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「自分に手出し出来ない、反撃出来ない強者だけくじく心理」


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注意


これらの重要な情報を明かします。




特撮テレビドラマ



『ウルトラセブン』

『ウルトラマンダイナ』

『ウルトラマンガイア』

『ウルトラマンコスモス』

『ウルトラマンネクサス』

『ウルトラマンメビウス』




特撮映画


『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』

『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』

『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』

『ウルトラマンコスモス THE BLUE PLANET』

『ウルトラマンコスモス THE FINAL BATTLE』

『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』



小説


『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』

『ウルトラマンデュアル』



テレビアニメ

『新世紀エヴァンゲリオン』



漫画


『真実のカウンセリング』




テレビドラマ




『相棒』






はじめに

 多くの物語で、「強きをくじき弱きを助ける」ことを重視することがあります。

 しかし、その構図を安易に用いて歪みが生じていることがあると、私はふと気付きました。

 私は仏教の哲学から、「ひと」、「もの」よりも「ところ」、「こと」の分割を重視して、「人にはある意味強いところとある意味弱いところがある」と考えたことがあります。しかしその視点をひねり、「強きをくじくつもりで、自分に手出し出来ない、反撃出来ない強者だけくじいて、手出し出来る強者から視線や話題をそらして話の勢いで押し切っている場合がある」とここでは挙げます。




『メビウス』のヒルカワ


 まず実例として分かりやすいのは、『ウルトラマンメビウス』のヒルカワです。

 彼はいわゆる「ゴシップ記者」で、何故か防衛チームのGUYSやウルトラマンなどの、多くの場合で賞賛されるべき存在を批判することがあります。

 しかし、最初に取り上げられたらしい隊員のジョージが「サッカー選手の仕事から逃げた」というヒルカワの記事は必ずしも嘘ではないとジョージも認め、ヒルカワのようにウルトラマンや防衛チームを批判する職業も、『ウルトラマンガイア』や『ウルトラマンネクサス』などの他の作品でならば全てを否定はされません。「あることないこと」と表現する人間もいるかもしれませんが、ヒルカワは「あること」も言っており、その説明や弁解をするときに、「分かってほしくないところ」があるからこそ反論が難しく情緒的に反応してしまうのでしょう。



2022年8月7日 閲覧



「正しい批判」の可能性



2022年8月7日閲覧



 ここでは、事実、推測、意見などの区別も重要ですが、まずヒルカワが、「正しく」ウルトラマンやGUYSを批判出来た可能性を挙げます。




 実のところ、『メビウス』のGUYSは最初にほぼ全滅し、ウルトラマンメビウスも怪獣の攻撃でビルを盾にするなどしており、完璧にはほど遠い働きでした。さらに、宇宙人の技術を複製した「メテオール」を兵器に使うなどの、他のシリーズでなら危険視されて失敗する可能性の高い行為もしており、ジョージを含む、その時点で入隊していない民間人にその技術を使用させるなどしています。

 さらに、『メビウス』は昭和シリーズの続編ですが、世界観の繋がらない平成に近い要素として、ウルトラマン同士の対立もあり、青いウルトラマンのハンターナイトツルギは様々な被害を出す戦いをしつつ、かろうじて和解し、ツルギ=ヒカリも反省し、ヒカリを批判する記事を隊員のリュウもある程度は認めています。「青いウルトラマン」という種族の差別以前に、そもそもこのとき暴れた偽物と本物の区別や、本物の行いが複雑で、「外見と中身」の区別が難しいのです。その情報を伝えない主人公達にも責任はあります。


2022年8月7日閲覧


 ヒルカワがヒカリやツルギに言及した場面は見当たりませんが、彼が最初のメビウスの行いやツルギを批判していれば、多少はうなずけるものになりました。ちなみに、小説版『アンデレスホリゾント』でウルトラマンも宇宙人だとして懐疑的な隊員のハルザキカナタは、家族が宇宙人に攻撃されたのもありますが、ヒカリやツルギには言及していません。本編でツルギに攻撃されたサドラを見ているらしいですが。

 というより、『ウルトラマンダイナ』のスフィアが劇場版、『ウルトラマンガイア』のウルトラマンアグルが劇場版、『ウルトラマンコスモス』のカオスヘッダーが劇場版、『メビウス』のヒカリが劇場版や小説版に登場しないように、ウルトラシリーズでは重要な脇役をあえて、他の主要人物を登場させるときに出さないときがあり、関わりそうでしないときもあります。

