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移動の予言とその記録。

 大学生の頃に、台湾に旅行に行った。
おいしい飲茶を食べるとか、九扮にいって千と千尋の気分に浸るとか、でっかい本場のタピオカを楽しむとか。台湾ならではの楽しみはたくさんあるけれども。

その中の一つに「占い」があった。
日本ではあまり見てもらうことってないけど。
台湾のなら面白そう。あたりそう。
ということで、旅行プランに組み込み、友達と一緒に見てもらいに出かけた。

「ここ有吉とか檀蜜とかもみてもらったことあるんだって。あたるんだって。」

得意げにいう友達におおー!と拍手を送る。
それは楽しみだ。

地図と格闘した先にようやくたどり着いたお家にいたのは、ぽっちゃりした愛嬌のある占い師さんだった。
日本語の通訳付きで分かりやすい。

テレビに出るくらい高名なので、やはりそれなりにいいお値段したけれども。
見てもらった年から2,3年先ぐらいまで予言してくれたので、なんかこれはこれでお得かも。と思った。

今後2.3年間の運勢の中でも気になったのは、「あなたはたくさん移動します」というものだった。

はて、どういうことだ???

「仕事の部署的な異動か、土地的な移動か、はっきりとは、わからないけど、これからさきの数年はたくさん動きます。親御さんとも遠い距離になります。」

ということだった。

えー、どっちにしてもあんまり動きたくはないな。転職とかしちゃうんだろうか。

今は実家暮らしだけど。私がどこか遠くに引越しとかしちゃうんだろうか。


なんか気になるなー。

私はどこに行くんだろう。

引っかかってはいたけど。

いろんな日常に飲まれて、そんな予言も忘れてしまった。

しかし、これがのちにこんなに的中するとは。
占いって侮れない。











 今や、都会人のふりをして毎日電車に乗っている。「やー、田舎から念願の都会にやっと帰ってきたよ。」と現実でもnoteでも何度も、何度も発言しているけれど。

実は私は、



東京の生まれではない。
というか、東京に住むのは初めてである。

ごく最近まで、伊豆の温泉宿で働いていた。


じゃあ、静岡県の生まれ???

これも違う。


 静岡県に住んだのは約2年とちょっと。
就職の勤務地がたまたま静岡だったというご縁である。

 つかの間の海辺生活だった。
海抜数メートルの、歩いて10分ほどでビーチに辿りつくような場所に住んでいた。ご近所にはひもの屋さんが並び、道端の排水溝からは温泉の湯気がのぼる。夏休み期間中は毎日、大砲みたいに花火がぶちあがるリゾート地での生活だった。



 在籍中一時期、長野県に住んでいたこともある。働いていた伊豆の旅館がリニューアルのための工事に入り、休館。
三か月間だけ長野県は松本に応援に行っていた。東京からあずさにのって、ぴゅーっと1、2時間くらいで着くような場所だけど。

とにかく、標高が高い。
 着いたときに「なんか、頭がふらふらします。」と言ったら、それはもしかしたら、気圧のせいかもしれない、と松本の社員さんにあっさり言われた。
「なんせ、東京スカイツリーくらいの高さがあるからね、ここ」

どうりで、海抜8メートルから来た人には、酷なわけだ。
深海から吊り上げられたアンコウみたいに、内臓が飛び出ちゃったらどうしよう・・・・!

ということは流石になかったけど。
しばらく、頭のふらふらが取れなかった。

冬場の長野はとても寒くて、いつも晴れると太陽がギラギラしていた。
旅行で行ったときのロサンゼルスに負けない日差しだ…、と言ったら、「たとえがわかんない」と一緒に赴任した同期にぽかんとされた。


でも、松本城はすごくきれいで、気に入っていた。お蕎麦も美味しい。安曇野の方にも、いつかもう一回行ってみたいね。




長野もわかった。

伊豆もわかった。

じゃあ、それまでどこに住んでいたのか???といえば、




北海道の札幌に住んでいたのです。

えー、この人雪国の生まれだったんだ!

