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『シン・ウルトラマン』の「友情」とは、「強大な力でも従えられない存在とのプラスの繋がり」なのではないか


 
 
 
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注意 


 
 
 
 『シン・ウルトラマン』の上映が迫る中で、私は、「空想、友情、浪漫」のテーマが予告動画に挙げられているのに注目しました。
 
 
 この記事では、「友情」を、私がウルトラシリーズに関連付けている作品から考察します。
 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の重要な点も明かします。ご注意ください。
 
特撮テレビドラマ
『ウルトラマン』
 
 
特撮オリジナルビデオ
『ウルトラマングレート』
 
特撮映画
『シン・ゴジラ』
 
 
テレビアニメ
『新世紀エヴァンゲリオン』
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボール超』
 
アニメ映画
『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』
 
漫画
『ドラゴンボール』
『新世紀エヴァンゲリオン』
『ドラゴンボール超』
『鋼の錬金術師』
 
 
小説
『二重螺旋の悪魔』
『玩具修理者』
『酔歩する男』
『邪神金融道』
 
 
映画
『ターミネーター』
『ターミネーター2』
『ターミネーター3』
『ターミネーター4』
『ターミネーター・ジェニシス』
『ターミネーター・ニュー・フェイト』
 
 
 

はじめに


 
 1つの可能性として、ウルトラマンが「メフィラス」やザラブ星人らしき存在により、何らかの罠で人類の多数から信頼されなくなり、「霞ヶ関の独立愚連隊」と呼ばれる「禍特対」だけが信頼して周りと対立する「友情と浪漫」を考えました。
 しかし、官僚や政治家の仕事の目線で描かれた『シン・ゴジラ』や、少年少女の目線の親子愛や恋愛を重視する『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』には、「友情」の概念があまり見られません。
 『シン・ゴジラ』で日本の政治家である主人公の男性と、米国大統領を目指す女性の間にあるのは、「友情」なのか曖昧だと言えます。また、『シン・エヴァ』での同年代の少年少女は、同性でも恋愛の要素が強いと言えます。
 そもそもウルトラマンは、『シン・ゴジラ』では成り立ちにくい「人間に善意があるが、人間ではない存在」であり、『シン・エヴァ』でも人間に善意を持つのは、人間の要素を持つキャラクターばかりです。
 

『ウルトラマングレート』の「友達」


 
 そこで、ウルトラマン独特の「友情」を、『エヴァ』などを通じて私なりに定義しますと、「強大な能力を持つ存在でも、その能力で従わせられない相手と対等な関係を持ちたいと願う感情」になりました。
 まず、『エヴァ』と深く関連付けた作品として、『ウルトラマングレート』があります。
 そこから、『二重螺旋の悪魔』、『ターミネーター』、『玩具修理者』、『酔歩する男』、『鋼の錬金術師』、『ドラゴンボール超』、『邪神金融道』を挙げます。
 小説も含めて、重要な展開に迫りますので、ご注意ください。
 まず『グレート』(ここからは私の観た吹き替え版に絞ります)は、オーストラリアで人間による環境破壊により怪獣が目覚めたと批判する展開が多く、大気汚染でウルトラマングレートが3分間しか巨体を維持出来ない設定があります。
 細胞から怪獣を生み出して、全ての生命を吸収しようとするゴーデスは、火星でグレートと一体化する前のジャック・シンドーと、その同僚のスタンレーを襲い、シンドーはスタンレーを助けようとしたものの間に合わず、彼がグレートと共に生き延びました。
 スタンレーはゴーデスに吸収され操られましたが、「ゴーデスこそ神だ。人間を捨てたい」と、怪獣となりました。
 しかし、スタンレーは「友情は僕には無縁だ」と言い、シンドーの「君を救い出したいんだ」という説得に「火星で聞きたかった台詞だな」と嫌味のように返したのが、のちに重要になります。
 スタンレーの意識を吸収して復活したゴーデスは、グレートまでも吸収しましたが、「人間も含めて全ての生命は私に吸収されるのが幸せなのだ」と正当化しました。シンドーは「お前の言うことは信用出来ない」と返しました。
 シンドーは、それ以前からゴーデスが人間に直接感染しなかったのを指摘されて理由を尋ねられたときに、「奴は全てを食い尽くします。全宇宙の破壊者として」と、理由になっているのか曖昧な断定をしていました。友人の仇だとして、感情的になっているところがあります。
 しかしシンドーは、ゴーデスが「見るがいい!人間による大気汚染でグレートは苦しんでいるではないか」と指摘したときに、初めて「かわいそうな奴だ」と言いました。
 つまり、ゴーデスが最大の邪魔者であるグレートの心配をしないこともないという「事実」に、ゴーデスなりの善意、「意見」を認める余地が生まれたのでしょう。
 そしてシンドーはゴーデスに「かわいそうな奴だ。全生命を吸収して、お前は友達もいないまま孤独に生きるのか?」と問いかけ、動揺させてグレートを勝たせました。
 ゴーデスが動揺したのは、スタンレーの意識を吸収したのも原因として考えられます。シンドーに「火星で友達だと言ってほしかった」というスタンレーの一見嫌味に映る台詞は、「友達がほしかった」という本心もあり、「唯一の神になりたい」というスタンレーの心を受け入れたはずのゴーデスが、「友達がほしい」という感情を受け入れ切れなかったのは、「神」と「友達」という願望に矛盾があるためとも言えます。

