの始末は自分でつけろ


です。



これからの時代は、自分の因縁因果は子孫にあらず、
直接本人に返ってくる厳しい裁きとなるが待つ


ですから、いくら今世で神様を大事にしてきた人でさえ、神依存になり、自分のすべき努力を忘れて甘い汁ばかり吸ってきた人たちは、多くの犠牲を払うと思います。それは、数々の書籍に共通することだからです。


宗教家、スピリチュアル、霊能力者、自分自身の身の穢れを自覚すべき時
あの世の地獄に宗教者、霊能者がいっぱい


そして、この神は人間の善悪とは違う世界の神です。


私たちの生きている世界の善悪では判断しない神様であり、現在過去未来をすべて含め、その行いの一端の善悪を判断されるのですから、いくら犯罪者であってもそれは善徳の人だと判断されることもあり、いくら善行を積んでいるように見えても、そこに利己主義があれば非情にも悪神の奴隷として裁きを受けさせます。


ですから、私たちはこういう厳しい神様の時代に突入していく、という事実をもっとリアルに受け止めて、自分が何をすべきか、何がしてはいけないことかをもっと考えなくてはいけません。


ですが、色々な人が【もう選別は終わった】と言われます。


ですから、
この世に昔ほど力を持った霊能力者が
前に出てくることは今後ない
悟らせ、教える必要がもう何もない

自分の落とし前は自分でつけろ、がはじまっている

自分の罪を増やさないためにすべきこと

人の為になることを考える



私たちが今、何をすべきかは明らかです。


間違っていてもいいから自分が正しいと思った、いいことをし続ける。


です。


そして、常に行動に対して

自分の行動を省みよ
反省せよ
畏れよ
恥じよ
よく悟れよ

を繰り返すしかありません。

そして、その判断基準は自分にあらず、常に神仏です。
ですから、神仏を信じない人は生きていくのが難しい世界になっていくのです。

そして、はっきりと神仏を理解するために必要な唯一の真理を知る努力が必要で、その真理に照らし合わせながら自分の行動1つ1つに自問自答していくことでしか、自分の正しい行為には繋がっていかない。


いつでも自分は間違っている
私がこう書いていることすら、正しいかわからない



真理を知り、自分が正しいと思うことを為し、
最後の最後の判断は、神に委ねるしか他なし


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