ほこり

不妊治療の記録。 結婚6年目、治療4年目。32歳共働き同い年夫婦。 流産経験あり不育症…

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不妊治療の記録。 結婚6年目、治療4年目。32歳共働き同い年夫婦。 流産経験あり不育症。現在アスピリンとヘパリン自己注射にて妊娠継続中です。

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はじめまして

北関東在住、32歳同い年共働き夫婦です。 夫はデスクワーク、私は技術職をしています。 入籍は2017年12月、結婚5年目。 不妊治療2年以上、現在は体外受精と顕微授精をしています。 流産歴あり。7w手術済み。 現在は2度目の流産判定(7w)が出たところで、 自然排出を待っていましたが出てくる気配がなく 掻爬手術をすることになり、入院待ちです。 来週手術をすることになると思います。 7wが越えられません。 記録として今までの治療歴と気持ちを綴っていきたいと思います。

    • 2回目の採卵

      2月中旬にリセットがきて、 エコー、血液検査のホルモン値共に 妊娠前の状態に戻っていたので、 また治療に戻ることになった。 今回で5個あった胚盤胞は全部移植してしまったので 採卵からやり直し。 4月から保険適用になるが、保険適用だと いろいろ道具や使える薬、当日の器具のコストが 下がるため、 (当時まだ定まっていないことが多すぎて 病院側も予想の範囲でしか話せなかった) 最後の助成金をもらうのを前提に 3月までに採卵を自費ですることになった。 軽く70万くらい飛んだ。

      • 流産と、その後

        その後年明け1/4に再診。経過観察 1/20に再診。まだ血溜まりが子宮内にある 2月頭に再診で、血溜まりがまだあるものの このまま生理が来て一緒に流れるだろうとのこと。 もう来なくていいよと言われたので、 これで大学病院の治療は全て終わった。 長かった。精神的に辛く長かった。 余談だけど 1/20に診察行ったら、医者に 「今日はどうしましたか?」って聞かれたの。 ビックリじゃない? 年末に稽留流産の処置をアンタにしてもらって 入院してたんだけど。 1/4にも来てたんだけ

        • 2回目の稽留流産手術(3日目)

          前回の手術は半日で帰宅してたので まさか3日目も病院にいるなんて思っていなかった 12/30(木) 3日目の朝 看護師さんに「今日は帰れると思うよ」と 言ってもらえた 午前の診察 太鼓判を押されたわけではなかったけれど バルーンを全部抜いて半日経って 特に出血が増えている様子もなかったので とりあえず退院していいよ でも帰って出血増えるようなら即連絡 という感じで退院できた 子宮内は出血が固まってきているらしい たしかにレバー状の固まりが ボロンボロン出ていた 夫は飛ん

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        はじめまして

          2回目の稽留流産手術(2日目)

          夜中は明け方4時くらいまで寝れず 寝返り打つのに15分かかる バルーンから繋がる管からベッド脇のバッグに 血がどんどん溜まる 尿道カテーテルも入っているので尿意はなし 子宮収縮剤を飲み始めたら収縮が 始まったのか下腹部が雑巾搾りされている感覚 辛かった なんで私ばかりこんな思いしなくちゃならないの 何回も考えた 気を紛らわすために携帯でゲームをしたり 今までの不妊治療を思い出して泣いたりした 人は起きてしまった辛い出来事に意味を探す 「これはきっと○○ってことだったんだ」

          2回目の稽留流産手術(2日目)

          2回目の稽留流産手術(1日目)

          12/28(火) 9時 大学病院で入院受付 コロナのため面会禁止、夫とは入院する階の エレベーター前でお別れ 9時半 ラミナリア入れる 痛くないはずの処置だったと思うけど 作業が全体的に雑! 10時 点滴入れる、バイタルチェック 13時 手術室へ(自力で歩いて行く) 13時15分頃 麻酔かけられる、処置 16時 はっきり意識が戻る 手術自体は15分くらいで終わるもの、 30分後には麻酔から覚醒しているはず 術後のトイレは看護師付き添いで ちゃんと出るか確認と言われてい

          2回目の稽留流産手術(1日目)

          当事者にしかわからない

          不妊治療のクリニックから出て 一般人が行く産婦人科に行くと いかに普段自分が世間から守られているか よくわかる。 それだけ世間から遮断された空間で 守ってもらわなければならないほど 今の社会は不妊について無知な人が多すぎる。 傷つく場面が多すぎる。 心を守ることが本当に大変なんだと 実感させられる。 当たり前のようにこなしていく人が大多数の中 なにも悪いことしてないのに取り残されること。 努力じゃお金じゃどうにもならないこと。 頑張ったら必ず結果がついてこないこと。 後戻

          当事者にしかわからない

          現実は怖い

          大学病院の初診予約を取り、紹介状片手に 病院に行った。仕事は中抜けさせてもらった。 大きい病院の産婦人科は初めてだった。 ここで地獄を見ることになる(笑うところ) まず暗い。年寄りばかり。空気重い。 良くなるものもならない気がした。 産婦人科で受付して座って待っていたら 隣に、正統派ヤンキーみたいなお姉ちゃんが いた(推定25くらい) マタニティマーク着けていたし、看護師さんが 「母子手帳もらってるー?」と大声で確認してたので 妊娠してるのか、週数同じくらいだったんだな

