閉店ガラガラ事件簿 前編 【小説】
5年前の6月、私と娘は2人、アメリカから日本へむけて、2年ぶりの一時帰国をするため日本へ向かっていた。夫は仕事の為、私達より数週間遅れで合流する予定だ。
アメリカには夫の仕事で滞在していて、2年一度、VISAの関係でアメリカ国外に出る必要があることと、会社の規定で健康診断など受けることなどの決まりがあった。帰国の経費は会社が負担してくれる。
私は、アメリカでの暮しはかれこれ7年位くらいしており、このように、日本とアメリカを夫抜きで行き来することは何回も経験していた。
今回違うのは、娘がいたこと、娘と二人で日本に帰国するのは初めてだった。
私の住んでいるアメリカは中西部にあり、日本への直行便は通っていない、必ずどこかの経由地を利用する。
シカゴ・デトロイト・アトランタなど何箇所かの経由地を選ぶことになるが、今回は、ダラス・フォートワース国際空港を利用することにした。
航空券の手配は、事前に夫が会社のなじみの航空会社経由で手配してくれていた。
地元の空港へは夫が車で送ってくれて、ダラス・フォートワース国際空港へは正味1時間半で無事に到着した。
飛行機の遅延など、突発的な事案を考慮して、かなり時間の余裕があるスケジュールを組んでいた。
その日もダラス・フォートワース国際空港には、東京行きのJALに乗り継ぐまで2時間あまりの時間があった。
夫へは空港へ着いた時に、スマホから無事についたこと、そして、次に乗る便の時刻表も写真に撮り送った。
夫からは「無事について良かった、次の便も確認できたので、これで一安心だね」という内容のメールが届いた。
そんなメールに少し安堵しつつ、私は娘と軽いブランチをして、私達が乗る予定の機体の「搭乗窓口」近くのベンチで娘はiPadで動画を見て、私も本などを読み時間を潰していた。
出発時刻近くになっても、ロビーはガラガラで、時刻表の表示は「Delay」(遅れ)となっていた。アメリカで飛行機の遅れは日常茶飯事でむしろ定刻「On time」の方が少なかった。
すると、見知らぬ日本人の女性が私に話しかけてきた
「飛行機遅れているみたいですね」
私も「そうなんですよ、ずっとこの場所で待っているんですが、人も全然いないんです、アメリカではよくあることですからね」と少し話した。
そしてその女性は歩いて別の場所へ行ってしまい、娘と二人でまた出発時刻まで時間をつぶしていた。
すると、信じられないアナウンスが、空港内に響きわたった。
「メイ様(実際は私の苗字)至急、搭乗窓口へお越しください、あと数分で当機は出発致します」と、はっきりとした日本語で聞こえてきた。
「えーっ!出発するってどこから??」
ずっと、座って待っていた、この場所は間違っている場所で、一刻も早く、私達の「搭乗窓口」を探して飛行機に乗り込まなければと思い立ち、慌てて、娘を後方に引き連れて走り出した。
私の乗る飛行機は「JAL」、まずはそのJALのカウンターを探さなくてはならない。
とりあえず誰かに聞かなければと走りだした。運悪く、誰も周りにおらず、ひたすら声をかけられそうな人を探して走った。
すると、前方から、日本人らしき6人の客室乗務員の集団がこちらに歩いてくるのが見えた。私はすかさずその集団へ走りより聞いてみた。
「JALの出発窓口を探しているのです、この番号の機体なんですけれど」と
口早に手に握っていた航空券を見せて言った。
その中の一人の方が、「私達はANAなので、JALはちょっとわからないのですが、あちらの方ではないですかね」と親切に応対してくれた。
淡い期待を打ち消されつつも、唯一の希望、あちらの方角へと再び走り出した。
私の後ろを頑張って走って着いてきてくれている、小学校2年生の娘には
「ママがんばるから、あなたもママの後ろで、がんばって着いてきて」
と声をかけた。
あちらと示された方角に向かい全力疾走した、火事場の馬鹿力など、私にはそれまで持ち合わせていないと思っていた力だったが、「絶対に飛行機に乗り、娘と日本に帰るのだ」という、強い信念のもと、無我夢中で走り続けていた。
途中、両サイドに現れた、免税店街を横目に見て、次回、1ヶ月後のアメリカへの帰国時には、この免税店街に寄るのだと心に誓い近い走り続けた。
そして、私の目にあの、おなじみの、赤い鶴が羽を広げているマークが目に飛び込んできた。
「あそこだ!」
私は、最後の力を振り絞り、ゴールをめざした。
出発窓口には2、3人のJALのスタッフの人が働いていた、
「すみません、遅くなりました、メイです」
と声を発したと同時に、無情にも、灰色の商店街でもおなじみの、お店が閉るときによく目にする、あの物体が出発窓口のカウンターの上の方から下の方へとさげられた。
「閉店ガラガラ」
まさに、どこかで聞いたことのある、フレーズが私の頭の中に響きわたった。
なんとなく、その意味は感じ取れたが、横にいたスタッフに話しかけた。
「すみません、遅くなりました、アナウンスされていた「メイ」です。」
スタッフの方は、すぐさま
「メイさんですか、申し訳ありません、お乗り頂く予定でした、飛行機はすでに動きだしており、お乗り頂くことはできなくなりました」と言ってきた。
「お乗り頂くことはできなくなったって、私達どうすればいいんですか??」
この言葉以外思い浮かばず、とりあえず言ってみた。
スタッフの方は
「何度も、アナウンスの方で「メイさん」をお呼び出していましたが、気がつかれませんでしたか?」
私は、この手の、もう過ぎてしまったこと、そして取り返しのできないことを聞かれるのが苦手だ。
「全く、気が付きませんでした、最後のアナウンスが日本語でしたので、気がつきました」と伝えたところ、スタッフからは
「英語と日本語のご案内を何度も流させていただいていましたが、気が付かれませんでしたか。。。」
本当に、気が付かないで、こういうことになっちゃっているので、もうどうしようもない。
最後は「私達、どうすればいいんですか?」とスタッフの人に言ってしまった。
スタッフからは「お客様のお持ちいただいている航空券は、お客様ご自身で旅行会社様経由でご購入いただいているものとなりますので、こちらの方では何もできません、お客様の方で再度、ご変更の手続きは必要となります」
そして続けて、
「航空券の手配はできませんが、ホテルの手配ならできます、いかがしますか?」
もう、ここまで来ると、自分だけの判断ではどうすることもできなくなり、夫に電話をして頼ることにした。
『後編へつづく。。。』
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おはようございます。
この話は5年前に、私の身におきた話し、実話「ノンフィクション」を小説にしてみました。
すべては私の勘違い、確認不足という、今現在も反省すべき私のいけないところがでてしまった出来事でした。
私が今まで生きている中で、一番の失敗事です。そして、娘の私への「信頼」を全くなくしてしまった日でした。
「パパと一緒だったら、こんなことにはならなかった」って何度言われたでしょうか、でも、『後編』で書きますが、こういう失敗で得れることもあるということを書いていきたいと思います。
今日は木曜日です。私が住んでいる場所は朝からジメジメとしていて、気温も高め、ちょっと体もだるい朝となっています。
皆さんも私と同じように、気分があまり優れない方もいらっしゃうかと思いますが、がんばって行きましょう😊
ヘッダーは当日、夫に送った乗り継ぎ便の時刻案内です。
一番下にAA61 Tokyo Naritaってわかりますか?私、AA(アメリカン
航空)の窓口にずっといたのです。AAとJALを間違っちゃていました(^_^;)
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