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別れを告げる

私はまだ、あの銀世界に足を踏み出していない。

朝には雨混じりだった雪が、昼には12cmにまで積もったのは数日前のこと。今も綿埃のような雪がしんしんと降り積もり、さらに重く深くその量を増やし続けている。現在の積雪量がいったい何cmなのか、私は知らない。

部屋が寒いと、心もきゅっと萎縮してしまう。ひとりだとなおさらだ。雪雲は鬱屈とするような灰色で太陽の光を遮ってしまうし、足がとられる雪は気分転換に外へ繰り出す意欲も削いでしまう。数少ない外出の理由になる大学の授業も、大雪でオンラインになってしまった。おかげでひとり、暗がりの部屋で小さくなる毎日だ。

去年のちょうど同じ日付の頃、私は寒さと孤独と絶望感で三日三晩震えながら泣いていた。あれは正真正銘のひとり、だった。一日中カーテンを閉めきり目を覚ますたびに枕を濡らし、昼と夜の区別もつかずただ時間が解決してくれることだけを祈っていた。ひとりはこのまま死んでしまっても誰にも気づいてもらえないんだと、まさに世界の終末のような気分でかろうじて息をしていた。

その涙にもなんとか蹴りをつけ、あれから遅れをとりながらもひとりで生きる力を身につけて、私は一年かけてあの頃からずいぶん遠いところまでやってきた。あの頃に比べたら、どんな寒さだって大したことない。

ひとりという事実が寂しいことには変わりない。
だけど今、私はひとりをそれなりに愛せている。


私がこの土地を去るまで、残り1ヶ月となった。あまり実感がないせいなのかもしれないけれど、不思議とあまり驚きがない。来たるべき時が来た、という感覚の方が近いかもしれない。

雪国生まれ雪国育ち、もっと雪国住みの私が次に暮らすのは、雪とはほとんど無縁の地域だ。そしておそらくこの地が、私の骨を埋める場所となる。つまりこのクソ雪とも、よほどの何かが起こらない限りこれでおさらばだ。そう思うとこの忌々しい雪景色も、少しは目に焼きつけておくか、という心持ちになれる。

人肌恋しい季節に心が萎んでしまうことも、この先しばらくは訪れないだろう。私ひとりのためだけの家具、食事、買い物。湯船にお湯を張ればいつでも一番風呂。どれだけ部屋を散らかしたって全て自己責任で、誰にも干渉されない暮らし。それがどれほど贅沢で豊かで、貴重な生活だったことか。今更のように気づく。

ごはんはいつも適当だし、掃除はサボりがちだし、洗濯もギリギリまで溜め込んでしまうし時にはお風呂すらめんどくさい。絵に描いたような自堕落生活、誰のお手本にもなれない。それでも私はひとりで生きてこられた。生きていける、ということがわかった。あたりが暗くなっても電気をつけずにぼんやりしている時間ですら、それはそれで今の私らしくていいじゃないかと思える。

私はひとりで暮らすのに向いていない。それでも、確かにここは私だけの安住の地だった。4年という期限つきだろうが、私の帰る場所はここだった。涙を流す場所はここでなければいけなかった。名残惜しいと言えるほどではないけれど、この部屋なしで私の4年間は語れないなあと感慨深くはなる。

これからはまた、新雪を踏むような日々が始まる。そのために、この空間はここで過ごした時間とともにまっさらにしなければならない。私がここで生きた証として、責任を持って、きちんと片をつけようと思う。

雪が再び勢いを増してきた。暗がりの中、パソコンの画面だけが煌々と不健康な光を放っている。



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