と、驚いているかもしれない、私のフォロワーさん。


残念ながら、違います。

 私が北の大地に住んでいたのは、大学卒業後の春から夏にかけての半年間だけ。

雪にさらされる時期の札幌には、いったこともない。ゆえに、雪まつりも観たことがない。見てみたい。

 私の会社は入社月が選べる珍しい会社で、4・5・6・10・2月といろんな時期に新入社員が入ってくるシステムを取っていた。
私が選んだのは10月入社で、札幌に住んでいたのは、半年ほど。
小樽・美瑛・富良野・函館、ちょっと遠出して、青森。
新緑とラベンダーと青い池と、涼しい夏という、おいしいところだけを味わい尽くし、つかの間の北海道生活を楽しんだ。

 なんで半年間だけなの?という疑問にお答えすると、大学まで一緒に暮らしていた両親の北海道への転勤が、私の大学卒業と同時に決まってしまったからである。

北海道に住むなんてなかなかできないと思って、10月入社を選択し、半年間だけ一緒にのこのこ札幌へ引っ越してきたのであった。

両親は今でも北海道。遠い。



さて、私たち一家は、いったいどこから北海道に移動したのだろうか????


北海道に行くまでは、

神奈川県の横浜市に住んでいた。
そう、私はハマっ子なのだ!

小・中・高・大すべて、神奈川県で過ごした。
だから、知り合いも友達も、横浜や東京に多い。
関東に戻ろうと思ったときも、本当は横浜に住みたかった。もう一度ハマっ子に戻りたかった。でも、満員電車の通勤とか、家賃とかいろんなことを考えて、結局今ははじめての都民をやっている。

学生時代はよく、みなとみらいで遊んでいた。
今でもみなとみらいの雰囲気が大好きで、たまに出かける。

横浜の人は、出身はどこですか?と聞かれると、「神奈川県。」とは答えずに「横浜。」と答えるくらいに、横浜愛が強い。
小学校では校歌と一緒に、横浜市歌を必ず歌うし、学校における地域の歴史や特産品についての学びにも、かなり力を入れている。

小学生当時、私はなんでみんなこんなに横浜のことを勉強するんだろう…とびっくりした。

市歌まで、歌っちゃって。



なんかすごいところにきてしまったな・・・・

と思っていた。


そう。
私は横浜市歌は歌えるけれど、

生粋のハマっ子ではないのである…。


ご出身はどこですか?


と聞かれた時に私が答えるのは、「神奈川」でも「横浜」でもなく。









明太子の国・福岡県です。


ここまでいろんな地名が出てきたけど、流石にこれで最後。

両親の転勤は一度ではなく、2度目だったのです。振り回された方、
お疲れ様でした。ゴール!


生まれと育ちは、福岡なんよね〜。今やなんの癖もない標準語を話せるけども。両親とはいつも福岡弁で喋りよるけんね。

明太子も梅枝もちも通りもんも大好き。ひよこまんじゅうは東京のものじゃなくて、福岡のものだと思っている…笑


住んでいたのは小学4年生まで。

だから出身とはいえ、あまり土地勘もない。でも、ものすごく愛着はあるし、都会の生活を見ていると、子どもの時は田舎でのびのび過ごせてよかった!と、よく思っている。

いまは都会が好きだけども。車の運転が苦手なので…。電車便利。


20代にして各地を点々としすぎていて、自己紹介が毎回めんどくさい。
出身と実家が合わない。
きた場所と、元からいた場所が合わない。

実家を答えたときに、私も北海道出身!と共感して距離を縮めてくれようとする人に、いえ実は…とかけ離れた南の土地を告白せねばならない。かといってその南の土地のこともよく知らない。なんかもうめちゃくちゃ。



でもいろんな土地に住んで、いろんなものを見て体験できたのはよかったなーとも思っている。いい経験だった。

もう、しばらく動きたくはないけど笑


振り返ると、横浜以降の移動はごく数年の出来事。本当に激しい変化だ。
何回段ボールに詰める作業を行ったことか。


占い師さんの予言がかくも的中するとは…思いもしなかった。

占いって、本当に侮れない。


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