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今年、お正月にお年玉を渡した。 中に入れる金額は毎年、ネットに載っているようないわゆる「相場」ではなく、「この子は何を買いたいだろう」ということを想像して、それを買えるような金額を渡すようにしている。 今年、想像したのは「お菓子」だった。 まだお金の使い方もよく分かっていない年齢なのでこれくらいだろうと思い渡したが、渡した後になって「多すぎたかな?」「少なすぎたかな?」とこの段階になって「相場」との差額が気になってくる。お金の使い道を想像するのは案外、難しいものだ。 お
【podcast】 今日はシマダ•ヘッド更新しました。ひとり暮らしのエピソードで書いた発酵爆発事件💥にまつわるあれこれを思い出して…という話です。 https://shimada-head.my.canva.site
いろんな人が企画に参加していてやりたくなった。今年で8年目に突入する僕の一人暮らし。楽しいこともある反面、不便なこと、悩むことは同じぐらい多い。 最初の頃を思い返す元々、家事全般は母親任せ。料理も調理実習ぐらい。そんな僕だから最初のうちは茶々入れられることが多かったし、「隠れ反抗期」だったからモヤモヤすることも多かった。その上、家も自分で選んでいないからなかなか悔しかった。 それでも、料理だけはちゃんとしようと思い、こちらのレシピ本を買った。家のやつは電気コンロで、炒め物
1989年、平成元年当時の横浜税関には4箇所の独身寮があり、採用一年目は全員横須賀市の久里浜寮でしたが、採用二年目の12月を迎えた時には、それぞれ「もみじ坂」、「港南台」、「西戸部」の独身寮に転居しました。土地勘が無い方もいらっしゃると思いますが、「港南台」以外は、横浜の大都会です。最寄り駅が「桜木町」でして、今の「みなとみらい21」から徒歩圏内の立地でした。 しかし、当時は再開発前でしたので、港湾跡地を急ピッチで開発しているような時で、華やかさには欠けていました。「横
あの夢のような日々が懐かしい。 ご飯を食べながらスマホで動画を見ていたって、 裸で歩き回ったって、 夜中に友達が大勢転がり込んできたって、 大音量で音楽を流していたって、 掃除を一ヶ月しなくたって、 一日中寝ていたって、 許されたあの部屋 思春期の女子に気を使うことも、 夜中に音を立てないように帰ることも、 飲みたいお酒を我慢することも、 見たくないテレビを見ることも、 長い髪の毛が浮いたお風呂に入ることも、 なかったあの日々 週末の2日間、 何も声を出してない自分に気
noteサーフィンしてました(新語なのやら死語なのやら……) ハッシュタグ#ひとり暮らしのエピソード企画というのを目にしたので、何かの参考になればと思い、記録してみようと思います。 いやー、初めてのひとり暮らしはもう20年前になります。 大学2年になるちょっと前くらいからですね。 今思い出せるエピソードとしては… ①電気配線火花事件 ②噂の変な人が来た事件 ③見知らぬ男に殴られる事件 などがあります(笑) いや、笑えないか(笑) 企画には何回でも参加可能ということみ
30数年前京都出身の私は千葉県の流山市というところでひとり暮らしをしていました 世間知らずのままひとり暮らししていました 世間知らずなので消火器を買わされそうになりました 断ったら売りに来た人は怖い人に豹変しました 世間知らずなので宗教の人の話を聞いていたら毎週やってくるようになりました。あまりに毎週やってくるのでバイト始めました 世間知らずなので住所移していたら知り合いひとりもいない流山市から成人式の案内が来ました。知ってる同級生誰もいないので行きませんでした 住
1988年12月9日、東京都新宿区市ヶ谷の「税関研修所」での研修生活を終えて、それぞれが所属する税関に配属になりました。 当時の横浜税関には4箇所の独身寮がありましたが、採用一年目は全員もれなく横須賀市久里浜にある独身寮に入寮させれれるルールとなっていました。 言葉は不適切で失礼な表現かもしれませんが、「田舎」でした。「ド田舎」という程ではないですが、横浜まで電車で1時間、駅前は少し栄えているけれど、娯楽施設は無いような場所だった気がします(当時の記憶です、正確性には
ひとり暮らしの期待は 両親が不安そうな顔で見送ってくれたのを尻目に 空港の搭乗手続きから始まっていた 「わたしなら、上手く暮らしていける」 19歳になったばかりの自分は虚勢で始まり 入学式で、鼻を折られた わたしと一緒に都会へ来たスーツは、皺 予定では、新品のスマートな姿を想像していた パンプスだけは、磨かれて だけど、肝心なスーツに皺があった 実家なら、ここで 「おばあちゃま」祖母に差し出し アイロンをかけてもらう 高校生までの当然が、不便に変化した 入学式は、大
私はまだ、あの銀世界に足を踏み出していない。 朝には雨混じりだった雪が、昼には12cmにまで積もったのは数日前のこと。今も綿埃のような雪がしんしんと降り積もり、さらに重く深くその量を増やし続けている。現在の積雪量がいったい何cmなのか、私は知らない。 部屋が寒いと、心もきゅっと萎縮してしまう。ひとりだとなおさらだ。雪雲は鬱屈とするような灰色で太陽の光を遮ってしまうし、足がとられる雪は気分転換に外へ繰り出す意欲も削いでしまう。数少ない外出の理由になる大学の授業も、大雪でオン
学生時代、約2年間一人暮らしをしたことがある。一人暮らしというものは、慣れれば気楽なのだが、家事を一人でこなさなくてはならず、初めての頃は何かと面倒に思った。 家族といっしょに住んでいるときは当たり前にあるものが一人暮らしではない。例えば小さな話で言うと、爪切りがないとか、耳掻きがないとか、帰って来たときに灯りがないとか。そういったことが重なると心理的につらい。 やっと身の回りのものを揃えたと思ったら、電球が切れたとか、ゴミを出し忘れたとか、日々何かしら「問題」が発生す
息子がひとり暮らしを始める時に、夫の提案でぬいぐるみをプレゼントすることにした。2年くらい前かあ。もう2年なのか、まだ2年なのか。よくわからないなあ。 一つはウチに。 「コタロウ」と名が付いて売られている柴犬のぬいぐるみを。 70センチちょっとある大きなぬいぐるみの表面は、つるつるとした手触りで、中身はむっちりした心地良い反発感。 そして息子にはその黒柴ヴァージョンの「コテツ」を。 つまりペアで。 リモートで時々「コテツは元気?」と聞く。その辺に転がっ
(約1,400字) 企画記事の募集がありましたので、書いてみました。 最初に一人暮らしを思いたったのは、20代後半。 「なんとかして実家を出て自立したい」と思いましたが、きっかけがない‥‥。 実家暮らしは、多少の不便はあったものの、気楽でした。 両親がいて、祖母がいて、秋田いぬがいて、周りには数軒の家。 20代の頃に面倒だったのは、 「結婚はしないのか」という、何の気無しに与えられる大人たちからのプレッシャーでした。 「あの家の子は一度、嫁に行
子供の頃から自分の夕飯を作ることもあったし、お米を研ぐことも、茶碗洗も出来ていた。服も自分のセンスで選んでいたし、経済的にも自立していたから一人暮らしで不便はなく、むしろ完璧で楽しいだろうと思っていた。 しかし、日常業務を熟す能力があることが、一人暮らしができる能力を持っていることと異なると知る。 なぜそんな当たり前なことに気づかなかったのだろう。 …………… エスカレーターを降りたとき、 「ちょっと待って」 と話しかけられた。振り返ると、後ろから来たのは細マッチョのイケメ