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目先の快楽にとらわれない

本質は見抜けない

不安を強く感じたり、大きな不満を抱いてしまったときに、時に僕は目先の快楽に手を出してしまうのです。過去には、お酒を飲んで誤魔化していた時もあったくらいです。食べることにとらわれていたことさえありました。寂しさを紛らわすために、意味もなくテレビをつけっぱなしにすることもありました。休みの日は、充実させないと、損をしたような気持ちになり、夜があけるまで、起きていることもしばしばでした。

しかし、これらは、不安や不満、孤独感や不足感の解放するための、本質ではないものばかりです。

ビジネスにおいても、目先の利益だけを考えて、安易でお粗末な商品を売っていく方針よりも、良いものを納得のいく方法で届けていくことの方が、お客様の満足度を得て、いつまでも愛される商品だったりと、会社だったりする訳で、人生においても同様のことが言えるのではないかということです。

このことは、目先の快楽に手をだしてしまうことを全て否定するものではないということです。時には、目の前の快楽で、追い込まれた自分を逃がすことだってできるのですから。ただ、こうしたことを、きちんと理解した上で、選択できるようになることが、とても大切なのです。

何かを選ぶことは何かを諦めている

僕らにとって、かけがえのないもの。それは、命とも言い換えられる時間であります。その時間は、どう考えてみても、限りがあります。それは、僕らに取捨選択を求められるということです。何かを選ぶことは、何かを選ばないことです。つまり、何かを諦めることだということです。

それは、意識してみると小さなことでも、取捨選択していることが理解できます。コンビニでジュースを買うのだって、リンゴジュースを選べば、オレンジジュースは諦めているんです。友人と飲みに行くことは、家族との食事を諦めている。お休みの過ごし方も、街に買い物に出かけることは、自然を楽しみゆっくりとした過ごし方を諦めているということなのです。

僕らは、常に取捨選択を求められています。

時間だけではありません。心の在り方も同じです。誰かを恨むことは、その人に感謝することを諦めています。落ち込むことは、前向きにとらえることを諦めているのです。

つまり、目先の快楽を求めていることは、長期的な喜びを諦めている選択をしているということなのです。

人生をよりよくすることを

僕は過去にお酒に飲まれていたことがあるとお話しさせて頂きましたが、そのお酒をたしなむ程度までに辞められたのは、その選択で夢は叶えられるのかと自問自答するようになったからです。

さぼりたくなる時もありますし、さぼることが大事な時だって、時には必要なことも理解しています。しかしながら、その選択によって自分の人生をより良いものにする選択なのかどうかを問うことは非常に大切なものだと思います。

今、目の前の快楽に手を出すことで、人生は大きく変わるものでしょうか。テレビを観てだらだらすることは決して、悪いことではありません。しかし、その時間にどう過ごすことが、自分への投資かどうかということ。時間やお金を散財していることになってしまっているのではないでしょうか。

考え方を変えれば、目の前の瞬間に感謝しながら生きれば、幸せは、今すぐにでも感じることができるのです。

誰にでも選択は自由であるし、どんな時も、自分で選択することができるのです。人生をより良くすることは、その選択を自分の成長や夢を叶えることや、誰かの笑顔にすることを選べるかどうかだということです。それこそ、長期的な喜びの選択ではないでしょうか。

何度もいいますが、全ての衝動を抑えろとか、全ての時間を遊んでないで勉強しろというものではありません。人生にとって、バランスをとることは非常に大切であるし、人生には余白が大事であることは、重々承知しています。

しかし、自分の幸せや喜び、成長を強く意識し、自分の時間とエネルギーを、自分で管理し、取捨選択を意識しながら、大切に選んでいけたら、人生がもっとより良く変わるのではないでしょうか。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー



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