見出し画像

日本人らしさって、なんだろう

私はカナダ、トロントに住んで5年目。移民が多い都市なので、各国・各地の料理を街中のレストランなどで気軽に楽しめます。通常、日本からの留学生はとても多いですが(以前、私も留学生でした)他の国、特にアジアの他の国の出身者やバックグラウンドを持つ人々と比べると、長く住む日本人は結構マイノリティかと思います。

そんな中、「日本人らしさ」ってなんだろう、と考える機会が割とあるので、まとめてみます。

ステレオタイプとしての日本人

ステレオタイプ」ってご存じですか?

ステレオタイプ(英: Stereotype、仏: Stéréotype)とは、多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念、レッテル、偏見、差別などの類型化された観念を指す用語である。

海外旅行が好きで、短大時代から国外に出るようになり「世界の人たちがイメージする日本人像」や「日本人のステレオタイプ」などを意識するようになりました。例えば、「日本人はお金持ち」というのは、旅行中によく聞かれたイメージの一つ。例え、「いや、私ギリッギリですけど…」という格安航空券をパソコンと睨めっこして手に入れた旅でも、海外に出向いた時点でもう「お金持ち」の一員だったりする事もある。世界中を見渡すと、パスポートを持たない人々の割合って意外と多いんですよね。

そんなイメージの為に、スリなどでターゲットになりやすかったりと聞きます。(海外旅行中の詐欺も含め、「人が良い」日本人ならではの悔しい所でもあると思う。)

それから、「Noと言えない」が圧倒的かと…これは自戒も込めてですが。やんわりと、空気を読む文化で育ち、世代に応じては「男性を立てる」なんかも、よく言われる所。こうした、誘いにはっきりとNOと断れない事から、思わぬ展開を迎えてしまったり、最悪の場合、事件に巻き込まれる危険性もあるかと思います。

アジア人として、大きく括ると、「数学が得意」というのもあります。私は数字との相性が悪いので、ステレオタイプを裏切っています。

ちなみに、ステレオタイプは、大抵、ネガティブな事を指します。

私も、友人らと話している時に「日本人は○○なんでしょ」などと言われて、冷静に「それステレオタイプだから」と否定する事も少なくありません。

日本でもありますよね、他民族に対して「〇人は〇だ」とか「国内の〇出身者は大体〇だ」などのステレオタイプ。

コロナ禍の今、言われる各国の国民性や民度

この頃、SNS等で「国民性」「民度」という言葉をよく聞くようになりました。

私も3月頃から、これについてよく考えるように。

例えば、日本において「自粛警察」という言葉。それからパンデミック宣言下でも、しばらく「自粛」という言葉を使い続けた事も興味深いな、と思っていました。

また、北米で見られる「アンチStay home運動」(コロナは嘘だ等)「アンチマスク運動」(マスクを強制するなんて、人権の侵害だ等)「バースデーパーティーなどで人を集め、警察が出動の後、罰金等」など。

こうした事柄を受け、それぞれの文化、習慣の違いに「興味深いな」&「科学を信じない人々…感染症との相性怖いな」と感じています。

ところで、この、欧米の人達が、マスクにとてつもない拒否感を示すのには訳があって、そもそもこれまで「マスクを日常的にする」という文化が無かったんですよね。その為、ちょっと受け入れるのに時間がかかったのは仕方ないかな、と思います。

例えば、花粉の時期に日本観光に訪れる海外からの旅行客は、日本のマスク着用率に驚く人が一定数いたりする。私は各国のYoutuberが旅するシリーズをよく見るのだが、日本編でのコメント欄で「〇年〇月に訪れたが、国民がみなマスクをしていて怖かった」みたいな呟きを読んだことがある。

ちなみに、今ふと思い出したのが、トロントでマッサージセラピストとして8月から仕事復帰を果たした知り合いの話。彼女の所属するセラピスト会のFacebookページにて、同業者が「仕事でピッとおでこの前にかざすタイプの体温計で検温していたのだが、とある患者に”撃たれる感じがして嫌だから他の場所にしてくれ”と頼まれた」とか。

この感じ、日本ではあまり聞かれなそう…カナダも銃規制されているんですけどね。

ちなみに、当地では公共の室内空間ではマスク等にて鼻、口、あごをカバーする事が義務付けられています。(これは私の住んでるマンションのエレベーターホールに掲げられている、トロント市によるポスター、色が好み…)

