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目の前の瞬間を意識する

無意識に過去を意識していた

もうすっかりと手に馴染んでいるスマホ。片時も手から離すことが出来なくなっていることに気がつきました。

それはどうしてなのかというと、素晴らしいと思う体験や出会いを逃したくないと思っているからです。

僕はよく散歩をするのですが、面白い形をしている雲や、季節を楽しませてくれる花々。心を和ましてくれる木漏れ日。笑顔にさせてくれる日常の風景。喜びをくれる料理。心を動かす瞬間を写真におさめようとしてスマホを離さずに持っているのです。

それは、後で自分で見直す為にが半分と、もう半分がSNSであげる為でもあります。

振り返ってみると、僕ははっとしました。その瞬間に出会う度に僕は、スマホを取り出しその瞬間をデジタルを通して見てしまっていたのに気がついたからです。その瞬間を全体ではなくスマホによって限られた枠の中に切り取ってしまっていたのです。

写真を見返すということは、過去に意識を向ける行動だということにも気がつきました。自分の過去を見直すためにその一瞬を、自分自身の目で見ていないし、その瞬間の一部分しか見ていなかったのです。

つまりそれは、無意識にお過去にとらわれて今を疎かにしていました。つまり僕は今この瞬間よりも過去を意識して大事にしていたのだということだったのです。


目の前のことほど貴重なことはない

料理で考えても、感動出来るのは料理だけじゃないということが分かります。そのお店の内装やお店のスタッフが作り出す雰囲気。奥の調理場から聞こえてくる。そういった全体を感じながら、料理を食べるとより、味の深みや味わいが増してくるものです。

そういったように、全体を全身で感じることで瞬間を味わうことが出来るのです。何も、その瞬間を記念に撮ることが悪いと言っているわけではないのです。

ただ、写真を撮ることに意識しすぎると、今この瞬間に生きることができなくなってしまうのです。

それよりも目の前ほど貴重な時間はないものです。だって、もう二度と取り戻すことが出来ないのですから。

もっと、目の前のことに没頭しようと思いました。


未来は今の連続上にある

何故、今この瞬間を大切にしなくてはいけないのかというと、今この一瞬一瞬の連続した先に未来があるということです。それに、今この瞬間をないがしろにすればするほど不安や恐れが多くなるからです。

過去を見返せば良くも悪くも過去を追体験して過去にとらわれてしまう。過去の辛い思い出は、繰り返してしまうのではないかと考えてしまうし、過去の良い思い出はあの時は良かったと考えてしまう。それが、未来への恐れに繋がってしまうのです。

そして、過去や未来にとらわれることで、目の前にいる人たちの存在も忘れがちになってしまう。大切な人間関係が犠牲になってしまうのです。

それが、心の不調に繋がっている。落ち込みや孤独感、疎外感を強く感じられてしまうものですから。

過去は文字通り過ぎ去ったものだし、未来はまだ起きていない。ふたつとも存在はしていないのに、自分自身で障壁をつくり、ストレスを感じているのです。

今、この瞬間でしか、リアルに感じることが出来ないのです。今この瞬間を切り取って単純に考えてみれば、この瞬間を喜び続ければ、その瞬間の連続の先にある未来も喜びになるし、過去も喜びになるもの。その瞬間を不安や不満で思い続けていけば、破滅的に未来や過去も苦しみに変わるのです。


一瞬一瞬を大切にしたいが強く思えた

未来のずっとずっと先にはなにがあるのかを考えていくと、避けることのできない「死」が待っているのに気がつきました。産まれた瞬間から、毎日死に向かっていることが、なんとなくでも理解できました。

その間のどの部分で幸せを感じれば、僕の人生は幸せだったといえるのでしょう?死を迎える直前でしょうか?僕はどこで楽しい感じられれば、自分の人生を豊かだったと感じられるのでしょう?次の日曜日?1年後?10年後?

それでは、なんだか幸せがやってくるのを待っているみたい。豊かになるのをただ待っているだけになってしまう。

それでは今目の前にある喜びや豊かさのことを全く考えいないと思えてしまうのです。

そう考えると「今この地点こそ未来なんだ」という時系列の流れに気づき、より一層今、この瞬間をどんな気持ちで過ごすかを意識するようになれました。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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