小さな不安と大きな出来事
自分が一人で考えてる中で生じた問題は、遠い宇宙から見たら、たぶん、ちっぽけなものだ。
問題と、自分の距離が近すぎるから、大きく感じて、呑み込まれそうにもなるんだと思う。
この前まで、自分についての問題で精一杯だった。
将来のこと、今のこと、過去のこと…。
色々なことを深く考え込んで、考えすぎて、動く気力さえもそこに奪われつつあった。
しかし、自分の外で起きる問題や、世界の出来事などは、自分の内で起きてる問題よりも大きいことが多い。
それが起きた途端に、自分が悩んでいたこと、考え込んでいたことが凄く小さく見えて、
一時的ではあるけど、どうでもよくなってくる。
最近は暗いニュースが多くて、
そちらに意識が奪われていく。
楽しいニュースなら、バランスがプラス方向に崩れていくだけで特に問題は無いのだが、
暗いニュースを見ていたら気分が暗くなる。その出来事が、規模が、大きければ大きいほどに。
自分とは離れた関係のもの、遠い場所のこと…それらが直接自分に関係はなくたって、見る度に心が痛んでしまう。
情報と距離を取ろうとするが、嫌でも耳や目から情報が入ってきてしまうこともある。
色々と便利な世の中になったからこそ、避けられないものはたくさんある。
もっと情報から逃げなければ。なんて思う。
それを実現しようとするなら、
「部屋に引きこもり、テレビもスマホも付けずにひたすら寝る」
…という選択肢しか思い浮かばない。
それが究極だと私は思ってる。
でもそれは、人と関わる時間も捨ててしまうことになる。
外の空気にも触れることが出来なくなってしまう。外に出れる状態ではあるのにも関わらず、そのような過ごし方をし続けるのは、あまり良くないだろう。
この間、部屋の掃除をしていて、
昔の写真を久々に見た時にこう思った。
「なにも知らなかった子どもの頃に戻りたい」
無知であることは不便でもあるが、
知らないからこそ幸せ…ということだってある。
何も知らず、将来に対しての不安もなく、
友達と夕暮れ時まで遊んでいたあの頃が懐かしい。
無知になりたい。もっと共感する心を失いたい。
でも知らなければ生きていかれない事もある。
心があるからこそ分かるものもある。
情報との適切な距離感って難しい。
自分の中の心配事や不安が
一時的にどうでもよくなったとしても、
暗いニュースや悲しい出来事に影響された心は、
さらに深い闇へと沈んでいく。
この世界に絶望して、
誰の力にもなれない自分にも絶望していく。
自分の人生の価値とか考えてしまう。
私がいなくなったとしても、
あなたがいなくなったとしても、
何かがこの世界で起きても、
時間は進み続ける。
世界は動き続ける。
私はとてもちっぽけな存在だ。
そんな私が抱えてる不安は、さらに小さいものだ。
でも私の心を覆っている不安は、私からしたら大きいものに見えている。
生きるためにはこれに抗っていかなきゃいけないが、どこを見ても、見えるのは沈んだ空気ばかり。
誰かが助けてくれるわけではない。
自分の力でどうにかしなくてはいけない。
世界がもう少し平和になったら、
不安は少しでも軽くなるだろうなと思う。
他人を変えられないのと同じで、
世界を変えるなんて、そんな革命家みたいなことは出来ないから、結局自分が変わるしかないけど。
将来を恐れて、過去に縋ってしまう。
未来など、その時の自分にしか分からないけど、
これからどんな世界になっていくのか、
どんな人生を過ごしていくのか。
今は楽しみよりも不安がどうしても上回る。
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