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明日が来るとは限らない

今日は思いをありのままに書きたいと思います。

20年前くらいの夏の終わりに、突然、僕のおばさんは天国に行ってしまいました。パート帰りの買い物の途中で、脳梗塞で倒れました。故郷から離れ、東京の街の中でした。彼女には、小さなお子さんがふたり。まだまだこれからだってときだったのですが、悔やまれてなりません。

おばさんは、僕を小さな頃から、気にかけてくれました。母がとても厳しかったために、僕はいつも叱られてばかりだったのです。そんな僕を、いつも気にかけてくれていたのです。僕にとって、必要で大事な時に優しく声をかけてくれる。いつも笑顔で僕に話しかけてくれて、僕を笑顔にしてくれるのでした。僕に優しさを教えてくれたのは、おばさんだと思っています。

だからこそ、余計に想えることができます。

天国に行ったおばさんが僕に、教えてくれたこと。

明日が来るとは限らないということ。

今、この時に、おばさんを思い出し、想うことが出来た今、改めてこの言葉を自分に問いてみたんです。

明日が来るとは限らない。だからこそ、今日という日をどれだけ大事にできているのかって。

今日の僕は、はたしてそれが出来ているのだろうか。

昨日の僕はどうだろう。連日の連勤や、月末や月初の業務で、疲れてしまっているのは、仕方がない。でも、それを大切な人達の前で、ため息や愚痴を並べてしまっていたような気がします。それは、大切な人達への笑顔に繋がっていないのではないだとかと。

いつものようにネガティブに捉えると、そんなことも出来ないのに、毎日毎日、長々とエラそうなことを言うもんじゃないいと、自分にダメだしをそいて、自分を否定し、自分を叱りたくなるのですが、あの優しかったおばさんの教え。きっと、僕に優しく問いていてくれているに違いありません。

ポジティブに捉えるようにしたいと思うのです。確かに、毎日十分過ぎるくらい頑張っている。だから、もう少し、自分や自分の大切な人達のために、その頑張りを向けられたら、人生は、どんどん良くなっていくに違いないと思うのです。おばさんは、そういう風に言ってくれているに違いありません。

今日を一生懸命に生きるということが、どういう意味なのか。僕には、なかなか理解することができませんでした。何か成果を上げることなのではないかと考えていました。成果こそ、人生を前進させることができる。昨日よりも今日。それこそ、今日という一日を大切にするということ。

常に結果を求める生き方は、確かに毎日が充実していました。毎日、必死でした。しかし、それが、自分を大切に思えることには繋がりませんでした。

上手くいかない日が、ほとんどで、その度に、僕は毎日を生き切れていない。考えが甘い。こんな風ではダメだと、自分を否定ばかりしていたのでした。人生には我慢が必要だと思っていたから、この自己否定の日々に、自分を我慢をさせるばかりだったのです。

そのなってしまったのには、大きな理由があったのです。これまでの人生が辛いことや困難ばかりだったと思っていた僕は、過去に引っ張られ過ぎていたのです。過去を捨てたいと思いながらも、ずっと過去のことばかり意識をして過去の中で生きていたんです。

だから僕は、何か早く結果を出して、周りから認められて、幸せを感じたいという焦りを生み出してしまったのです。その焦りが、今日を精一杯生きるという言葉を呪いに変えてしまっていたんだと思うのす。

今日を懸命に生きる。

この言葉はとても、素晴らしいものだし、生きる指針になるものです。人生を豊かに生きるために、自分の思い描いた人生を歩むためには、必要不可欠にも思います。

だけど、僕らは人間なのです。ときには、休みたくなるし、時にはさぼりたくなるものです。でも、それでいいんだと思います。自分の気持ちに正直に答えてあげるものことの方が結果を出すよりも大事なのです。

だから、今の僕が思う、今日を精一杯に生きることとは、明日の自分に最高のバトンを渡すこと。それは、成長でもあり、休息でもあり、笑顔に囲まれることでもあります。何よりも大事なことは、自分の気持ちに正直になれること。これらの全ては、自分の心を満たすものであり、自分を好きにさせてくれるものだからです。それこそ、最高の状態で明日に繋げることが出来るはずです。

明日が来るとは限らない。だけど、だからこそ、最高の状態で明日を迎えるようにする、それこそが今を大事に出来るのでないかと感じています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー



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