MejiRo

語彙力ないので文章を書く練習として思ったことをメモ代わりに綴ります。

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最近の記事

僕なりの相対性理論

世界はバランスを保っている。 僕らが居る場所が朝であれば地球の裏側は夜である。 何かが生産されれば何かが消費される。 豊かな国があれば貧しい国がある。 天使がいれば悪魔がいる。 幸せな人がいれば、 息が詰まりそうな夜を過ごし、同じ場所を反復横跳びするような悲しみに襲われ、当たり前のように来る明日を憂う人もいる。 いや、幸福の在り方にまでバランスをあてがってしまえば、人間が人間たる意義を極端に狭めてしまうだろうか。"世界"という箱庭の中で有限的な意思選択と、漠然とした毎日

    • 思い出と未来の狭間(後編)

      12月30日 僕が最も憧れているボーカリストの命日である。 高校生の頃そのバンドの存在を知り、その美しさに衝撃を受け、絶対にライブで見たいと思った1週間後、ボーカルの訃報が入った。 強烈な感情が走ったのを今でも覚えている。 毎年この日になるとこのバンドの曲を聴き、生きることについて考えている。 人生には二度と取り返しのつかないような後悔があることを知った。毎日の繰り返しの中で蔑ろにしていることの方が多いことを知った。 そして、人は突然死んでしまうことも知った。 人は、本

      • 思い出と未来の狭間 (前編)

        最近GANTZにハマってます。 学生の頃全部読んではいたんですが、大人になって再び読み返すと今まで気づけなかった面白さや登場人物の気持ちに思いを馳せることができるようになってるなど、改めて古い作品に触れることの楽しさを知れますね。 少なからず自分は大人になっているのかな、なんて寂しいような、嬉しいような.…複雑な気持ちにもなったりします。 GANTZという物語はまず死ぬところから始まります。 何と死んでからがスタートです。 そうです、死ななきゃ始まらんのです。 本当にど

        • 夜行と鈴虫

          誰かの特別になりたいと願うのは人である以上、ごく自然な心理現象であるとは思うが、その欲望を自らの中に閉じ込めることができるのか、はたまた他人に対する強要になってしまうのかでは、残念ながらその素敵な願いも見方が180度変わってしまう。 誰かを大切にしようとする想いがその誰かを傷つけるような結末になることが、自分は一番怖い。 人を求める気持ちというのは一見すると綺麗なもののように感じるが、その裏には数え切れないくらいの歪な感情を孕んでいるのだと、こんなふうに考えてしまう自分はど

        僕なりの相対性理論

          キャンバスの上で踊る

          低気圧を呼ぶ冷えた風が心地いい6月。 額に滲む汗もそのままに、ただ一点を見つめているあなたは瞬きすら置き去りにしている。 その指先が彩る風景はどこか懐かしさを放つ。 コーヒーの香りが色彩の感覚を強めているように、あなたの言葉も僕の心に新しい気づきを与えている。 そういえばあのとき教えてもらった小説家の名前はなんだったであろうか。 「誰も死ぬことのない悲劇が好き」 どこか遠くに思いを馳せているようなその言葉には、どんな過去が隠れてるんだろう。でも僕は、その怖いくらい

          キャンバスの上で踊る

          無題

          孤独なとき、人はまことの自分自身を感じる。 自分は些か無力である。 余計な言葉を吐き災いをもたらす。 人の気持ちを考えることができない。 人の優しさに甘えてしまう。 自分で自分の感情にけじめをつけることすらできない、惨めで弱く、醜い生き物である。 哀れな自分を、一体誰に見てもらいたいのだろうか。 どんな言葉を期待し、どんな表情を望んでいるのか。 自分は誰を求めているんだ。 外に答を求めず、孤独な状況で自分の内面と向き合えと、2500年間語り継がれている仏陀の言

          「夢」というものの在り方

          「夢」というものには一切の濁りがないような響きを感じる。それは誰にとっても特別とされ、混じり気のない希望に満ち溢れているもの。そして誰しもが夢は持つべきであると思い、夢を持つことは大変素晴らしいことであると考えている。 無論、自分も夢は素晴らしいと思っている一人だ。 夢が人に与える様々な影響力は計り知れず、自らの人生を設計するにあたってそれは非常に強力な指針となるだろう。すなわち人生の幸福を左右するものといっても過言ではない。 夢というのはこれほど強大で、人生にとって極め

          「夢」というものの在り方

          注意拡散型メンタリティ障害

          しばらく眺めていたスマホの画面を閉じ、喉元に感じる輪郭のない焦燥感に気づきつつも1分ほど天井を見つめていた。 その後ハッキリと意識が戻った時、自分は再びスマホを眺めていた。無意識に電源を入れていたんだろう、そのことに気づく時のあのなんとも言えない感情、自分に対する恐怖や不憫さが先ほどの焦燥感に拍車をかけているようだ。 このように、スマホにおける自分の意思決定や行動選択が際限なくシームレスになっているのもFace IDといった機能の進化、即ち科学の進化が著しい結果ではあるが、

          注意拡散型メンタリティ障害

          "We cannot learn without pain."

