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#文芸評論

東北三詩人試論

東北三詩人試論

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宮沢賢治、高村光太郎、石川啄木の三文士を東北三詩人と呼ぶことにする。三人ともに東北に縁があるからだ。以下はこれら三詩人の詩歌作品に対する断片的試論だ。矛盾もあろう、曖昧さもあろう、飛躍もあろう、行きつ戻りつもあろうが、それらをスパイスとして楽しんでいただければ幸いだ。

1.ヴ・ナロード
広義では、賢治も光太郎も啄木もヴ・ナロードの徒だった。狭義では、ヴ・ナロードとは、19世紀後半のロシアの

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文芸批評断章45

45.島村抱月の「蒲団」評
島村抱月は『「蒲団」評』で言う。1)従来のきれい事しか言わない小説と比べれば、「芸術品らしくない」この小説はその限界を打破したものとして評価できるが、しかし同時に芸術品らしくないというまさにその点で弊害もある。2)主人公の妻の描写が不十分であり、主人公と子を抱えた家庭の関係が色濃くは描かれていないので、主人公の倦怠と煩悶がリアリティを欠く。3)「赤裸々の人間の大胆なる懺

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文芸批評断章44. 「少女病」から「蒲団」へ ―田山花袋小論

文芸批評断章44. 「少女病」から「蒲団」へ ―田山花袋小論

「少女病」(1907)から「蒲団」(1907)へ。ここには作者田山花袋のロマンチシズムからリアリズムへの脱皮が見られ、作家としての成長も見受けられ、同時に恋愛のいわば進化も見られる。ここでは、そういったことについてちょっとばかり筆を滑らせてみよう。

田山花袋は、自らが中年となって(といっても三十代半ばであるが)生活上も文学者としても活力が干からびてくると、若い女との恋愛を願望し、それが同年に発表

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文芸批評断章40 田山花袋「蒲団」

文芸批評断章40 田山花袋「蒲団」

主人公の竹中時雄は三十代半ばの妻子ある作家であり、ある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯の手伝いをしている。三年前に三人目の子ができ、新婚の快楽はとうに尽き、社会と深く関わって忙しいでなく、大作に取り掛かろうという気力もない。朝起きて出勤し夕方に帰ってきては妻の顔を見、飯を食って寝る、の繰り返しである。「単調なる生活につくづく倦き果てて了った」(二)のである。それが原因なのか、少し鬱気味でもあるよ

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文芸批評断章20-21

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島村抱月は『自然主義の価値』(6)において、次のように言う。すなわち、文芸の目的には快楽と実際的意義とがあり、両者を総括して美となる。一方に偏るのでは文芸ではない。道徳を説くだけでは単なる修身書であり、快楽のみを目的とすれば遊戯や飲食と変わらない。「両者は是非とも溶解して一になつてゐなくてはならぬ」のであり、「此の境を吾人はまず大まかに美と名づける」と。(現代日本文學大系 第96巻 文藝評論

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文芸批評断章1ー6

文芸批評断章1ー6

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漱石の「坊ちゃん」の主人公の性格は、「奥の細道」の仏五左衛門のそれに似る。芭蕉はこれを「唯無智無分別にて、正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質最も尊ぶべし」と描写する。「坊ちゃん」では召使いの清が坊ちゃんを可愛がって「あなたは真っ直でよいご気性だ」と言うと、「おれはお世辞が嫌いだ」と答え、すると清は「それだから好いご気性です」となお喜ぶ。主人公はぶっきら棒で、意地っ張りで、負

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