只今、困難真っ最中。そこからの学び。
次から次へと困難が
このニュースは、僕にとって衝撃的でしたし、危機感を煽るものになりました。こんな大企業までもが、コロナの影響によって、運営危機にまで陥るなんて、僕の想像を超えていました。
更に、僕の会社のように、スタッフが10人も満たない会社にとって、誰かひとりでも、感染して長期的に出勤出れない状況が出来てしまえば、運営はたちまち苦しくなります。
施設での食事提供が仕事であるがゆえに、コロナになりました。運営することが出来ませんということは、簡単には言えないのです。そこの施設で暮らす方々の毎食の食事をストップさせることになることは、命にもかかわることでなのですから。
それがゆえに、スタッフのみなさんは、プライベートも慎重に行動してくれていました。ですので、これまで、僕の会社では、奇跡的に感染者が出ていませんでした。
しかし、ついこの間。一番頼りにしているベテランスタッフのⅠさんが感染してしまいました。この抜けた穴のシフトを埋めること。日々の作業に追われる結果になりました。
先ずは、いかにⅠさんが色んな事をしてくれていたのかに気づくことができました。人は失うと、その大切さに気づくものです。日頃から、色んなことで支えてくれていたこと。さらに、他のスタッフさんにも、無理をお願いしたのにも関わらず、快く引き受けて頂き、なれないことにも頑張っていただけました。ここで、改めて感謝したいと思います。
今回の困難にて、Ⅰさんが抜けた穴は思うよりも影響が大きく、僕だけの力ではどうにもなりませんでした。僕がどんなに気合をいれたところで、どんなに根性を見せたところで、上手くいくものではありませんでした。残りのスタッフみんなで力を合わせる必要がありました。
仲間というものは、素晴らしいものです。困難というものを乗り越えるのに、手を取り合うことが可能なら、誰かひとりでも共にすることが出来るのなら、共にした方が良いものだと感じました。これまで、何でもかんでも、ひとりで抱えてきた僕にとって、今回は甘えてみることが、ひとつの挑戦だったのです。
僕らは、必死になれたのでした。普段は、あまり仲のよくなかったスタッフ感同士も、上手く協力し合えるように、気にかけたり、ポジディブな言葉も増えていきました。結束というものもかんじました。今回の件で、Ⅰさんが復帰まで、会社として、チームとして成長を感じることが出来たのでした。
しかし、僕自身は、とても毎日が気疲れしていたし、一日が終わると、くたくたになってしまうほどでした。休息もままならなくなり、いつも、スイッチがONの状態だったのだと思います。精神的にもネガティブな方向に向かうことが増えていくようになったのです。ここでは、休息の必要性を感じたのです。何に対しても、長く継続させていくには、休息は必要不可欠であるのは間違いないことです。
そして、Ⅰさんが無事に戻ってきてくれたのでした。しかし、喜びは束の間、今度は別のSさんが、コロナにかかってしまいました。更には、追い打ちをかけて、Tさんも濃厚接触者になってしまったのでした。次から次へと困難がやってくるのでした。正直なところ心はいっぱいいっぱいになってしまいました。
困難をどう捉えるのかで結果が変わる?
これまでの僕でしたら、こんなことが起きるなんて、ありえない。なんて神様はこんなにも酷い仕打ちをするのかと、物事の全てを、きっとネガティブに捉えて、気力もやる気も失ってしまうものでした。
しかし、僕は思いとどまることが出来たのでした。これでも、こうしてポジディブな人生をテーマとして、毎日noteを書かせてもらっている身です。ここを僕自身がポジティブに乗り切らなくてはと思い。前向きに考え、気持ちを保つことができました。
昔読んだ本を引っ張り出しては、ポジディブな言葉を探したりしました。僕自身のnoteも見直してみました。そうすると、あることに気が付いたのです。
僕を含めて人が成長できるのは、困難を経験している時だということ。
困難こそ、大きな成長を成し遂げることに繋がっているのだということ。
確かに因果応報で考えてみれば、ここ最近の僕の行いの結果が、困難に繋がってしまったという風にも考えられます。しかし、それは、過去を悔いてしまうために考えてしまうものです。
過去は悔いる為ではない。学ぶためにあると僕は思うのです。そうしないと、これまでの過去の僕は一体全体何をしたから、あそこまでひどい仕打ちを受けてきたのかと、聞きたくなってしまいます。僕がひどいいじめにあってきたのは、僕がこれまでいじめをしてきたからとか、悪いことをしてきたからじゃありません。決してそんなことをしてきた訳ではありません。
では、何のために困難が、僕にやってきたのか。
それは、僕を大きく成長させてくれたのだということです。
そんな、悲しさ、辛さ、涙、悔しさ、苦しさ、そして、何度も死にたいと思ってきたことを乗り越えてきたから、僕は成長することが出来たのです。
そして、だからこそ同じような苦しみに同調することもできるし、共感することも出来ます。すっごく気持ちが分かるのです。それは、これまでの経験なしでは出来ないことです。
決して大そうに、困難とは、大きな何かに道身かれているものだとは、まだ言えません。困難を成長の為だと思うしか、残された道がなかったという風にも思えます。そう思うことでしか、自分を納得させられませんでした。でも、確実に成長には繋がっているし、確実に優しさには繋がっているのです。
僕は、またこの困難を目の前にして、ひとつ大きくなることができるものだと思えるのです。そして、ひとつ成長したぼくが、将来にこの経験と成長をnoteに書き記してくれることを期待しています。ということは、僕は、困難を乗り越える度に、僕は本を出すという夢に近づけるのです。只今、困難真っ最中、楽しみに待っていて下さい。
※これまで、コロナに関して、僕自身触れることを避けていました。ほんの少しでも、皆さまの不安を煽りたくはなかったからです。たくさんの方が、今もなお、コロナで苦しんでいます。そういった方々にも支えになる内容だと思い、今回はお話しさせていただきました。ご了承下さい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー
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