 そのため、ヒルカワがむしろウルトラマンや防衛チームを「正しく」批判出来たときはあったにもかかわらず、何故か省かれているのです。メテオールの存在が公表されたときなどです。



GUYSの全体だけが全面的に悪いときはあまりない



 しかし、ヒルカワの論調にも、「正しい批判」の限界があります。『メビウス』では、GUYSの「全体」「だけ」の行いが「全面的に」悪いときはあまりないのです。

 たとえば、補佐官のトリヤマが無生物を怪獣化させるグロテスセルを落としたときには、重大な責任がありましたが、このときはその一部が流出して小さな怪獣のようになった置物を民間人が「付喪神様だから商売繫盛に使って良い」と無断で売り払いました。そのあと一部が巨大怪獣になって民間人もトリヤマも慌てましたが、収拾されたあと、隠蔽されました。しかし冷静に考えますと、それは民間人も隠したということであり、何故なら民間人にも都合が悪かったためでしょう。このときは、GUYS「だけ」が悪いとは言えないのです。

 また、優秀な印象のある上官のミサキの進めた、怪獣を音波で部分的に操るハーメルンプロジェクトでは、それが別の怪獣ケルビムに操られて、怪獣アーストロンを間接的に操りメビウスを追い詰めたときに、音波の装置を隊長が補佐官のトリヤマに逆らい破壊し、トリヤマは「もったいない」と言って、普段温厚な隊員のテッペイとコノミにさえにらまれました。ちなみにこの2人とメビウス=ミライは、グロテスセルのときには「何となく言うことを聞いてくれそうで、あとで黙ってくれそうだから」とトリヤマの隠蔽の片棒を担がされています。

 このときのトリヤマは、ハーメルンプロジェクト自体には虫の居所が悪く否定的だったのですが、それでも予算から「自分個人にとって気に入らない計画でも、一度作った装置を壊すのは忍びない」という善意があったようです。それはこのとき秘書のマルに言われた「ケチ」、「臆病」、「器の小さな」、「けれど優しいところもある」の幾つかを満たしています。

 ヒルカワもこのときその場にいれば、「俺達の税金を無駄にする気か?ウルトラマンなんて放っておけよ」と言って、結果的にトリヤマに賛同し、テッペイとコノミにまとめてにらまれたかもしれません。つまり、GUYSの「全体」を批判することは、このときに出来ないのです。内部で互いに批判しているためです。

 また、トリヤマがやはり失敗した、メテオールによる怪獣のコピーであるマケット怪獣のシミュレーションのゼットンが暴走したときには、同じマケット怪獣のミクラスとウインダムも活躍しており、このときヒルカワが不用意に「怪獣なんて使わなければ良いんだ」と言い出せば、あとでマケット怪獣が役に立ったときに恥をかくかもしれません。つまり、GUYSのメテオールが「全面的に」悪いとも言えないのです。

 医大生のテッペイが母親に黙って入隊したときは、連れ戻そうとした母親が、トリヤマがミスで流出させた怪獣の幼生を運んで病院で大量発生させてしまいました。しかし、仮にヒルカワがこのときゴシップ記事にしようとすれば、ヒルカワが怪獣を流出させて知り合いに被害を出して「GUYSだけでなくお前のせいでもある」と言われたかもしれません。つまり、彼が民間人の代表として「完全な被害者」になるのは難しいのです。ちなみに『ダイナ』でスーパーGUTSの武装を批判する記者も、知り合いの警告を無視して危険な怪獣を放置してしまいました。その責任をある程度取ろうとしたのか、記者には珍しく少し戦いました。
 そもそも、『ガイア』ではアネモス、『ネクサス』ではビーストなど、多くの人間が認識することでかえって被害を広げる危険な存在もおり、マスコミも被害を悪化させる可能性はないとも言えないのです。

 



ヒルカワに「手出し出来る強者」もいることが無視される


 結局のところ、『メビウス』はそれまでのウルトラシリーズに当てはまらないハイリスクハイリターンな「綱渡り」をしており、ある強さが裏目に出たり役に立ったりすることが不規則的で、ヒルカワのような批判もハイリスクハイリターンな不安定なものです。


 しかしヒルカワの狡猾なところは、ここからがこの記事で重要なところですが、「自分に手出し出来ない強者ばかりくじく」ことです。

 確かにウルトラマンは危険な能力を持った強者であり、防衛チームは能力だけでなく部分的な権力を持っています。

 しかし、確実なのは、この2者は、基本的にヒルカワのようなジャーナリストに暴力を振るえない「ルール」や「信頼」で縛られていることです。

 宇宙人であるウルトラマンが気に入らない人間を攻撃すれば、たちまち信頼を失い侵略者と同じ扱いになります。『ウルトラセブン』のアンノンやペガッサ星人など、一部の人間には攻撃しない宇宙人もいますが、それでも1人でも人間を攻撃すれば、別の人間を守る正当防衛でもない限り言い訳になりません。それはそれで「弱者を守る」ルールです。

