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インド旅行記① 羽田~デリー編 手放すこと

2024年3月下旬、約4年ぶりに国外へ出た。
世界を巻き込んだ異常事態の間、一番の趣味である海外旅行に行きづらく(行こうと思えば行けたが、時折耳にする海外渡航者への厳しい批判の声などが怖く行けなかった)、メンタルがますます内向きになり、閉塞感で窒息寸前だった。

2023年の年末にふと来年こそ絶対海外に行きたいなと考え始め、また他の国へ行けるかもしれないということをただ妄想するだけで私の心は予想以上に明るくなった。万が一なにか病気を持ち帰ったら声高に私を指差し非難する人も出るだろうが、私は自分のやりたいことを優先させると決心。人の目を気にして動けないここ数年の自分を手放したい。これは実行に移さない手はないなと思い、リサーチを始めた。

為替で不利になるのは悔しいので、アメリカやヨーロッパ方面はパス。
世界各国の対円外貨の動きを参考にし(一応FP資格も持っているのでお金に細かい)、数か国に絞った中で今の自分が一番心惹かれたのがインド。

ヨガを10年以上続けているが、まだインドのヨガは未体験。あとは本能的に食べたいものを選ぶとだいたいスパイス系の料理になるくらい世界各国のカレーっぽいものが好きなので、毎日好きなものを食べられるのは嬉しいと思ったり。

実はインドには20年前にも行っている。その時は学生時代で、国際系ボランティアのサークルに入っており、資金調達をしてインドの貧しい子供たちに教育の機会を提供するため、学校を建てるというプロジェクトに従事していた。しかし結局は、現地の代理人のような人に騙されて、学生たちが一生懸命集めたお金は全部取られてしまった。その時のインド渡航そのものはとても楽しかったが、インド人には注意しないといけないなという印象が強く残り、それから20年戻ることはなかったのである。


羽田空港

いつもそうしているように、最寄りの隣の駅から羽田空港までバスで向かった。

好きな音楽を聴きながら、久しぶりの海外旅行にワクワクしてすっかり気分は学生時代。というか本当に精神年齢が当時から成長していない気がする。

神奈川県側から羽田に向かうと川崎の工業地帯を通るが、その風景になんだかタイムスリップしたような哀愁を感じ、センチメンタルになる。(やっぱり精神年齢が成長してない)

久々の羽田にはたくさんの人がいて(帰路につく外国人が多かった)、びっくりするくらいセキュリティーチェックの列が長かった。列の先頭を追っていくとぐるっと一周し200メートルくらい先で、思わずマジかと笑ってしまった。

数十分その列に並んでチェックを終えると既に体力切れ(情けない)、どんなレストランが入っているか事前調査し、とても楽しみにしていた羽田グルメを食べる余力もなく、さっさとゲートに向かい、ひたすら2時間以上ぼーっと座って搭乗時間を待つ。

人が多い場所で過ごすとその3倍くらいの回復時間が必要らしい。

機内

デリー便は空いており、私の隣の席には誰も来なかった。ここ数年、世の中の人々が他者を鋭く攻撃する様子を目の当たりにし、少しでも非難されそうなことはしない方が良いと神経質になってしまった。批判されることを恐れて、荷物を置くことはおろか、指一本分も隣の席に侵入しないよう気を付けていたが、離陸するころには他の隣が空席の人たちがやっているように、悠々と席2つ分使って寛ぐ勇気が出てきた。だが、ここで今日の運をすべて使い果たしたような気がする。

海外旅行に行くと問題は時差ぼけだ。インドと日本は3時間半時差があるので、いつも22時半ごろ寝ている私は19時ごろ就寝するとちょうど良いらしい。しかしさすがにそれは早すぎるし、初日だけ少し眠いのを我慢していつもの時間に寝よう、スムーズに眠りに落ちるためには飛行機で寝ずに起きていた方が良いな、などと色々考え、機内ではひたすらドラマを観続けることにした。

昔、好きだったアメリカのドラマの続編をちょうど見つけたから、1話45~50分くらいのものをEP.1~9まで観た。羽田からデリーの飛行時間は9時間ちょっとなので、本当に離陸着陸時とトイレに行く以外はひたすら観ていたことになる。最後は惰性になってしまったが、あと1話で完結だったのが惜しい。

入国審査

入国審査は1人5分くらいかかっており、列がなかなか進まない。

そもそもインドはVISAを取るのも面倒で、聞いた時はあり得ないと思ったが、全行程失敗なく進めたとしても、オンラインでVISAを申請するのに2時間ほどかかる。

たいてい途中でデータが消えたり記入漏れがあったりするから2時間半か3時間は見積もった方が良い。パスポートの写真や、背景が白でサイズも決まっている証明写真を自力でPDF形式に直さなければならないのも厄介だ。

しかも質問項目には、両親の名前や出身地、パキスタンに行ったことがあるかなど、かなり細かいものがあり辟易する。おそらくインド政府はムスリム系のテロに神経質になっているのであろうが、VISA申請の工程はあまりに煩雑だった。

