夜行と鈴虫


誰かの特別になりたいと願うのは人である以上、ごく自然な心理現象であるとは思うが、その欲望を自らの中に閉じ込めることができるのか、はたまた他人に対する強要になってしまうのかでは、残念ながらその素敵な願いも見方が180度変わってしまう。


誰かを大切にしようとする想いがその誰かを傷つけるような結末になることが、自分は一番怖い。
人を求める気持ちというのは一見すると綺麗なもののように感じるが、その裏には数え切れないくらいの歪な感情を孕んでいるのだと、こんなふうに考えてしまう自分はどうかしているのだろうか。

結局のところ人というのは、自分にとって都合のいいことにしか心が動かされないではなかろうか。それが誰かのためという表情であったとしても、その本質はきっと全て自分のためだからだ。
面倒なことに人の心理現象には数多くの認知バイアスが存在している。その中でも確証バイアス、自己奉仕バイアス、ダニング=クルーガー効果あたりが、こういった対人関係での悩みを助長している。

そして現代人は、ホモサピエンスの頃からほとんどその遺伝子が変わっていない。ヒトの構造というのは僕らが想像している以上に全く進化していない。
そういった前提の上で、人間には備わっていて当たり前であるこのバイアスたちや、ネガティブな思考というものたちとこれからどう向き合っていくべきか。


誰かが誰かを求め、必要とし、愛されたいと願い、その繋がりが何世代にも渡って受け継がれ、そして自分の存在がある。

自分の中にある"歪"だと捉えているこの感情を見つめることは、それらのルーツに反する行いなんだろうか。


何が正解であるという答えがあるわけでもない。が、綺麗なものを追求することと、生物としての人間らしさというのは共存しないのだろうか。


自分は綺麗事だけで物事に納得することができない。きちんと自らの意思や信念に基づいた上で、他人を尊重し、どの道に筋が通っているかをハッキリさせたい、いわゆるめんどくさいタイプである。
そんなめんどくさい自分には当然ながらめんどくさい側面もたくさんある。
ただ、綺麗なものもずっと見ていたい。
綺麗なものに触れ、綺麗であると感じられる心を持っていたい。

これは矛盾しているんだろうか。





風がすっかり秋めいてきた。

夜に響く虫の音に耳もくすぐられている。


季節の移ろいを感じる時、自分の心も移ろう気がしてならない、そんな夜だ。


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