"We cannot learn without pain."


生活の文節、行間、その一瞬、1ページごとに、
何に対して意識を向けて生きているのか。

その時々に延々と繰り返される選択の連続に、
自分は今も明日も誇りを持つことができるか。


人は皆それぞれの生活の中で幾度となく厳しい選択を迫られ、その度に悩み、苦しみ、不安に苛まれ、時には心が折れそうになりながらも、必死に今この瞬間に至るまで繋ぎ留めている。
当然、自分自身もそうである。

そのときに選んだ選択が正しかったかなど誰にも知る由はないが、自分はその選択を思い出すたびに酷く気持ちの悪い、喉が詰まるような苦しみを覚える。それは絶対に違うだろう。と、過去の自分に対して怒鳴り散らしてやりたいくらい後悔の念がある。


「苦しまずに学ぶことはできない。」
万学の祖、アリストテレスはそう言った。


はるか紀元前の頃より人は苦しみを伴ってまで学び続けてきた。古代ギリシアに生きていた人々も、令和に生きる現代人も、どの時代に生きているにせよ苦しみを感じている時というのは、自分にとって良くも悪くも何かを学んでいるんだろう。


学ばずして真の自己実現はなされない。

誰が正解を決めるわけでもない。何が正しくて何が間違っているのかなど、誰にも決断できないのだから、自ら感じている苦しみに従い、学び、明日の自分に恥じない選択をしなければ、と。


決意するのは非常に簡単である。


決意の文章を綴り、その時点で自己満足に浸りながら筆を置き、同じような後悔を繰り返してきたのが今日までの自分だ。

だからこれは、明日の自分への挑戦状とする。
尚、この挑戦状による有効期限は24時間で繰り返し適応されるものとする。


さて、明日以降の自分が歯痒い思いを抱きながら、この記事を削除するか悩まないことを祈るばかりだ。

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