インドに何度も行っている知人に教えてもらった手引きがなければ自力では出来ず、業者に依頼していたかもしれない。

しかし、一度申請出来てしまえば案外早く、半日ほどで承認され、VISAが取れた。紙に印刷しろと書いてあったからプリンターを取り出して念のため3部印刷。

その中の1つをパスポートと一緒に入国審査のカウンターに提出。全指の指紋を取られ、まるで犯罪者のような気分だったが、どうにか完了。すごく緊張した。

英語がある程度理解でき、海外渡航経験のある大人の私はまだ良いが、目に入ったのはまだ小学生くらいの子どもたち。おそらく父親がインドに単身赴任しており、母子が祖母と一緒に会いに来た、みたいなパターンを複数目にした。

他の国の入国審査では家族全員まとめて、ということが多かった記憶があるが、インドでは子どもも含めて1人1人対応される。まだ10歳くらいの子が一人で入国審査のカウンターに行かなければならないのが心細く可哀そうだなと思い、もう既に審査を終えて外で心配そうに見守っている母親や祖母の姿を見ても心が痛んだ。きっと大丈夫であろうが、万が一VISAの不備などがあって子どもが一人だけ入国できないとなったら、あの家族はどうなってしまうのだろうと思った。

思わぬトラブル

出口方向へと向かっていくと、両替できるところがあった。空港ではあまりレートが良くないが、街に出てから探すのはリスクが高いと思い、サクッと両替。先ほど隣のカウンターにいた10歳くらいの男の子の家族もいた。無事に合流できて良かったね、と心の中で思う。

だが、この判断がトリガーとなり、思わぬトラブルに巻き込まれることになる。両替そのものは正解だったし全く問題なかったのだが、両替をすることで受託荷物を受け取りに行くのが遅くなったのが計算外の事態を呼んだのだ。

乗っていた便の荷物受け取り所に行くと、ほとんどの客が受け取った後だったため、ベルトコンベアから降ろされた状態で5~6個の荷物が残っていた。

待機していたインド人スタッフに声をかけ、私のスーツケースと思われるものに手を伸ばしかけたが、よく見ると本当にそっくりだが微妙に違うデザイン。他に似たタイプは残っていなかった。スタッフにそれを伝えると、おそらく別の客が間違えて持って行ったのだろうとのこと。

その客が残していったスーツケースについているタグから個人情報を特定し、スタッフが電話をかけるが応答なし。その人は私の荷物を自分のだと思い込んでしまっているから、荷解きをするまでは気が付かないだろう。どうか、飛行機の乗り換えなどで遠くに行っていませんように、と願う。デリー経由で他国に向かっていたりしたら最悪だ。

以前、アメリカに行った時に空港スタッフのミスで私の荷物が別の空港に行ってしまい、2~3日しないと戻って来ないということがあったから、それ以来手荷物に2日分くらいの着替えは入れているが、お風呂関連のもの(液体系)はすべてスーツケースに入れていたことを思い出し、メイクのクレンジングや化粧水がないことに絶望した。

小さなことだけれどホテルのボディーソープでメイクを落とし、化粧水をつけずに寝たら絶対肌が荒れる。せっかく小分けの小さなものを持ってきたのだから、手荷物検査に引っかからない程度に1~2個で良いから手元に入れておけばよかったと激しく後悔。

不安な時間

気が付くと私の周りにはインド人スタッフが5~6人集まってきて、みんなであーだこーだと言いながら、私の荷物を間違えて持って帰ってしまった人に次々電話をかけたりメールを送ったりして対応してくれていた。

1時間ほどそのような状態だったがやはり応答はなく、彼女たちの判断で、その客の電話番号に私からも連絡を取ってみるように、と言われ、スタッフの集団は解散。その中の1人が、疲れてぼんやりしている私を、ここでなにか食べながら待っていたらと言いながら、空港内のフードコートに連れて行ってくれた。

なにを食べたか忘れてしまったが、機内食を完食していたのであまりお腹も空いていなかったが、せっかくなのでとメニューを見る。インドに来る前にaudibleで聴いていたあるインド旅行記にドーサという料理が出てきており、それを試してみたいなと思っていたらたまたまドーサを売っている店があったから列に並んだ。

日本で並ぶような間隔で立っていると、次々と後から来たインド人たちに抜かされた。永遠に抜かされ続けるから永遠に注文の場所まで行けない。

冷静に考えれば、抜かすなと声をかけたり、自分も距離を詰めたりすれば良いだけの話だが、頭がぼんやりしており(日本時間だともう寝る時間)、まぁいいやと思って諦め戻ると、先ほどのスタッフになにか食べろと強い語気で言われる。

あんまりお腹空いてないし、別にいいかなと思って、、、とごにょごにょ答えると、彼女本人が並んでくれて、私の希望のものをオーダーしてくれた。見ているとお腹が触れ合うくらいの距離で並ばないとダメなようだ。文化が全然違う。

