幸せになってほしい人へ

東京はよく晴れたけど風の冷たい一日だった。
今日はひさしぶりの友達と遅めのランチをしてきた。

彼女はボクよりもうんと若い。さらにものすごい美人だ。
彼女の顔を見ながら、こんなに綺麗な子って世の中にはいるもんなんだなあって思う。
いまはとても穏やかに笑えるようになったけど、初めて会った頃の彼女はお世辞にも
良い状態ではなかった。

彼女は以前お仕事で“AV女優”をやっていた。それなりに人気のあった子で、毎月何本か彼女の
作品が発売されていたらしい。もちろんボクは彼女の作品を見たことはない。
会ってしばらくたって、彼女自身の口からそのことを聞くまで、ボクは彼女が
そんな有名人だったとは知らなかった。いまだに彼女の芸名を聞いても、彼女とは
別人のような気がする。

彼女に初めて会ったのは5年前だ。当時ボクは渋谷に住んでいた。
家の近くに居心地の良いバーがあって、ボクは仕事が遅くなると大抵そこで
遅めの食事をとっていた。眠れない時にもそこで少し飲んだりしてた。
マスターはボクと同い年。すごくシャイだけどお酒については相当勉強していて、
面白い話も沢山知っていた。当時ボクはワインメーカーのクライアントがいて、
それにあわせてワインスクールに通っていたりしたので、よく朝まで酒の話をしたり、
休みの日にワイナリーまで一緒に行ったりした。

で、そのマスターの当時の恋人が彼女だった。
たまに店にも来ていたけど、いつも何かに腹を立てていて、マスターが手を焼いているのは
わかっていた。そのうち彼女ともよく話すようになって、両方からいろんな相談をされたりして、
ケンカの仲裁もした。マスターも彼女も決して人付き合いのうまい人ではなかったけど、
何故かボクとボクの妻とはすごくウマがあったみたいで4人でよくでかけたりしたし、
友達のほとんどいなかった彼女がただひとり、ボクの妻とは仲良くしていた。

やがてマスターと彼女は修復できない溝が出来てしまい別れてしまった。
ボクは妻の妊娠を機に渋谷を離れ、ディズニーランドの近くに引越した。
それからボクもふたりとはあまり会わなくなってしまった。

妻がなくなってから何度もふたりから連絡を貰ったのだけど、ボクはふたりを避けてしまった。
会えば昔のことを思い出すだけだと思ったからだ。

今日、彼女に会ったのは1年半ぶりくらい。
いまは裏方に回ったらしく、いわゆる“女優”からは足を洗ったらしい。

ボクは彼女が大好きだ。恋愛感情などは全くない。そういう好きではなくて、もっと
人間的な部分で彼女のことが好きだ。もちろんマスターのことも大好きだ。
彼女はとても優しくて、きちんと気遣いが出来て、頭の良い人だ。だからどんな時でも
一緒にいる人がどうしたら気分よくいられるかを常に考えているような人で、時々抜けてしまう
ボクなんかは本当に彼女のことを尊敬してしまう。

離れてしまったら見えない。でも近寄ればいいってもんでもない。
だから人間関係はとても難しい。彼女も子供の頃からあらゆる人間関係で苦労を
してきている。だからいつも相手との距離をきちんと測ろうとしているんだと思う。

「疲れないか?」って聞いたら、
「癖だから・・」って答えた後、
「でも気を遣ってあげたい人とそうじゃない人がいる。だから人付き合いは苦手・・」

彼女はとても優しい。でも欠けているものがある。それが“強さ”だ。
どんなに優しくても強くなくちゃダメなんだ。

生きていくことがどんなにハードかは彼女を見てたらわかる。彼女がどんな悲惨な経験をしてきたか
ボクは知っている。そこで彼女は“強さ”を奪われてしまったのかもしれない。
でも優しいだけだと、結局いつも傷ついてしまう。自分が与える優しさと同じ量の優しさを
いつでも相手が返してくれるわけじゃない。もちろん全ての優しさが見返りを期待したもの
だとは思わない。でも、心のどこかで見返りを待っている自分を感じることがボクにはある。

真っ暗の井戸に石を落として、ポチャンと水の音がしないとすっきりしないのと同じ。
きっと彼女はその音が聞こえるまで何度も何度も石を落として、やがてそこに水がないと
わかって激しく落ち込むんだ。水がないとわかっていても石を落とし続けるには
強さが必要なんだよ。でないと自分自身が疲弊してしまう。

ボクの好きな人は全員幸せになって欲しい。
みんな幸せになってくれたらいいなって思う。

食事の後、日比谷公園をふたりでしばらく歩いた。
それから別れ際に少しだけ妻と娘の話をした。


M、君のママの友達のお話だよ。
君のママが死んだ時、パパよりも泣いた人なんだ。
君も優しい人になって欲しい。
傷ついた時には、君が愛する人を頼りなさい。
もちろんパパはいつでも君の話を聞くよ。

生きていくことはとても楽しい。
でも生きていくことは時々すごくハードなんだよ。

明後日、君の2歳の誕生日だね。

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