注意拡散型メンタリティ障害


しばらく眺めていたスマホの画面を閉じ、喉元に感じる輪郭のない焦燥感に気づきつつも1分ほど天井を見つめていた。
その後ハッキリと意識が戻った時、自分は再びスマホを眺めていた。無意識に電源を入れていたんだろう、そのことに気づく時のあのなんとも言えない感情、自分に対する恐怖や不憫さが先ほどの焦燥感に拍車をかけているようだ。

このように、スマホにおける自分の意思決定や行動選択が際限なくシームレスになっているのもFace IDといった機能の進化、即ち科学の進化が著しい結果ではあるが、無論、自らがスマホ依存であることも然と自覚している。
あくまで自分は受け入れている。というのもあって、それらを改善することも可能であると考えているため特に焦っているわけではない。


事象には全て原因があり、根拠を持ってそれらを解決することができる。


と、名言っぽく書き並べてみたが別に誰の金言というわけではない、紛れもなく今の私が40秒で書いた言葉である。(受け売り感がとめどないのは否めない)


信じられるものが少なすぎる現代において、科学とお金だけは根拠を持って信用することができるであろう。お金というのは、世界中全ての人間がそれに対して価値を感じているという信用で成り立っており、貨幣史を学ぶことで文明繁栄の歴史を知ることができる。さらに科学に関しては言わずもがな人類の軌跡である。それは毎日数え切れないほどの論文が生み出されては、分析を重ね、崇高なメタアナリシスによって凄まじい発展を遂げている。
そして何より、1kgは1000gである。H₂Oは水であり、大気中の音速は344 m/sである。これらは紛れもない事実だ。またお金も同様、1万円の価値は1万円である。それは一文なしであろうと、資産1億以上のミリオネアであろうと関係ない、誰が持ってもそれは1万円なのだ。
こんなにも分かりやすく、明快に信用できるに値するものが他にあるだろうか.....。


話がめちゃくちゃ逸れてしまった。
スマホの話から科学とお金について話しているところだけを切り取って見てみると、めちゃくちゃ胡散臭いやつの話にしか聞こえないよな。

恐らくこうしたコミュニケーションのジェットコースターが対人的にも悪影響を及ぼしているんではなかろうかと、そのように感じています。


つい先日までは特に角が立つこともなく良い雰囲気でやり取りしていた友人から、急にパタリと返事が来なくなることってよくありますよね。
あの時の不安たるや....一日中そのことを考えてしまうことだって珍しくはない。

もしかすると自分が気付いていないうちに嫌なことを言っていたのだろうか...そもそも良い雰囲気を感じていたのは自分だけで、相手が重荷に感じているような会話、すなわちこちらの一方的なコミュニケーションだったのではないだろうか.....。

巡る思いはしばしば我々を縛り付け思考を止めてしまう。だが、本当にそうなのかもしれない、可能性はないとは言い切れない。そうであるのならどうするのが正解なのだろうか、そっと離れお互いに傷を広げないようにするべきなのか、もしくは自己開示を起点に他者を理解しようとする独りよがりな傲慢であるべきなのか....。


と、いともたやすく思考の沼に陥り悪循環を重ねメンタルを病んでいくのです。
つくづく人間は弱い生き物であると痛感致します。



対人中のコミュニケーションで、スマホに意識を向けてしまうことをファビングといいます。
そしてこのファビング、最も効果的に人間関係をぶっ壊すことが研究によって解っています。2016年のメーラー大学の論文によると、145人の男女を集めてファビングに関する研究を行った結果、46%の人がスマホをチラ見されて嫌な気分になり、23%の人が人間関係に問題を起こし、37%の人がメンタルを悪化させたという報告がありました。


ファビング、恐るべし。



逆に言えば、あまり仲良くしたくない人に対してファビングを使えば効率的にその人との関係をきr(自重)



それにしても、より良く生きるために人類発展を支えてきた科学がこういった形で人を苦しめているとは...、えらく皮肉なものです。

この世はジレンマに溢れていますね。


誰だったかは忘れましたが、こんな言葉を聞いたことがあります。

「真実などは存在しない、あるのは解釈のみである。」


誰だっただろう、ニーチェだったかな...まぁ誰でも良いんですが、非常に哲学的な言葉であります。

ただ、とても的を得ているとは思う一方、自分はこの言葉に少しばかり違和感を覚えます。


かのガリレオとコペルニクスが唱えた地動説を熱烈に支持した修道僧ブルーノは、当時の法王の天動説的常識や、聖書の教えに著しくそむくものであったため火炙りにされ殺されてしまいました。

今でこそ地動説は揺るぎない事実として人々に知られていますが、結果として間違った解釈をした者が、正しい解釈をした者の命を奪ったのです...。


科学の観点から見る人間の解釈の信憑性は低い。


相対性理論を説いたアインシュタインは「世界について最も理解できないことは、世界が理解できるということだ。」と言っています。
ソクラテスの無知の知に似たものを感じますが、科学と哲学の関係性についてはまだまだ自分も学ばなければならないことだらけですのであまりつらつらと自論を展開するのも地雷を撒き散らしているだけかもしれないなと、ここまで書き続けてきていま気付きました。(戻ってきました)


まずは文章を書く練習から始めないといけませんね...。


今夜も苦痛の23時台を乗り越えられそうです。
人が思い悩むときは大体独り。

自分は一人は好きだが、独りではない。


この言葉をひたすら僕自身に聞かせ毎日を繰り返していますが、いつの日か孤独をも愛せる日がくるといいですね。


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