          生活の文節、行間、その一瞬、1ページごとに、 何に対して意識を向けて生きているのか。 その時々に延々と繰り返される選択の連続に、 自分は今も明日も誇りを持つことができるか。 人は皆それぞれの生活の中で幾度となく厳しい選択を迫られ、その度に悩み、苦しみ、不安に苛まれ、時には心が折れそうになりながらも、必死に今この瞬間に至るまで繋ぎ留めている。 当然、自分自身もそうである。 そのときに選んだ選択が正しかったかなど誰にも知る由はないが、自分はその選択を思い出すたびに酷く気持ち

          "We cannot learn without pain."

          渇きに滴

          自分でも甚だ差し出がましいことであると感じてるが、自分は困っている人を見てしまうと「何かしなければ」という衝動に駆られる。 ここで重要なのは決して相手から頼まれたからとかではなく、自身で勝手に「何かしてあげたい」という、自慰的で独りよがりな、実に恩着せがましい感情を孕んでいるという点である。 これも人間の業なのだろうか....だとしたら神は何て余計なプログラミングを施したんでしょう、だってそれめちゃくちゃめんどくさいじゃん。生きていくのに本当に無駄だと思う。邪魔。 そも

          渇きに滴

          野分の砌

          緩やかに懐に入り込むような、不意に秋の訪れを感じさせる夜風は頬をなぞり繭に包まれる感覚を覚える。 「季節が移ろう匂いだ」と、叙情性を感じながら携帯を眺めているとどうも台風が近づいているらしい。 距離でいうと今は鱗くらいの位置にある風なのだろうか。なんてことを考えると少し愛着が湧いた。 今日は何故だかやたら五感が過敏になっている気がする。 思えば夏の終わりはいつもこんなことを考えていたかもしれない。 特にはっきりとした理由はないが輪郭の無い思案に暮れ、無性に未練がましさ

          野分の砌

          天気予報

          大切なものに気づかされるのはいつだって取り返しがつかなくなってから。 新たな視野が生まれるときは苦痛が伴うことが多く、必ずと言っていいほど後悔に付き纏われる。 少なくとも自分はそうだ。 新しい発見をするというのは、人としての「成長」を意味していると思う。が、成長するには苦しまなければならないという、何とも不器用で皮肉なものか。(確かに筋肉痛や成長痛もあるようにそれと同じようなものなのかもしれない。) ただでさえ自己嫌悪と劣等感で削られまくったメンタルで、その先の「成長

          天気予報

          蝉と朝陽と子猫

          唐突に言葉を綴りたいと感じる時というのは、 恐らく自分の中で何かが生まれようとしているのだと そんな風に錯覚していたが、実際は己の戯言に耳を傾けてほしいだけのめんどくさい承認欲求の掃溜みたいなものだった。 --------------------------------------------------- 今朝いつものように現場(マンション)に向かうと、正面玄関に面する目の前の歩道、その道の真ん中で子猫が一匹倒れていた。 死んでいるのだろうか。 道行く人々はもれな

          蝉と朝陽と子猫

          ヒトは死後直後から早期死体現象が始まり晩期死体現象に移行した後、自家融解と腐敗を経て

          白骨化していきます。 私事ですが今年は身近な人の死を多く見ておりまして。まぁ「死」というものは例え身近であれ全く知らない他人であれ、この上ない哀しみを生むのですが.....やはりそれが知っている人間、また親しい人間であればあるほど人間特有の感情がその哀傷を張り裂けるほど増長させますよね。 特に今年はその「死ぬこと」について沢山思い、考える機会があったのでまたいつか文章に起こして自分の思いを俯瞰的に再確認しようかと思っています。 To be continued....(流行

          ヒトは死後直後から早期死体現象が始まり晩期死体現象に移行した後、自家融解と腐敗を経て

          ミリオンロックに向かうサンダーバードの中で、出演バンドではなくけいおんの楽曲を貪るように聴き漁る境地

          に至っていたのは紛れもなく自分です。 (注:この記事はあなたの大切な時間を6分ほど奪います。安易に閲覧しないことを推奨致します。) --------------------------------------- 6月1日土曜日 早朝5時20分 爽やかな期待感と共に目が覚めた。 僕が早起きをするなんて地球の自転が逆になるのでは...?と思うくらい縁のないことですが、やはり好きなものに対する執着はすごいですね.....5時半にアラームセットしてたのに食い気味に10分早く目が

          ミリオンロックに向かうサンダーバードの中で、出演バンドではなくけいおんの楽曲を貪るように聴き漁る境地

          「夢は死なない」について

          突然ですが、自分の拙い語彙力に愛想が尽きたので文章を書く練習としてnote始めました。 呟きなどはTwitterで事足りるのですが、この語彙力皆無太郎の前では140字で言いたいことを全てまとめるなどという神がかった荒技はまずできませんからね....ブログでもいいんですけどそこまでボリュームいらないかなぁとも思い、こちらで書いていこうと思いました。まぁ最近このプラットフォーム流行ってますもんね(ただのミーハーである) さて、昨日、今日と初めてミリオンロックに参戦しました。フ

          「夢は死なない」について