エゴと愛を区別できる日本語の神秘
こんばんは、めぐしです。
前回は自宿と自祝という
造語について書きました^^
「自粛」はエ語(エゴ)
「自宿と自祝」は愛語。
ちなみに、
「エ語」と「愛語」も
もちろん造語です。笑
ただ、
実際には中身を見なくてはいけないので、
言葉だけでは判断できないものではあります。
例えば「自粛」という言葉も
本当に相手のためになる行動を伴う
自粛であるならば「愛語」になり、、
自分の正義感を押し付けるだけの
「自粛しろ」などの自粛警察を代表する
自粛という言葉は「エ語」だと思います。
自宿や自祝という言葉も同じで、
誰のことも一切考えず、
ただ自分が休むだけだったり、
自分の事しか祝わないのなら
それはエ語になっちゃいますよね^^;
ですが、
「言葉だけで分けてもいいかな」
と思えるものもあります。
分かりやすいところでいうと、
「遠慮」がエ語で
「気遣い」が愛語でしょうか。。
結局は、
自分だけのための言葉がエ語で、
自分含め誰かのためになる言葉が愛語。
他の例をあげると、
「猜疑心」はエ語で、
「懐疑心」は愛語と
言ってもいいのかもしれません。
日本語は微妙な違いで
別々の言葉があって面白いですね^^
英語もあるのかもしれませんが、
詳しくないので知りません🤪w
でも、日本語ほど細かくは
分かれていないとは思います。
エ語と愛語は
他にも沢山あると思うので、
何か思いついたら教えてくださいね😉
エ語を漢字にするなら「自分だけが得をする」
という意味で「得語」がいいかなと思ったけど、
「相手が得をする」ともとれてややこしいから
分かりやすいエ語でいきます。笑
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました^^
とりあえず 今日も人生 楽しもう♪
心の声の おもむくままに☆
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