 そして、シンドーもゴーデスに「対等な心配」をして、動揺させたのです。
 
 

全能の神のパラドックス


 
 
 「友達」から少し離れますと、全知全能の神はいるか、という問題は、古くから哲学者を悩ましてきたとされます。
 『ヱヴァンゲリヲン研究序説:Question』では、「SFを扱う人間には、全知全能にして善なる神という概念を疑う人間が多い」とあります。
 おそらく、「友達」とは、対等な関係でのみもたらせる利益があるのでしょう。やや冷たい表現ですが、「友達」を求めるのも「利益」があるためだと言えます。だから悪いとは言い切れません。
 たとえば、全能の神に関するパラドックスで、「自分に持ち上げられない石を作れるか」というものがあります。自己言及のパラドックスにも繋がるものです。
 その意味では、ただ石の塊を切り出せるだけの人間が、「自分に持ち上げられない石を作る」という神を超える能力を持つとも言えます。
 私が以前書いたように、『裸の王様』の「愚か者には見えない服」は、逆に愚か者こそ服の下をすり抜けて見ることが「出来る」という現象が起きます。単なるトートロジーをひねっただけですが。
 
 

 
 
2022年4月19日閲覧
 
 相手に分からない武器を持つことが「出来る」宇宙人は、丸腰になっても相手に証明「出来ない」のです。
 このように、出来ないことがあるからこそ、新しい「出来る」ことを開拓出来ることもあれば、出来ることがあるからこそ、新しい「出来ない」壁を生み出すこともあるのです。
 スタンレーも科学者として、シンドーとの議論を楽しんでいるところは見られたので、彼はおそらく、互いに反論出来る対等な関係だからこそもたらせる感情も含む利益を知り、それを「友情」に近いものとして感じていたのかもしれません。
 ゴーデスがシンドーとの議論で鋭い事実を指摘したように、ゴーデス自身もスタンレーを通じて、その「自分に従わない存在だからこそもたらせる利益」を求めたことで矛盾した可能性があります。
 

『二重螺旋の悪魔』などの「対等さ」


 
 