 防衛チームも、民間人に暴力を振るえば、直ぐに上層部や政府から権力で罰を受けます。あくまで日本の社会は民間人の選んだ政治家の決める法律で支配されているのであり、その権限の一部を隊員が持っているに過ぎないはずですから。それも、本来は「弱者を守る」ルールです。

 しかし、それに縛られない別の強者を、ヒルカワはくじいていません。ヤプールとエンペラ星人です。

 侵略者であるヤプールに捕らわれたとき、ヒルカワは命乞いしてミライを殺そうとしています。それでも自分を助けたミライの正体がメビウスであることを記事にしていますが、倒されたヤプールのことは取り上げていません。

 ヤプールが何度も蘇ることも考えたかもしれませんが、その上司のエンペラ星人がまだ暴力をふるっていること、そしてヤプールに自分が命乞いしたことを考えてごまかしたかったのでしょう。

 ヒルカワは、ウルトラマンに助けられてきたこと、ウルトラマンの力がなければ強大な敵であるエンペラ星人にまず勝てないことをごまかし、「ウルトラマンを追放すれば地球を平和にすると約束する」というエンペラ星人の要求に従うように世論を導きました。

 このとき、政府のシキも似たような主張です。

 しかし、「宇宙人のウルトラマンに頼るのが、GUYSに潜入させたのが良くない」と言いつつ、逆にウルトラマンに害をなしてエンペラ星人に頼ること、そもそもエンペラ星人が侵入して暴力しか振るっていないことをヒルカワもシキも棚に上げています。

 その理由は、単に「ウルトラマンはそのとき死にかけていて、自分達に手出ししないし、すればそれまでの信頼を台無しにするリスクが相手にありしづらいが、エンペラ星人は進行形で暴力を振るっていて、元々信頼がないのでさらに手出ししても相手にリスクがないから」、つまり「自分に手出し出来ない強者だけくじいて、手出し出来る強者には言及せずに勢いでごまかしている」のでしょう。



綱渡りのような『メビウス』




 元々『メビウス』の展開はハイリスクハイリターンな綱渡りで、第1話でウルトラマンメビウスがビルを盾にしながらも怪獣を倒したときにリュウが「馬鹿野郎」と言うなど、勢いで反論しにくい高圧的な台詞を言いやすいのかもしれませんが、ヒルカワとシキも、このように整理しなければ反論しにくい都合の良い論理を押し通しているのです。その批判の難しさは、「確かに強者をくじいてはいるが、自分達に手出し出来ない強者ばかり狙っている」というところです。


アメリカとウルトラマン



 これを強調したのが『ウルトラマンデュアル』です。ここでは地球の人間社会を暴力で管理するヴェンダリスタ星人が、助けに来たウルトラマンを逆に侵略者扱いに追い込み、人間は「ヴェンダリスタ星人に味方してウルトラマンが勝っても罰せられないが、逆にウルトラマンに味方してヴェンダリスタ星人が勝てば罰せられる」と恐れて従わざるを得ませんでした。

しかし、ウルトラマンの中の「ウルトラの聖女」ティアは、抵抗させずに相手を殺す自分の能力に危険性も認め、どちらも人間の身体を借りる部分があります。つまり、どちらも「強者」ではありますが、結局人間は自分達に手出し出来ない強者だけくじいてばかりだったのです。

 米国にウルトラマンをなぞらえる評論はありますが、米軍や米政府は日本人が仮に自分達を裏切る行いをしたと判断すれば罰するはずですから、その「裏切れば手出しする強者」としての部分を強調したのがエンペラ星人やヴェンダリスタ星人で、「裏切っても手出ししない強者」としての理想像を強調したのがウルトラマンなのかもしれません。


2022年8月7日閲覧




『相棒』の青木



 さて、ここまではウルトラシリーズに注目しましたが、『相棒』にも、この点が途中まで似ている人間がいます。青木年男です。

 彼は元々役所の職員で極度の「警察嫌い」であり、殺人事件の目撃証言を、わざわざ目撃したと言いつつ中身を言わず、警察がそれで困ったり自分に頭を下げたりするのを楽しむ悪趣味なところがあります。