なんだか料理一つ注文できない子どもみたいな自分が情けなく感じたが、ドーサを食べる機会があってよかったし、日本人の洗練されたホスピタリティとはまた違う形でのスタッフの優しさが心に染みた。

空港のフードコートで食べたドーサ

合計2時間ほど待ち、先ほどの電話番号からようやく折り返し。あの残されたスーツケースの持ち主は日本人駐在員の妻の方のもので、電話はその駐在員である夫の方からだった。

電話には気が付いていたが、怪しい電話だと思って対応しなかった。帰宅してよく見たら取り違えだと分かった。申し訳ない。今から空港に戻る。とのこと。

人間誰しもミスはするし、私が先にスーツケースを取りに行っていたら同じことをしていたかもしれない。

とにかく連絡がついてよかった。

数十分待ってご夫婦がゲートにいらした。私は無事に自分の荷物と再会。だが、その人たちの荷物の行方が分からないことに気づいた。

搭乗券がないと空港の中には入れないので、とりあえず捕まえた空港職員に状況を話し、残された方のスーツケースの行方を捜す。

私が自分のことでいっぱいで、そのスーツケースがいつどこに運ばれて行ったのか見ていなかったことが悔やまれる。それは私の責任でもあるなと思い、ご夫婦を手伝うことにした。

空港職員たちは、なぜ私が他人の荷物の心配をしているのか理解できず、話をしても信じてくれなかった。じゃあ本人と会って確認して欲しいと言い、職員の一人をご夫婦の待つ空港の出口に連れていく。そこでもあーだこーだと話し、今度は妻の方が1人で空港の奥の方へ連れて行かれた。

私は自分の荷物が戻ったし、予約していたホテルにようやく向かえる状況だったが、そのご夫婦が心配だったので、夫の方と一緒に待つことにした。世間話をしながら30分ほど待ったが妻の方は戻って来ない。

空港に着いてから3時間以上が経過し、ホテルでくつろげるはずの時間をだいぶロスしていることを思い出した。疲れも溜まっているし、そろそろホテルに向かおうと思うということを伝えた。

ようやくホテルへ

交通手段は決まっているのかと聞かれ、特にないからタクシーで向かおうと思うと伝えると、その駐在員の方は自分の会社から支給されている運転手付きの車を貸してくれた。

素直にそのご好意に甘えることにし、インド人運転手と一緒に空港の駐車場に向かった。妻の方とその荷物が心配だったが、自分の体力も限界だったので失礼することにした。

そのインド人運転手は30歳くらいの体格のしっかりした男性で、明るくフレンドリーな性格だった。日本語は話さなかったが、かつて日本で働いていたこともあり、インドでも日本人相手の仕事をしているから少し安心できた。空港近くのエアロシティーという、インドでは異色の近未来都市のようなエリアでメジャーな外資系ホテルを予約していたので、名前を言うだけですぐ認識してくれて助かった。

地図で見るととても近かったのだが、道路の作りがややこしく、一方通行の場所も多いため、ぐるっと迂回して行かなければならない。エアロシティーという地域に入るためのセキュリティーチェックがあったり、ホテルの入り口にさらにチェックがあったりと、日本とはだいぶ違うことに驚いた。

最初は当たり障りのない会話をしていたそのドライバーだが、しだいに日本人女性が大好きだから私の連絡先を知りたい、もっと仲良くなりたい、というようなことを言い始めた。私本人ではなく、私の日本人女性という肩書にしか興味がないのがバレバレだったので、そのような発言は聞こえないふり。人格を見ずにモノのような扱いをされたのが嫌だったけれど、不安だったタクシーの交渉をしなくて済んだし交通費が浮いたからまぁいいやと思う。

某ホテル予約サイトで安くなっているタイミングを狙い予約したので、日本のビジネスホテルくらいの値段で利用できたが、その日泊まったホテルはいわゆる5つ☆の外資系のところだったから、ロビーの内装や優雅な雰囲気にテンションが上がった。

翌朝違う場所に移動するため、また空港に戻らなければならないので、滞在時間が10時間もないのが勿体ないなと思ったが、一番安い部屋でも日本と変わらないクオリティーのシャワーの水圧やお湯、キレイなトイレやベッドが使えることが嬉しかった。無事に洗面用具とも再会し、スキンケアもできた。

ホテルの水回り

洗面台の下のゴミ箱に、小分けのクレンジングや化粧水、乳液などの入っていた、小さな空になった袋を捨てたら気分がすごくすっきりした。こうして毎日ひとつひとつ要らないものを手放していこう。

批判を恐れて4年以上海外に行けなかった自分も、人の目を気にして飛行機でなかなか脚を伸ばせなかった自分も、列に割り込まれて食べ物の注文を出来なかった自分も、全部手放していこう。これからはもっと自由になって自分の心が求めることを優先し、身軽になっていこうと思った。

初日からこんなにも盛沢山になるとは思っていなかった。クタクタに疲れていたので、部屋に置いてあったハーブティーをいただき、早々とベッドに入った。


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