自分を映す本棚の存在
10年住んだ場所を離れることになった。
アメリカはカリフォルニアの地。2011年。渡米当時、私は独り身だった。その後、結婚して、出産して、いまは4人家族。ルームシェア、1ベッド、2ベッド、3ベッド。大切な人が増えるたびに、家が大きくなり、家具や荷物も積み重なった。
引っ越す前に断捨離しよう。そう決めて、最初に手をつけたのは本棚。何気なく始めたのだが、想像以上に深く潜る時間となる。
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実家から歩いて5分ほどの場所に本屋さんがあった。最寄駅から自宅の間に位置し、バス停が目の前だったので、よく立ち寄った。晴れの日も雨の日も、恋が生まれた日も友達と仲違いした日も。本でいっぱいの空間に入れば、いろんな煩わさしさがリセットされる気がした。
最初の棚に陳列されているのは雑誌。一通り立ち読みした後、ビジネス本、漫画、小説、店内をぐるりと回る。華やかな女性の表紙に魅了されたり、思わず背筋が伸びるタイトルに出会ったり、お気に入りの漫画の新刊に喜んだり、小説のあらすじにドキドキしたり。
一画にはCDコーナーもあった。アルバムは高いからたくさん買えない。慎重に吟味。店員さんが描いたPOP。好きなアーティストの新譜はジャケットにも心躍った。手に入れたCDは、宝箱を覗くみたいに歌詞カードを捲った。
夏休みに配られる、文庫フェアの小さな冊子が好きだった。ナツイチ。レジそばに置かれた夏の訪れを手に取る。どれを読もうかな、と考えるだけでワクワクした。コンパクトにまとめられた紹介文。この冊子を作る人になりたかった。
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本棚から一つ一つ手に取って、そばに置きたい本を選んでいく。そういえば、しっかり紙の本と向き合うのはいつぶりだろう。
第二の故郷・サンフランシスコの街。青空、海、ケーブルカー、珈琲、オーガニック、ワイン畑。ローカル食の強いレストランやアイテムに惹かれる。ニッチなガイドブックを片手に、お出かけしてはブログに記事を書き留めた。
ゼネラリストよりスペシャリストに憧れがちな私は、レシピ本も尖ったタイプを好むらしい。卵だけ、スパゲティだけ。他にも、スープだけ、鍋だけ、野菜だけ。ジャンル一つという潔さが料理のやる気を醸成してくれる(気がする)。
芳麗さんの著書は、渡米時に日本から持ち運んだ3冊のうちの一つ。恋愛コラム、MOREのインタビュー、東京事変のライナーノーツ。仕事にも視点に憧れた。ファッション本は菊池京子さんのみ。田村セツコさんのひらめきノートは眺めているだけで癒される。
いくえみ作品ファン。「潔く柔く」は実家に紙の本があるのに、アメリカでも読みたくてKindle版も購入した。いくえみ綾さんの漫画は、捻くれたり捩れたり、そんな描写が多い。でも意外と根っこが病んでいないところが好き。私の主観。
エッセイは電子書籍で買うことが多いけど、時々紙で読みたくなる。お笑い芸人さんのエッセイが特に好み。日常からネタを見つけるプロフェッショナル。小さな出来事が独自の視点や解釈により魅力的な小話になる。星野源を最初に好きになったきっかけは、音楽ではなくエッセイだった。
恋い焦がれて16年。インタビューが掲載された雑誌は、購入しても2週間ぐらい置いて鮮度を下げないと読めない。解散時のロッキンオンは日本から持ってきたうちの一冊。彼らが作る音楽についてメディアでコラムを書くのは一つの夢。想いが強すぎてできないかもしれない。
翻訳の世界に憧れている。翻訳家・柴田元幸さんが手掛ける文芸誌「MONKEY」はつい集めてしまう。錚々たる作家さんの短編小説が掲載されていて、ふとした瞬間に開く。英語は泣きたいほど上手くならなくて。洋書の世界から学び始めたら、一気に楽しくなった。
アメリカで暮らす私の小さな本棚。物を増やさないよう、小説、漫画、洋書は、Kindle版を選ぶと決めている。でも、お気に入りの本の他に、辞書代わりになりそうな本は紙で買う。結局すぐいっぱいになる。
この本は手放したくない。そう選び取るたびに、なんだか笑えてしまう。
だって、好きなものが全然変わっていないのだ。私を形作る要素。10年。それ以上の時間。一途な事実に、内側が満たされていく。
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海外に住む者として、電子書籍の恩恵を受けている。読書体験を豊かにしてくれると、信じて疑わなかった。その想いは今でも変わっていない。
しかし、本当に豊かさだけだろうか。インスタントに情報を入手できる時代。ネット上で簡単に文章を読めたり、1クリックで物を購入できたりする環境によって、私は本を選ぶ力がひどく衰えてしまった。
本屋さんにたびたび訪れていたあの頃を思う。狭い自室にそれほど本は増やせない。買いたいだけ買うお金だってない。だから、時間をかけて本当に欲しいのかどうか判断していた。そうやって集まった本たちは、私にとって好きや興味の純度が高かったはずだ。
今はどうだろう。読み放題、Kindle Unlimited…「なんとなく、これも」で積ん読が増えていく。ここ数年、私は自分の好きなことや書きたいことが何なのかめっきり分からなくなっていた。相変わらず、書くのも読むのも楽しいし、つくる仕事だって続けている。なのに、すぐよそからの情報に流されてしまう。
いつのまにか薄れていた。こんなにも、私の「好き」は揺るぎないものだったのに。
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忘れられない一冊がある。コピーライター・秋山晶さんの作品集「アメリカン・マヨネーズ・ストーリーズ」。
1990年代、キューピーマヨネーズの広告用に書かれたショートストーリーを束ねた一冊だ。舞台はアメリカ。写真と共に、500文字ほどの随筆のような短編小説のような文章が収められている。そこには必ず「マヨネーズ」もしくは「マヨ」という言葉が登場する。
過ぎた夏は、サンドイッチの包み紙のようなもの。
レゲエが鳴っている。この店は夏の曲ばかり。外はシェーブアイスのような雨が降っている。マンハッタンのバーには若い中国人のバーテンダーがふえた。カウンターの向こうからサンドイッチの皿をサービスする。その補足繊細な指を思わず見てしまう。サンドイッチはクラブミートをマヨネーズであえたもの。イギリスパンをーー(続く)
カッコいい。異国情緒の風を感じる文章も、必ずマヨネーズを登場させるプロの技量も。いつかこんな作品を書けるようになりたい…!20代後半、制作会社の上司からこの本を紹介されたときの思いが蘇る。どうやら、色褪せていないらしい。
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原点に立ち戻るような本棚の整理。大切な本たちに触れて気付いたのは、どうやら私にも書きたいものがありそうだということ、それはジャンルでは分けられないということ、だった。
エッセイ、小説、コラム、レビューetc。どんな形式になるか、仕事になりえるかは、今の私にはきっと重要じゃなくて。大切にしたいのは、掬い取る視点や感情なのだった。人の優しさや温もり、拭きれない寂しさ、綻びを縫う光、孤独との対話。そういうものを書きたい。
私にしかない感性を見つめて、言葉や文章に変える時間を楽しもう。だからこそ、仕事もがんばろう。もっと生産性を高めて、結果と余白を生み出す働き方をしよう。
欲張りだけど、両輪を回したい。また迷子になったら、本棚に戻ってくる。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。