 「警察に協力する法的義務はない」として、確かに法律の範囲内で不道徳な言動を繰り返します。

 元々警察官の父親に反感があり、主人公の杉下右京と冠城亘の特命係に強引に(そもそも法的に成立しているか曖昧ですが)協力させられたのを根に持って、復讐のために父親とその「友人」の衣笠副総監の縁故で警察に入りました。

 しかし、警察学校で「警察嫌いだからこそ警察の組織に飲み込まれない」と陰で評価されています(青木はその教官を嫌っていましたが)。元々組織で孤立する警察官を描く『相棒』の中で、「強きをくじき、弱きを助ける」部分に青木が貢献出来なくもないのです。

 


青木と暴力団


 けれども、青木は「自分に手出し出来ない強者ばかりくじいて、手出し出来る強者には黙る」姿勢がかなり長くありました。

 たとえば、自分が犯罪者でなく協力する法的義務もない警察には大きな態度で、目撃証言の中身を教えてほしいと「被害者遺族」の暴力団員に頼まれると怯え出し、警察に助けを要求しました。もちろんその暴力団員を目撃者に会わせた冠城も許されませんが。

 さらに、杉下より温厚そうなその時点の役所の上司に「そんなに警察を悪く言うことはないだろう。君のお父さんも警察官だったよね」と言われると黙り、同じことを杉下に言われると「人のプライバシーに立ち入るな、クズ野郎」と罵りました。自分が他の人間の部屋というプライバシーを目撃し、殺される瞬間を撮影し、さらに自分の楽しみに利用さえして、犯人検挙というその人間の利益に尽くすこともしないのを棚に上げていますが、結局このときの青木は「強そうだけれども自分に手出し出来ない警察官」だけくじこうとしているのです。

 杉下が警察官としての上司だったときに命令に従ったこともあります。普段上司に逆らいながら権限をふりかざす杉下もどうか、という問題もありますが。

 特命係に入ったときも、自分だけ別の部署であるような文字ののれんを見せて、巡査部長の伊丹に批判されると「これは模様です」と稚拙に言い訳し、副総監の衣笠に「くだらんものは撤去しろ」と言われると直ぐに従いました。仮に伊丹が衣笠より若い分身体的に強いとしても、青木は自分に手出し出来る衣笠の強さのみ重視しているのです。

 また、最初とは別の暴力団に知り合いの警察官が殺されたときに青木は恐怖し、衣笠に「警察官はみな覚悟している。恐れるならなるな、なるなら恐れるな」と忠告されました。しかし衣笠の場合、別のときに自分ではなく家族が狙われて、「覚悟」を逆に家族に要求するような見苦しいことになっていますが。

 さらに、一見弱そうで、実際に「権力に逆らうジャーナリスト」の女性に陰から暴力を振るい、その女性の家族の暴力団に狙われたところ、犯人が自分だと判明するや周りの警察官にも見限られ、本人ではなく暴力団にだけ謝罪していました。つまるところ、「犯罪をしない限り自分に手出ししない警察」より「何をきっかけに手出しするか分からない暴力団」が怖いのでしょう。仮に手出ししたあと警察が罰してくれるとしても、間に合わないかもしれませんし。

 

 

 

青木の変化

 

 しかし青木は、自分から情報を聞き出そうと監禁する人間や、出所出来る可能性のある殺人犯に挑発的な言動をするなど、少しずつ「自分に手出し出来る可能性のある強者」もくじけるようになりました。

 シーズン20では、殺人未遂犯の逮捕を妨害して自分の部下に殺させる権力者の鶴田すら挑発しています。

 

 

 

共通点

 

 

 整理しますと、ヒルカワと途中までの青木は「基本的に自分も含めた人の命や安全を守る公的機関(GUYS、警察)や主人公(ウルトラマン、杉下)を敵視する」、「公的機関にも確かに問題がある上に、主人公はその機関のルールすら破ることがあるが、主人公はそうしなければ人助けを出来ないところもある」、「主人公と公的機関のルールの対立も利用する」、「その公的機関のルールでも縛れない、自分に手出し出来る強者(エンペラ星人、暴力団)には黙る」のが共通しています。




ジャーナリストは上司に逆らえるか



 ちなみに、青木が暴力を振るったのと別のシーズン12の1回限りのゲストのジャーナリストは、警察官の官僚に有利な行いを「人民は弱し、官吏は強し」と責めましたが、警察官の内村に「君のそういう態度、会社に良くないよ」と言われています。権力に逆らうジャーナリストも、直属の上司に逆らえるのか、という問題があるのでしょう。