          現実は怖い

          出てこない

          流産が確定した。 まさか自分がなぁ、人生で不妊治療してるとも 思ってなかったけど、流産するなんて。 それも2回も。 赤ちゃん側に原因があると言うけど、 ちょっと違うんじゃないかな。てか不育症になるのか。 これからどうするんだろう 悶々としていた。 先生は週数が浅いことと、胎嚢しか見えなかったので 今回は自然排出を待っても良いんじゃないと 言ってくれたのでそうすることにした。 前回は産婦人科の初診で流産確定したので、 あれよあれよと手術になったため 不妊のクリニックで流産が確

          出てこない

          2回目の流産

          移植⑤の判定日は夫も来ていて。 2人で病院の帰り道喜んだ。 前回の子はグレードも4AA hcgも833あったけどダメだった。 今回の子は4BB、hcgも157 でももう数字じゃないと思った。 育ってくれればなんでもいいと。 すごいじゃないの私の子。 1年以上も凍らせてごめんねと、思った。 胎嚢確認は夫の誕生日で、無事確認できた。 でもやっぱり少し小さめだった。 胎嚢 平均 とかですごく検索した。 でも気にしても仕方ないと言い聞かせて過ごした。 そのあとすぐ結婚記念日だった。

          2回目の流産

          最後の胚盤胞

          11月に移植⑤ 1年前の9月に採卵し、5つあった胚盤胞 1年以上かけてひとつずつ戻して これがついに最後の凍結胚。 グレードは4BB 7月にEMMAで子宮内無菌とわかったので インバグとラクトフェリンでラクトバチルス対策を 打ち8月に移植するも陰性。 先生が、Th1Th2の値が、基準値内だけど 少し高めだから免疫抑制剤飲んでみる?と 提案してくれた? ちなみに検査したのは3月で、14.7 おや?と思う人は多いかも。 カットオフ値10.2とかですよね確か。 うちのクリニック

          最後の胚盤胞

          神様はいない

          8月に移植④ この移植の前に車中泊しながら白馬のほうまで 遊びに行っていたので、帰りながら 戸隠神社に行ってきた。 参道2キロはとても長かったけれど、 大杉の並木道を歩いていくのは気持ち良く 達成感もあった。 いっぱいお参りして願いを込めて 移植したのは4AA 1回目に着床し流産した子と同じグレード でもダメだった。 神様いねーな!と笑ったな。 9月に子宮鏡検査をしたら、 素人目に見てもわかるくらいキレイな子宮で 少し安心した。

          神様はいない

          移植は続くよどこまでも

          2021年になり、1月にリセットがきたので 2月にプラノバールでまたリセットを起こし ホルモン補充で3月に移植②→陰性 そのまま連続で4月に移植③→陰性 カスリもしないので、先生に着床不全検査を すすめられることに。 ERA EMMA ALICE のそう、TRIO検査。 私の場合は1回着床し、しっかりhcgも出ていたので 窓ズレはないんじゃないかとのことで ERAは行わず、ラクトバチルスの検査EMMAと 慢性子宮内膜炎検査のALICEをした。 これが過去1つらかった。痛す

          移植は続くよどこまでも

          流産の後

          2020.12.16に掻爬手術をして、 12.23に術後1週間後の診察で特に問題もなく、 あとは生理がまた来たら治療に戻れるとのことで ここで産婦人科は終わり。 12.24から仕事も復帰、大晦日まで働いた。 ただこの年のクリスマスから年末にかけての 記憶がすっぽ抜けてて覚えてない。 夫もよくわからないと言う。 2人ともそれだけ今を生きるというか 過ごすことでいっぱいいっぱいだった。 夫はあの時の私は廃人のようだったと 家の中も暗くて嫌だったと言う。 気がついたら正月になっ

          掻爬手術

          「早く処置しちゃったほうが早くまた治療に戻れるからね!大丈夫大丈夫!」と 産婦人科の先生はテキパキと日程を2日後に決めた。 今となっては悲しむ隙を与えないようにしたのか ただ単に慣れているのかよくわからんが 気持ちは完全に着いていけず、わりとボロボロで迎えた2日後。 朝9時に夫に病院まで送ってもらったら (コロナ禍なので中は入れず) 隣の車から臨月でお産に来た妊婦が 旦那さんに見送られ がんばってくるね〜と笑顔で手を振っていた。 あの人はここ数日で赤ちゃんが産まれるんだなあ

          掻爬手術

          移植1回目

          2周期空けての初移植、 2020.11.13は、初めて人工授精をした日から ちょうど1年後。 夫が禁煙してからちょうど1年になるこの日に 初めて受精卵をお腹に戻してきた。 その結果11月25日にhcg833.1で 陽性判定をもらうことができた。 本当に嬉しかった。 子供が欲しいと思ってから、なにひとつ 上手くいってると言われたことがなかったので この日は本当に嬉しくて、 ふたりで焼肉を食べてお祝いした。 その後、5wで胎嚢も確認できたので 産科に予約を取りなさいと言われ、

          移植1回目