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哲学ノート㉓幸福は簡単だ

幸せになるのは、いつもとても簡単なことだ。前を向き、自ら不幸を長引かせず、微笑んで機嫌よくいようと努めること──。アランの『幸福論』は、軽快で具体的で、押しつけがましくない93のエッセイでできている。だから「幸福とはなんぞや」と深く考えたい人よりも、日常の小さな憂鬱からスッと立ち直りたい人、今日をちょっとだけ軽い気持ちで過ごしたい人におすすめの幸福論。

子どもたちには幸福になる方法をよく教えねばならない。ぼくの言いたいのは、不幸に直接見舞われたとき幸福になる方法ではない。そんなものはストア派にまかせる。まあまあ何とかやって行けて、人生の苦しみといったところで、精々、ちょっとした退屈さや、ちょっとした厄介さだけのときに幸福になる方法である。

──91「幸福になる方法」

このアランの文章を読めば、それが堅苦しい話や厳しい根性論とは無縁なのがわかるはずだ。まあまあなんとかやっていけて、時々襲ってくる厄介や退屈から、どうにか少しでもよい方向に持って行こう。それくらいのスタンス。それくらいの軽やかさで、93の小さな哲学的断章──フランス語で「プロポ」という──を駆け抜ける。

もし人生がつまらなくて退屈しているなら、それは自分で何かする喜びを忘れている。そんな人のために、退屈について書かれたいくつかのプロポがある。

自分でやること、人にやってもらうのではない。そこにはよろこびのいちばん深い意味がある。ところが、砂糖菓子は何もしないで溶けて美味しいものだから、多くの人はそれと同じように、しあわせも味わえるだろうと思うから、だまされてしまうのである。音楽の楽しみも、ただ聞いているだけで、まったく歌わないならば、大したものは得られない。

──47「アリストテレス」
若干苦労して生きていくのはいいことだ。波瀾のある道を歩むのはよいことなのだ。欲するものすべてが手に入る王さまはかわいそうだと思う。(…)
何もしない人間はなんだって好きになれないのだ。そういう人間に、まったく出来合いの幸福を与えてごらん。彼は病人がやるように顔をそむける。それにまた、音楽を自分で演奏するよりも聴く方が好きな者がいるだろうか。困難なものがわれわれは好きなのだ。

──46「王さまは退屈する」

あるいは、なんとなく気分が塞いでいる人への処方箋。

憂鬱な人に言いたいことはただ一つ。「遠くをごらんなさい」。憂鬱な人はほとんどみんな、読みすぎなのだ。人間の眼はこんな近距離を長く見られるようにはできていないのだ。広々とした空間に目を向けてこそ人間の眼はやすらぐのである。夜空の星や水平線をながめている時、眼はまったくくつろぎを得ている。眼がくつろぎを得る時、思考は自由となり、歩調はいちだんと落ち着いてくる。(…)
自分のことなど考えるな、遠くを見るがいい。

──51「遠くを見よ」

(続)

引用:アラン『幸福論』神谷幹夫訳、岩波文庫、2010

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