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お仕事の話

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初めての仕事

初めて自分のしたことで対価を得たのは、まだ小学校にも入っていなかった頃だと思います。 私の母はこわい人でしたが、祖母の家にいとこ達が集まったときなどには、ユニークな言動をする人でした。 「白髪を抜いてくれたら1本につき1円あげる。」 「肩たたき100回で10円。」 夏に皆で海に行き、後日、背中の皮がむけたときには、 「皮を1まいむいたら1円。おおきな皮がむけたら2円!」 などなど… いわゆる『お駄賃』というものですね。 それで手にしたお金を持って、近くの駄菓子屋へ行き

新聞配達

私は小学生の頃、市営の団地に住んでいました。 団地には、同じ年ごろの子供がたくさん住んでいて、学校から帰って来てランドセルを置き、外に出れば、誰かしらひとりくらいは遊び相手がいました。 学年に関係なく、友達がたくさんいました。 中でも、私が1番大好きだったのは、2つ年上ののんちゃんでした。 のんちゃんは、団地の周辺にある一軒家数十件に、毎日夕刊を配達していました。 遊んでいても夕刊配達の時間になると、お別れをしなければなりませんでした。 別れがたい私は、いつからか、その配

結婚式場の配膳

そのバイトを紹介してくれたのは、中学校も同じだったヒロでした。高校2年生のときでした。 ヒロには4つ年上のお姉さんがいて、美人で社交的で顔が広いひとだったので、どこからか人集めを頼まれたようでした。 結婚式場で、披露宴の食事の配膳準備やバッシングをするという仕事で、出来る日だけ行けばよく、お給料は帰りに現金でくれるという、高校生には何ともおいしいバイトでした。 結婚式ですから、仕事は土日祝日で、仏滅などにはもちろんありませんでした。 当時の披露宴は、長テーブルをいくつ

棚卸と伝票計算

ヒロのお姉さんからの紹介で、棚卸の仕事の声がかかりました。 閉店後の書店の本を数える仕事でした。 今のように機械などを使うのではなく、普通に1・2・3…と数えて、紙に数を記入していきました。 どのくらいの時間がかかったかは忘れてしまいましたが、高校生が可能なバイトだったことを思うと、3時間程度だったのかもしれません。 また、本の数を記入したその紙の数を合計する、という仕事も引き受けました。1枚1円とか2円とかだったような気がします。 でも、母がしていた内職は、けっこう手

ファミレスのウェイトレス

私が高校生の頃にマネージャーとして在籍していた運動部は、平日は夜8時頃まで練習し、土日祝日も休みなどなく、 しかも朝から晩まで試合や練習をしていました。 弱いチームなのに遠征もありました。 たくさんバイトをしてお金を稼ぎたかったけれど、シフト制のバイトをすることは不可能でした。 進学校に通っていたのに、高校を卒業したら就職するつもりだった私は、 3年生になり部活を引退すると、すぐにあこがれのファミレスで働くことにしました。 最近は、ホールの仕事をウェイターとかウェイトレスと

OL

私は学生時代に、字を書いたり、細々した雑用を先生などから頼まれたりするのが大好きでした。 テレビドラマなどに出てくるOLに、とても憧れていました。 あんなに楽しそうなことをして、お給料をもらえるなんて! 高校を卒業後、ゼネコンに入社しました。 支店採用の事務職でした。 仕事に特にやりがいはありませんでしたが、嫌だと思う仕事はありませんでした。 ワープロも得意だったし、電話対応も好きでした。 ちょうどバブルの時期で、お給料やボーナスもどんどん上がっていきました。 私が在

OL(2)

結婚して、嫌々通勤していた会社を辞めることが出来ました。 夫の転勤で、初めて県外へ転出することになりました。 仲が良くない母と離れて生活出来ることになり、嬉しくてたまりませんでした。 それに、生まれてからずっと同じ県内に住んでいたので、新しい土地での生活が夢のようでした。 夫となった人の会社は、拠点となる『支店』はあるものの、仕事の移動が多く、 新婚にもかかわらず、彼が家に帰って来ることは、ほとんどありませんでした。 私は知らない土地で1人暮らしを始めたようなものでした。

