- 運営しているクリエイター
#習慣にしていること
第1週第3日水曜日 教育者・学者 津田梅子
津田梅子は歴史上の人物に入ると思いますが、とりあえず日本の教育者のパイオニアですので、まずここで紹介したいと思います。
津田梅子は1864年12月31日生まれ。
生まれたときはむねと書いてうめと読んだそうです。
1902年漢字表記にしたとき梅子と表記するようになったそうです。
うめは東京生まれ。次女で今の新宿区南町に産まれました。
お父さんの津田仙は幕臣で、江戸幕府が崩壊したあと、職を失い
第8週 水曜日 教育者 甲斐和里子
8人目の教育者は仏教の学校を作った甲斐和里子さんです。
甲斐 和里子(かい わりこ、1868年(慶応4年)6月15日 - 1962年(昭和37年)11月27日)は、日本の教育者。京都女子大学の前身、顕道女学院の創始者。旧姓・足利。
1864年6月15日現在の広島県福山市神辺町西中条生まれられます。お父さんは勝願寺の住職で、浄土真宗本願寺派の学者の足利義山氏です。
お父さんがが進徳教校(崇徳中学
第9週 水曜日 教育者 跡見 花蹊
第9人目の教育者は学校法人跡見学園の創立者 跡見家渓さんです。
跡見花渓さんは1840年5月10日
摂津国西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)にお生まれになりました。
本名は滝野だそうで父滝野重敬氏は寺子屋を営んでいました。
幼少時より書や画などを習い、12歳の時石垣東山に入門、その後禎野楚山について画を学ばれます。
17歳の時の1856年(安政3年)に京都に遊学されます。
そこで頼山陽門下の
第7週教育者 海老名 リン
7人目の教育者は福島県で保母の資格を取った、
会津地方の幼児教育、女子教育に功績のあった海老名リンさんです。
海老名 リン(えびな りん、1848年(嘉永1年)- 1909年(明治42年)4月20日)は、日本の教育者である。福島県で保母の資格を取得した最初の人物[1]であり、会津地方の幼児教育、女子教育に功績があった。婦人矯風会副会頭。
海老名リンさん葉1848年会津に生まれられましたかな
第6週水曜日教育者一柳満喜子
今日は近江兄弟社で知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの妻で、近江兄弟社学園の学園長を務めた一柳満喜子さんです。
1884年3月18日兵庫県加東郡小野町(現・兵庫県小野市)の元播磨小野藩主、維新後は貴族院議員となった一柳末徳子爵の三女として誕生されます。
お母さん英子さんは小さいころに他界されましたが、満喜子さんが通った築地のミッション系の櫻井女学校(現・女子学院)幼稚園の矢嶋楫子さんや宣教
第5週 水曜日教育者 安井てつ
5人目は大学教育に戻り、女子の高等教育に関わった安井てつです。
1870年3月24日安井てつさんは東京に旧古河藩藩士の長女として生まれました。
東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)を卒業して、まず岩手県尋常師範学校や母校の東京女子師範学校で教えられます。
1896年、26歳のとき、文部省留学生としてイギリスに留学されます。
ケンブリッジ大学やオックスフォード大学で教育学を学ばれます
第4週水曜日 教育者 河内山 寅
教育者4人目は先週の黒岩とそと同じように同時期に小学校の先生になった女性 河内山 寅を紹介します。
寅は、上田藩士河内山長善の長女として安政2年(1855)上田鷹匠町たかじょうまちに生まれました。
つまり今の長野県です。
寅の父は藩校の句読師くとうしなどを務めていました。母方の叔父は学者で、このような環境に育った寅は、小さいころから本を読むことが好きでした。
母は寅に『女大学』『庭訓往来
第3週水曜日教育者 黒澤止幾
教育者の3人目は日本最初の小学校教師の黒澤止幾です。
参考文献はこちらです。
1807年1月29日黒澤とき(名前には止幾・登幾・止幾子(ときこ)といくつか伝わっているそうです)さんは常陸国茨城郡錫高野村(桂村を経て現・茨城県東茨城郡城里町)に生まれました。
家は私塾(寺子屋)も開いていた修験道場(しゅげんどうじょう)の宝寿院です。幼い頃に父と離別した止幾さんは、祖父や養父から漢学、国学などを
第3日 水曜日 教育者・学者 豊田芙雄
教育者・学者の2人目は、日本初の幼稚園の先生(当時保姆(読み方ほぼ)と呼ばれました)
豊田芙雄(ふゆ) さんです。
歴史の人物になりますが、月曜日のカテゴリーに入る人がそこそこいるので水曜日に扱うことにします。
この文を書くのに参考にしたのは 武智ゆりさんの 日本初の幼稚園保姆 豊田芙雄 です。
1872年当時の政府は学制を制定し、今の小学校の中に「6歳までのものに、小学校の前の端緒(物事のは