その意味で、警察官の亀山の恋人から妻になった記者の美和子は、会社と警察の関係を悪くする取材までしようとして上司に「正義の味方にでもなったつもりか」と責められても逆らい続けた、「自分に手出し出来る強者にも逆らう」真のジャーナリストだと言えます。その記事の内容が正しいかの保証はまた別ですが。

 また、鶴田や彼が殺した加西のときには、ジャーナリストもそろって黙っており、普段警察などの権力を批判していたジャーナリスト達も、「批判記事を出せば自分達を本気で攻撃しかねない強者」には沈黙したのです。そして、ほとんどの警察も「さすがに自分達を批判するマスコミに暴力を振るうことは、それこそ青木でもなければしない」、鶴田よりはましな強者だったのです。当たり前であり、誉めるに値しませんが。

 このように、青木が冠城や杉下や衣笠の残忍なところを引き出すように、「自分に手出し出来ない強者だけくじく」人間は周りの臆病かつ残忍なずるいところを引き出してしまうのかもしれません。



通り魔の「誰でも良かった」、シンジの「誰でも良いんじゃないか」という評価



 『真実のカウンセリング』で、「通り魔はよく、誰でも良かったと言うけれど、強そうな人間は狙わない」という趣旨の指摘がありました。あらゆる犯罪者がそうとは限らず、自分より強そうな人間にも暴力で挑む人間がいるからこそ解決しない争いもあるでしょうが。


 たとえが悪いかもしれませんが、『新世紀エヴァンゲリオン』テレビアニメ版では、普段内向的なシンジが精神世界の中で、身近な女性のレイ、アスカ、ミサトに惑わされる場面があり、『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』で「こいつは女なら誰でも良いんじゃないか」というシンジへの批判がありました。しかし、その中にリツコ、マヤ、ヒカリなどの女性が入っておらず、おそらくシンジにとって彼女達は魅力が薄いのでしょう。また、自分に黄色い声を浴びせたクラスメイトの女子にシンジが反応した様子もなく、シンジは「自分にとって魅力のある女性なら誰でも良いし複数でも良いが、選ぶ苦労はしたくない」といった都合の良い感情を持っていたのでしょう。

といってもシンジの場合は内面の問題で、通り魔のようには責められませんが。

 通り魔に話を戻せば、「誰でも良い」は「自分に手出し出来なさそうな相手なら誰でも攻撃や批判をして良いし、選ぶ不都合は嫌だ」ということなのでしょう。通り魔は反撃出来ない人間、子供や老人でも、自分が少数派なら相手は多数派で強者のように捉えるのかもしれません。しかし、その「反撃出来ない一部の人間」のみを狙う心理はあるかもしれません。

 しかし、ヒルカワや途中までの青木にそのような傾向がないとは言えません。その発想で選んだ相手が、ヒルカワは「GUYSとウルトラマン」、青木は「目につく警察官」だった可能性もあります。




まとめ


 「強きをくじき弱きを助ける」つもりで、「自分に手出し出来ない強者だけくじき、出来る強者には黙る」ことになっていないか、注意が必要だと結論付けました。それを無視すれば、残忍さや臆病さが連鎖する可能性もあります。



参考にした物語



特撮テレビドラマ



野長瀬三摩地ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1967 -1968(放映期間),『ウルトラセブン』,TBS系列(放映局)

村石宏實ほか(監督),川上英幸ほか(脚本),1997 -1998(放映期間),『ウルトラマンダイナ』,TBS系列(放映局)

根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -1999(放映期間),『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)

大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)

小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)

村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)



特撮映画


小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),1998,『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』,松竹(配給)

小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),1999,『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』,松竹(配給)

飯島敏宏(監督),千束北男(脚本),2001,『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』,松竹(配給)

北浦嗣巳(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2002,『ウルトラマンコスモス THE BLUE PLANET』,松竹(配給)

北浦嗣巳(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2003 (公開),『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE』,松竹(配給)


小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),2006,『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』,松竹(配給)




小説



朱川湊人,2013,『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』,光文社

三島浩司,2016,『ウルトラマンデュアル』,ハヤカワ書房



テレビアニメ


庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)



漫画



ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2020-(発行期間,未完),『真実のカウンセリング』,少年画報社(出版社)




テレビドラマ


橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)








参考文献




切通理作,2000,『怪獣使いと少年』,宝島社文庫

神谷和宏,2015,『ウルトラマン「正義の哲学」』,朝日文庫

神谷和宏,2012,『ウルトラマンは現代日本を救えるか』,朝日新聞出版

切通理作(編・著),1997,『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』,三一書房

佐藤健志,1992,『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』,文藝春秋


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