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自分を支えるということ

思い返してみた

僕は支えられている。そう思えるようになってきてから、自分は満たされていると感じることが多くなってきました。支えられていると実感すること。つまり、繋がりや優しさに触れることが出来ることで、どれだけ人生において勇気や優しさをもらうことが出来たのか、思い返せば計り知れないものだと思えるのです。

振り返ってみると、いくつかの場面が浮かんできます。具体的なお話しは割愛させて頂きますが、そこで共通して言えることは、その方々が、自分のことを見てくれていると実感できることでした。

だから、感じることは人の癒しは「関心」という心がとても重要だと感じるのです。

人から関心を持たれるという感覚は、自分の存在を認めて貰っていると感じることが出来るからです。その時の安心感のような感覚は、不安を和らげて前に進むことが出来るのものです。

僕は社会人になったばかりの時に、立派な料理人を目指しました。そこで夢を見て初めての就職先でひどいいじめを受けていました。様々な暴力も受けたし、人の道を外れるような誹謗中傷も浴びました。

そのいじめの中で、とても辛かったと感じるのは存在を消されることでした。いじめをする先輩方は、その日は無視するように決めたのかどうかわかりませんが、僕がいてもいないものとして、仕事を進めていくのです。レストランという飲食店だったために賄いが作られるのですが、僕の分だけありませんでした。それが何日も続くこともありました。

誰にも関心を持たれないほど、辛いものはありません。孤独こそ、人を不幸にする決定的なものになってしまうのは間違いありません。その情景は、今でも夢に出てくるくらい、トラウマになってしまっています。

しかし、その時にある人に出会えて、僕の人生は一遍しました。

その方は、単身で自ら海外に乗り込んで、数年間海外で修業された方でした。帰国した際に、昔勤めていたレストランが僕の勤めていたレストランでだったのです。話の流れで、一ヶ月間、共に働くことになったのです。その方の作る料理は見たことのないものばかりでしたし、これまでの経験談は、想像が膨らむものばかりで、僕はあっという間に魅了されたのでした。

その方が働きだした時に、すぐに僕がいじめられている状況に気づいてくれれたのでした。その方も、海外では、日本人だということで迫害を受けたこともあったそうで、僕の状況にすぐに気づいてくれて、気にかけてくれたのです。

「ここを踏ん張って乗り越えられたら、君は凄い料理人になれるよ。」それを一ヶ月間ずっと言い続けてくれました。それが、僕の支えになったのでした。そして、その後も、何かと僕のことを気にかけて、食事に誘ってくれては、色んな話をしてしれたし、話を聞いてもらえるようになりました。

以前として、酷いいじめは続いていたのですが、耐えられないと思っていたものが、その人の存在があるだけで、僕は耐え抜くことができたのでした。

やがて、毎日いじめられながらも、いつか見返してやろうと努力していたのが、年月が経つにつれて、成長することが出来ました。いじめていた先輩方は立場を無くして、みんな辞めていったのでした。

自分を支えていくことの重要性

僕は、たまたま運が良かったのかもしれません。自分を受け入れて見守ってくれる存在に出会うことが出来たからです。しかし、現代において、環境の変化も激しく、誰もが自分でいっぱいいっぱいになってしまう状況でもあります。お互いに鑑賞し合わないという風習が当り前になってきている状況にでもあります。そうした、自分を承認してくれる存在と出会うのはなかなか難しいのではと感じるのです。

今では、同じ価値観の人たちが集まれるコミュニティに注目が集まっているのも、根底には、応援し合える環境が大事であるとみんな感じているからではないでしょうか。

しかしながら、多くの人は、時代の渦に巻き込まれて、支え合うことが出来る出会いを失い、孤独を感じ苦しんでいるものなのです。こうした、支え合うということを他人に求めてしまうのは、不確実性が高いものになってしまうのだと感じざるを得えません。

だから、自分が自分を支えられるようになる必要があるのです。

僕は幼い頃から、認められない体験をしてきました。両親からも先生からも、会社の上司からも、世間からも。だから、誰よりも認められたいと強く思い行動してきましたが、自分のことを認めもらうことは、出来ませんでした。どんなに努力してもです。

いつしか、自分がダメな存在だからなんだと思うようになりました。先ほど話したお話しも然りですが、本来はいじめに遭ってあっていたのも僕自身がポンコツだったから。ダメでどうしようもない人間だから、目を付けられていじめの対象になってしまったのだと、考えていたのです。

そうした想いが、段々と自分を追い込み、孤独へと自分を追いやってしまうのでした。孤独は生きる中で、もっとも辛いものです。いつしか、自分ひとりになってしまったと感じてしまった僕は、周りに気にしてくれている人はいたのに、自ら命を絶ってしまうような選択をしてしまいました。

その経験を経て言えるのは、僕のことを一番認めていなかったのは、僕自身だったということです。僕は誰よりも自分を認めることができていなかったのです。

誰かに関心を持ってもらい、見守ってもらうことも確かに人生とって、とても大切なことです。しかしそれは、自分自身にも言えます。自分が辛いとき、苦しい時に一番寄り添うことが出来るのは自分自身なのですから。

苦しい時に、自分自身が自分に関心がなく興味さえいだかれなかったら、自分という存在を否定してしまったら、それは孤独と言う兇器を自分の胸に突き刺してしまうのと同じことだと思います。

自分で自分を受け入れて認めているでしょうか。

自分に関心を持って、自分を見守り支えているでしょうか。

自分を承認していくことは大切です。その努力はしているでしょうか。

今一度、自分自身に問う時が来ているのものだと、強く感じています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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