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文芸批評断章1ー6

1.
漱石の「坊ちゃん」の主人公の性格は、「奥の細道」の仏五左衛門のそれに似る。芭蕉はこれを「唯無智無分別にて、正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質最も尊ぶべし」と描写する。「坊ちゃん」では召使いの清が坊ちゃんを可愛がって「あなたは真っ直でよいご気性だ」と言うと、「おれはお世辞が嫌いだ」と答え、すると清は「それだから好いご気性です」となお喜ぶ。主人公はぶっきら棒で、意地っ張りで、負けず嫌いで、猪突猛進の嫌いあり、頑固で、優しさは言動に見せないが情のない者ではない。両者はどこか似る。人間性格の一類型か。

2.
「奥の細道」3の「只身すがらにと出立侍を、帋子(かみこ)一衣(いちえ)は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞(はなむけ)などしたるは、さすがに打捨てがたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ」の箇所に注目すべし。聖にあらんと欲して聖たり得ず、俗から脱せんとして脱し得ず。ここに芭蕉の境地あり。芭蕉は聖俗のいずれか一方のみに偏らない。

3.
「奥の細道」には小さきものへの愛情が見られる。旅立ちに際しては「行く春や鳥啼き魚の目は泪」で魚の小さな目を想像する。日光山の句「あらたうと青葉若葉の日の光」では、青葉と若葉を細かく区別する。那須の「かさねとは八重撫子の名なるべし」では幼女に愛情を注ぐ。「世の人の見付けぬ花や軒の栗」もそうで、ここでは世に知られぬ修行者への愛と神仏への崇拝とが接続している。

4.
西脇順三郎の「旅人かへらず」では、日々の生活や散策が旅に見立てられているので、詩人はしばしば自宅へ帰っており、その意味では題名を裏切っている。また作中には崇敬すべき神仏はおらず、そして読み進め理解するのに古典に所縁ある背景的知識などは不要だ。そこが芭蕉の「奥の細道」と似て非なるところだ。

5.
「奥の細道」全編に漂うゆったりとした感じは、芭蕉がひとえに人情に抗わず、慣習に逆らわないところから来る。何ら事件らしい事件も起こらず、人物は皆善良だ。それが作品全体に落ち着いた香気を添える。 

6.
与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐に触れもせでさびしからずや道を説く君」という「みだれ髪」にある短歌について言えば、情念が制度から漏れ出ている。女は三歩下がって歩き、夫に逆らうべからず、という時代の通念を面を向かって否定する。女から男へと「私に触れて」と訴えるのだ。情念が因襲とぶつかっていくのだ。情念は人間にとっては生まれながらの天然なのだから、いかなる社会的制約からも自由なのだ。ところが、情念は社会が作り上げるといった一面も否定できない。鴎外の「阿部一族」を通読して感じた。生の喜びや死の恐怖は情念であって、人間誰しも抱くものかと思えば、そうではないのだ。生を忌み嫌い、死を欲する情念もあり、それは「阿部一族」では慣習が作り上げているのだ。殉死を決心した長十郎は「自分の発意で殉死しなくてはならぬという心持ちのかたわら、人が自分を殉死するはずのものだと思っているに違いないから、自分は殉死を余儀なくせられていると、人にすがって死の方向へ進んでいくような心持ちが、ほとんど同じ強さに存在していた」と考えた。殉死は本人の意志である反面社会的慣習にもよる。また「殉死者の遺族が主家の優待を受けるということを考えて、それで己は家族を安穏な地位において、安んじて死ぬることが出来ると思った。それと同時に長十郎の顔は晴れ晴れした気色になった。」とあるのは、まさしく殉死の社会的側面であり、それに伴う心情である。慣習から情念が生じるのだ。(もっとも、当然ながら情念は制度とは無関係にも生じる。鴎外も忠利の心情を代弁する、「人には誰が上にも好きな人、いやな人というものがある。そしてなぜ好きだか、いやだかと穿鑿してみると、どうかすると捕捉するほどの拠りどころがない」と。ここでは情念は「捕捉」され得ない。)

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