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「いい子にしなさい」にとらわれて

「いい子にしなさい」と育てられた

父親の仕事の都合で、小学生に入学すると同時に、僕の家族は名古屋から、今の福岡に引っ越してきました。だから、幼稚園で出来たお友達と誰一人として、同じ小学校に通うことが出来ませんでした。

今の僕自身を内観してみると、友達は多く作らないといけないという思考に駆られているために、子供の頃のそういった経験からきているものだと、結びつけることが出来るのでした。だから、当時の僕がひとりぼっちになったという寂しさと、新しい環境で、新しい友達ができるのかどうかという不安だった気持ちが、どれだけ大きかったのかが、推測することができます。

一年生になったら、友達100人出来るかなという歌もあるもんだから、友達をたくさん作りたいと思っていましたのはなんとなくでも憶えています。

しかし、そんな僕にとって、母は邪魔ばかりしてくるのでした。

母は、とにかく厳しい人でした。そして、何かと子供である僕を縛りつけていました。習いごとは、ほとんど毎した。学校が終わった放課後、友だちと遊ぶことは、僕には許されませんでしたから。

なかなか遊ぶことができないから、友達も片手で数えるくらいにしかいませんでした。母親に思い切って習い事に行きたくないと言えば、いい子にしなさい。いい子は親の言うことは聞くもの。そういった意味の言葉が返ってきた記憶があります。

学校の話題もついていけませんでした。テレビ番組、マンガ、ゲーム。その時に流行るものは、そういったものを見たり買ったり遊んだりすることは、ことごとくダメだと言われました。その理由は、そういったものは、将来悪影響を与えてしまうから。悪い大人になってしまうのだということだったのでした。

そうやって、小学生の時に「いい子にしなさい」と押さえつけられて、育った人は、反抗期を迎えると、その反動は強いものになってしまいます。僕も、そうでした。悪い子になるというよりも悪い子を演じているような青春期だったと振り返ることができます。

どんな大人になってしまったのか

僕自身の人生を通して考えることは、「いい子でしなさい」という言葉によって、生まれる心理や、無意識の部分にまで根付いてしまうことは、他人の評価を中心に心が作り上げられてしまうことだと考えられるのです。

いい子である為に、大人になるまでは、母の評価、先生の評価、これが自分の中の全てになりました。評価されるたびに、一喜一憂してしまう。時には、自分の気持ちを偽ってまでも、評価を重視してしまう。母や周りにいる大人の価値観の中に自分を閉じこめてしまっていたのです。

そして、大人になっても、母という存在が世間や上司といった存在に変わっただけでした。いい人である為に、自分の気持ちよりも、他人の評価の中で生きてしまうために、自分を評価することは出来ずに、自分を認めることが出来なくなってしまったのです。

だから、大人になっても、自分の意志というものがなかったし、自分から意見を言ったり、行動することを恐れました。それは他人の評価にそぐわない恐れがあったからです。言われたことを言われた通りにするほうが、確実な評価につながると、子供の頃の思い込みが根付いてしまっていたのです。

他人の評価を気にしてしまうことで、自分を認めることが出来なくなってしまったことで、一番厄介なことは、自分の感情がいつも揺れ動いてしまうことです。

すぐに動揺するし、失敗すると、後悔がいつまでも付きまとってしまいます。そうして生まれや自分に対する不信感はどんどん大きくなってしまうものでした。そして不信感は、妬みや恨み、嫉妬や執着といった感情に支配されやすいものになってしまうのです。

また、そういった心境では、思考も支配されてしまいます。いつも「~しないといけない」という思考です。それは、自分の行動をどんどん追い込むことになってしまいます。あれもこれもしなければいけないという思考では、心を守ることはできないのです。

人生を通して出来た目標

僕は、偶然か必然かわかりませんが、一度なにもかも失ってしまった経験をしてしまいました。人生のどん底を味わったわけですが、その時の事をポジティブに捉えることができるのなら、これまでの自分を全部壊すことが出来たことです。

これまで、囚われていた思考や思い込みに気づけるようになれたのは、生まれ変わった気持ちで、生きるようになったからです。

僕自身が「いい子にしなさい」と縛りつけていたものから、解放されたわけなのです。いい人なのか悪い人なのかといった、他人の評価から解放された今のぼくは、以前よりも心が穏やかな時間が増えたきがします。心が穏やかになれた分、感謝や幸せを感じることが増えたのです。

それを実感することが出来たのでした。

そんな僕が、目指すことは、「いい人」ではなく、「心穏やな人」であること。

いつでも、どんなことがあっても、心穏やかでいられること。
こころ穏やかな生き方を目指していこうと考えられるようになったのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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