内職

出産後は子育てを楽しくしていましたが、また暇だと感じる時間が出来てしまいました。 とてもよく寝るこどもだったのです。 それで、内職をしようと思いつきました。 母がお守りやお札を作る内職をしていたことがあったので、そのようなことができれば良いと思ったのですが、探してみると、『コイルの点検』のようなものしか見つかりませんでした。 そもそも「コイルって何だろう?」ってくらいだったのですが、暇だしお金が欲しかったのでやってみることにしました。 思ったより1つ1つが大きくて、ダン

牛乳配達

2人目のこどもを出産しました。 ありがたいことに、この子もあまり手がかからない子でした。 夫が週末しか帰って来ないうえ、親戚も親しい友人も近くにはいない生活の私にとっては、本当に助かりました。 でも、こどもというのは、手がかからなくても、生きている以上はお金がかかるものです。 夫も私も独身時代の貯金はなく、お給料日当日に、あちこちに支払いするお金を振り分けると、残りは毎月雀の涙ほどでしたので、何とかお金を稼ぐ方法はないかと考えました。 ちょうどその頃、ママ友に、彼女の友

コンビニ店員

母子家庭の一人っ子(カギっ子)で、しかも母親とは仲良くなく育った私は、 小学生の頃から『専業主婦』に憧れていました。 小学校の卒業文集に将来の夢を書かされたときには、仕方なく、なりたいわけじゃないけど特技を活かした職業を無理やり書きましたが、中学生のときには、はっきりと『専業主婦』と書きました。 私がこどもの頃には母子家庭は少なく、 テレビ番組には家族物のドラマやアニメが多く、 なにより、放課後に友達の家に遊びに行くと、家にいる友達のお母さんがおやつや飲み物を出してくれて、

こども教材販売

もう何年も訪問販売の方にお会いしたことがありません。 そんな仕事自体減っているのか、管理人のいるマンションに住んでいるからなのかわかりませんが、自分の子供がまだ小さく、管理人がいないマンションに住んでいた頃は、昼間家によく訪問販売の方がいらっしゃいました。 たいていは冷たくあしらい追い返してしまうのですが、ある日、声の優しいおばあちゃんのような方がいらっしゃいました。 私が子供の頃から存在するこども教材を、販売していた方でした。 私もそれをとっていたし、楽しく利用していました

掃除用具交換

ちょっと離れた町に住む友人が、掃除用具交換の仕事を始めた話を聞き、私も始めてみることにしました。 ただ仕事をするだけ、というわけにはいかず、1番安いモップを自分も使うことになりました。 もともと掃除が苦手な私は、部屋の掃除など、掃除機をかけるくらいしかしませんでしたが、 「どんなに汚して返してもいいんだから、交換する前に普段やらない網戸なんかを拭くといいよ」などと言われ、ほとんど交換の前日まで使わないくせに、前日にはどこか汚れたところを探して拭いてみたりしていました。 どんな

コーヒーショップ店員

コンビニ店員は辞めることにしました。 理由のひとつは、 土日のどちらかだけ出勤してくれれば…という面接時の話と違い、どちらも入ってほしいと言われるようになったこと。 人が不足しているのがわかっているとなかなかうまく断れません。 短い時間で、自宅から近いとはいえ、平日には2日程度しか入らず、土日両日出勤などというシフトが増えていました。 私より後から入った、同じ年ごろの子供がいる主婦が、 「土日祝日は絶対に働けません」と言い切って採用されていました。 絶対にとは言わないけれど

保険外交員

コーヒーショップで働くことがすっかり嫌になりました。 仕事というのはどんなものでも、 信頼や尊敬できるオーナーや店長や上司の下で、 その人たちの役に立ちたい、笑顔が見たい、褒めてほしい、という気持ちでするものだと思います。 オーナーのことも、店長のことも、すっかり信用できなくなっていました。 仕事を終えて、保育園に子供達を迎えに行く前に、どこかでお茶でも飲もうと思い、近くのドーナツショップに入りました。 その店に入ったのは初めてでした。 飲み終わったカップを下げようと立