 『二重螺旋の悪魔』では、ゴーデスに似た特徴を持つ「宗教的存在」がおり、それはゴーデス以上のエゴイズムの塊でした。
 しかし、自分のある利益のため、「多数の人間が自分に迫る能力を得るのは許さないが、1人だけならむしろ遊び相手になる。お前だけはそうしてやる」と人間に交渉しました。
 これも、「自分に操れない存在だからこそもたらせる利益」を求めるからこそ孤独を避けると言えます。
 ちなみに、その「宗教的存在」の求める「利益」は、ある物理学用語に関わりますが、これはエネルギーの自由と平等を重視する概念です。
 『ターミネーター』では、人間を冷徹に攻撃する機械の起こす戦争において、機械に操られているに過ぎないターミネーターが、『ニュー・フェイト』では、ある「敗北」によりむしろ「自由を得た」と主張しています。さらに、『ジェニシス』には機械の「スカイネット」に所属するターミネーターが、「人間は理解出来ないものを殺すばかりだ」と批判していましたが、別の世界観である『ニュー・フェイト』では、ある事情から互いに理解し切れないターミネーターが会話しています。それは『2』や『3』にはなかった独特の概念であり、機械が機械を一方的に操ることの限界から生じた、ある種の「対等」な関係です。それがアメリカ流の「自由」と「平等」かもしれません。
 『玩具修理者』では、人間の子供と恐ろしい契約を交わす存在がいますが、契約に関しては律儀だと言えます。
 『酔歩する男』では、ある特殊能力を手に入れたと言える人間が、同じ状態の相棒だけを目障りに感じ始める描写がありました。また、その能力は正確には、本来の能力を失った状態とも言えるもので、二度と抜け出せず、「神に許しを求める」までになりました。
 『鋼の錬金術師』原作の最後の敵は、「神」に迫ろうとした存在でしたが、自分の分身とも言える人間だけは特別視したのが仇となり失敗し、人間にも自分にも個別に存在する「分身」のような「真理」により、自分の発言を利用されて批判されました。

 『ドラゴンボール超』では、人間を軽んじる神が、過去の自分の言動や約束は重視するところがあるため、そこに「対等な契約」のもたらす「神と人間」の独特の関係があります。特に、天使は中立的に事実を述べるのが多いと言えます。
 『ドラゴンボール超』では、神々の頂点である全王が、タイムトラベルで世界ごと分岐したとき、未来の全王が自分の属する並行世界を消し去ったあとに、主人公の人間である孫悟空により「過去」に当たる世界に送られました。漫画版では、天使が「悟空さんは全王様をお助けした」と表現して、他の天使を驚かせました。
 元々退屈しのぎのために、物怖じしない悟空を「友達」にした「現在」の全王とどうなるのかは未知数です。
そして、「未来」と「現在」の全王が併存することが、どのような災いを起こすかも、論理から重要になります。「唯一の頂点」だった存在同士による対等な関係のもたらす未知の現象が考えられます。

  また、孫悟空は現在の『ドラゴンボール超』で最強の存在であるものの、出来ないことも多い全王の「友達」となっています。ミスター・サタンが魔人ブウを恐れつつも友達になり和解の糸口を掴んだことに、通じるかもしれません。そもそもサタンと悟空は、強さと実績が対をなし、サタンが「現実の読者にもなれる等身大の勇者」なら悟空は「一握りの存在しかなれない勇者」とも言えます。
 仮に全王が最強であり横暴であるが故に、いずれ何らかの弱点、たとえば「もう1人の自分の暴走」などで魔人ブウのように窮地に立たされたとき、悟空だけが全王を助けるときが来るかもしれません。悟空もサタンも、全王の前では「ドングリの背比べ」ですし。そこに、「怖いもの知らずの主人公が、最強の存在に従わないからこそもたらせる利益」として、「友情」の重要性が浮かび上がるかもしれません。
 『邪神金融道』では、人間の想像を絶するという設定の多い「クトゥルー神話」の神々が、人間の金融業者である主人公に莫大な金銭を借りたものの、現金などで払えない、神々により社会の秩序が壊れかけているなどの事情があります。クトゥルー神話の状況を認識しない主人公が、明らかに恐ろしい存在に「借りた金は返せ」という人間の契約の論理を通し続ける独特の展開になります。この作品は過激な描写のあるハードボイルドに分類されるようですが、人知を超えた存在に人間の知性で対抗するのは痛快とも言えます。
 
