周りと比較されて育った
いや実際はそんな事ばかりではないと思うけど…
やはり比較された事というのは、子ども心に強く記憶に残ってしまうのだと思う。
私の母は目にした人と自分たち家族を一直線で結び、比べる事が多かった。
それは自分たちが上の時もあれば下の時もあった。
\羨ましい/
これがとにかく多い人なのだ。
『○○ちゃんが娘だったら良かった。』
そう言われた事がある。
私が高校生の時だ。
その○○ちゃんというのは、私が一番仲良くしていた友達だった。
明るくて華やか、礼儀正しいふるまいが出来る。
いやいやいやお母さんよ、あなたは私のお母さんなんだから、そりゃ友達も失礼のないようにするだろ…
その友達だって家に帰ったら思春期らしく悪態をついているかもしれない。
っていうか、私も友達の家に行ったら “明るく礼儀正しい子” としてのふるまいをするさ。
母はこういう事がわからない。
リフォーム業者の営業の人が親切で優しいから、心を開きまくって家の情報を漏らしまくっていた事もあったなぁ。
いやいやいや、仕事、なんだよ。
今となれば母のそういう特性もわかるのだけど、当時はわかるはずもなく、
友達と比較されて、しかもその友達が娘だったら良かったなんて言われた時はショックで悲しかった。
この事はもう自分の心と向き合えているので、過去の事になっている。
今日 言いたい事は、母の視野の狭さについてだ。
比較する人というか、母が自分の視界に入れる人間があまりにも少なかったのではないか…
そんな風に思った。
意識する人が少ないと注目度が上がり、より比較しやすい構図になる気がする。
だって\世の中には色んな人がいるもんだ/と知っていたら、比較なんて意味がないとわかるから。
母の半径数メートル。
しかも母は、見えている事だけをそれが全てだと思う人だ。
そんな極狭な範囲の人と比べられても、私も困るよ。
それが全てじゃないじゃん!
そしてその極狭は見事に引き継がれたのだ、私に。
もっとたくさん本を読めば良かった…
いや漫画なら読んでた。
あと音楽も好きでたくさん聞いてたし、県外に出て独り暮らしをして、働いて色んな人と関わってきた。
そんな中で、
視野を広げる勇気が出せなかったのは私だ。
母の作った極狭の世界から出なかったのは私。
母もそれを喜んだし、私も結局は、いつまでもそこにいたかったのかもしれない。
だから息子の手は放してあげたいと思っていたっていう事に繋がる。
それは幸せではないと感じていたから。
ああ、だから執着になったのか、、、
ネットで見つけた通説によると、人が人生で出会う人数は30,000人らしい。
多いよね。
いや、どうなんだろう。
以前の私なら実感のない数字に思えただろう。
でもせっかくならば、30,000人と話してみたいとも思うし、最近はやろうと思ったら出来るんじゃね?とも思うようになった。
この30,000は、例えば同じ学校だった人とか通勤電車で同じ時間になる人とか、コンビニの店員さんとか、そういうのも含めてかなぁと思う。(私見)
そもそも世界の人口は約80億人で、日本は約1億2400万人。
今はネットで簡単に有名人だけじゃなくて、一般の人の色んな人生を知る事ができる。
『母の好みの娘ではなかった』という事なだけで、私は今は結構自分が気に入っている。
アラフォーからだんだんアラフィフに以降してきて、人生の折り返し地点という感じの最近。
この気付きが20代なら…と思う事もある。
いや、だからこそ息子の17歳を希望に感じられるのだ。
私はこれから比較すらアホらしく思うぐらい、たくさんの人の話を聞きたい。
それではまた(^-^)/
\\私の開運話//
人生ドン底のピークから、どういうやり方で運が良くなったのかを書いてます。
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