 

ウルトラマンと人間の「対等さ」


 
 ここまで来ますと、「友情」とは言いがたい部分もありますが、ウルトラマンと人間の関係も、「一度ウルトラマンが起こした事故をウルトラマンは人間にどう償うか」という問題があるので、ある種の「対等さ」が求められます。
 グレートも苦戦させるゴーデスすら動揺させる論理が、「神に近付く存在ですら友達を求めることの矛盾」なのであり、それは『シン・ウルトラマン』にもあるかもしれません。
 企業と労働者も、現代社会では、「企業は労働者を選ぶ自由、労働者は企業を選ぶ自由があるから平等なのだ」というのが経済の論理ではあります。
 それをどう扱うかも、経済の観点から重要であり、「自由」と「平等」、つまり「自分に操れない相手との対等な関係」を、ある意味でウルトラマンと人間は「友情」と呼ぶのかもしれません。
 
 
 
 
 

まとめ


 「友情」を私は、ゴーデスと他の生命のように、「力の差はあっても自分に操れない相手がもたらす利益を求める感情」だと定義しました。冷たいかもしれませんが、それをどう描くかが『シン・ウルトラマン』の肝要な点かもしれません。
 
 

参考にした物語


 
 
特撮テレビドラマ
樋口祐三ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966-1967,『ウルトラマン』,TBS系列(放映局)
 
特撮オリジナルビデオ
會川昇ほか(原案),鈴木清(プロデューサー),テリー・ラーセン(脚本),アンドリュー・プラウズ(監督),1990,『ウルトラマンG(グレート)』,バンダイビジュアル
 
 
特撮映画
庵野秀明(総監督・脚本),2016,『シン・ゴジラ』,東宝(提供)
 
 
テレビアニメ
庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
 
アニメ映画
庵野秀明(総監督・脚本), GAINAX(原作),1997,『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』,東映(配給)
庵野秀明(総監督・脚本),摩砂雪ほか(監督),2007,『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』,カラーほか(配給)
庵野秀明(総監督・脚本),摩砂雪ほか(監督),2009,『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』,カラーほか(配給)
庵野秀明(総監督・脚本),摩砂雪ほか(監督),2012,『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』,カラーほか(配給)
庵野秀明(総監督・脚本),鶴巻和哉ほか(監督),2021,『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』,カラーほか(配給)
 
漫画
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
カラー(原作),貞本義行(漫画),1995-2014(発行期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,角川書店(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
荒川弘(作),2002-2010(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)
 
 
小説
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ
小林泰三,1999,『玩具修理者』,角川文庫(表題作及び『酔歩する男』)
菊池秀行,2012,『邪神金融道』,創土社
 
 
映画
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1984,『ターミネーター』,オライオン・ピクチャーズ(配給)
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1991,『ターミネーター2』,トライスター・ピクチャーズ(配給)
ジョナサン・モストゥ(監督),ジョン・ブランカートほか(脚本),2003,『ターミネーター3』,ワーナー・ブラーズ(配給)
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)
アラン・テイラー(監督),レータ・グロリディスほか(脚本),2015,『ターミネーター新起動/ジェニシス』,パラマウント映画(配給)
ティム・ミラー(監督),デヴィット・S・ゴイヤーほか(脚本),2019,『ターミネーター・ニュー・フェイト』,パラマウント・ピクチャーズ
 
 

参考文献


 
池上彰,2009,『高校生から分かる「資本論」』,ホーム社
高橋昌一郎,2010,『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性』,講談社現代新書
鈴木炎,2014,『エントロピーをめぐる冒険 初心者のための統計物理学』,講談社
兠木励悟,2012,『ヱヴァンゲリヲン研究序説:Q』,晋遊舎
 
 
 
 
 
 
 
予告動画
『シン・ウルトラマン』予告動画
 
https://m.youtube.com/watch?v=2XK23KGM-eA
 
2022年4月19日閲覧

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