画像1

私が日本人代表になる時

これは、在外邦人あるあるかと思うのですが、日本をよく知らない現地の方々にとって、初めて出会った日本人が私。という事も。

特に意識していないと、大した事ではないかとも思うのですが、考え始めると渦に巻き込まれます。例えば、こんな事がありました。

以前トロントで住んでいた、シェアハウス。一軒家の4部屋。キッチンとシャワールームは共有、掃除やゴミ出しは当番制。住民は留学生とワーキングホリデービザ組。それぞれ4か国、他の国からカナダにやって来た4人が住んでいました。 

そこで、繰り広げられるのは、

当番をサボりがち、共有スペースを片付けないチーム
vs
コラ、当番忘れるんでない、いい加減にしてくれ、ここは共有スペースなんだ、片付けは必須では、という私達チームの死闘。(言い過ぎ)

ルールを守れる〇人、と守れない〇人、というレッテル。新しいステレオタイプが生まれる瞬間に立ち会いました。「〇人はちゃんとしてると聞いていたけどそうでもないね。〇人とはもう付き合いたくない」という意見。

もし、私が、反対側の片づけをしないチームであったら、彼女の中での日本人のステレオタイプは「日本人=片付けが出来ない人」となりますし、現に反対チームの彼らからは「日本人=口うるさく言ってくる人」というレッテルが貼られているかもしれません。

この件を機に、自らの言動に責任を持とう、と心新たにした次第であります。

さらに、トロント市内で日本文化に興味を持っていたり、日本語を学んでいる人も少なくありません。(私のパートナーも、その一人)そんな彼らに日本の歴史について尋ねられたり、政治の仕組みや、法律、日本語のあれこれを質問され、「日本人なのに知らないんだね」と言われる事の辛さ。いえ、彼らはそんな無礼な事は口に出しては来ませんが、彼らの落胆ぶりは目に見えます。

彼らにとっては、「日本人=日本の全てを知っている人」という憧れの存在でもあるんですよね。(言い過ぎ?)とにもかくにも、らしさの押し売りや情報提供の差し間違えに気をつけよう、と思います

国に馴染むとは

民度、国民性と重複しますが、先日、こんな呟きを見ました。

〇年いるけど、この国に馴染めている気がしない

面白い感覚だな、と思いました。私はそこを、あまり気にした事がありませんでした。と、いうより、考えたこともありませんでした。

例えば、カナダの国民性は「優しい、フレンドリー、礼儀正しい」などがあります。他国民がカナダの空港に降り立った時にそれらはすぐに分かるのだとか。住んでいて、この3点は本当だな、と思う事が多いです。

ただ、これ、日本のイメージとあまり変わらないかも?フレンドリーというより、シャイ=日本人とは言われていますが、優しいと礼儀正しいは、よく日本で聞かれるポイントなのでは。

トロントでは、私が日本人だと知ると、「日本行ったことあるの!めっちゃいいとこだよね」「友達や親戚がみんな旅して、皆いいって言うから、いつか行きたいと思ってるんだけど」「旅して良かった国の一つだよ、人がみな本当に親切だった」などとよく言われます。

こうした日本人としてのポジティブな面を誇りに、しかし郷に入っては郷に従えの精神で、上手く共存出来たら一番なのでは?と私は思っています。

ちなみに、日本に行ったカナダ人から聞いた感想で面白かったのが
旅館に泊まったけど、床に寝るのは私には合わなかった。やっぱり忍者の国は違うわね。

日本人にマウントを取られた日本人らしさの欠如

この時の事は一生忘れる事はないでしょう。(いや、忘れたい気もする)

約2年前。ボードゲームで遊ぶmeetupに参加し、ボードゲームカフェという遊び場に週末は入り浸っていた事があります。

そこは表向き「中国人&日本人の交流ボードゲーム会」という名前でしたが、誰でもウェルカムで、特に文化的な話をする事もなく、英語でゲームをする会でした。

日本人は私と、日系の家庭に生まれたカナダ人、日本の大学を休学してトロントに語学留学していた女性でした。

その留学生とは、特に深く関わる事もなく、同じテーブルに着席したら一緒にゲームをする、といった間柄でした。

ある日、その彼女が手にした持ち札の英単語が分からなかったようで、ケータイを手にし、意味を調べようとしていました。そこですかさず、隣に座った男性が私に「〇は日本語だと何?」と聞いて来た為、テーブルの向かいから私が日本語で説明すると、「日本語喋れるんだね」と返され、こちらも驚きました。

私はちょっと戸惑い(かつ、内心、あ~ら、わたしの英語力ネイティブ並みかしらん♪と浮かれる気持ちを押さえながら)「日本で生まれ育ったので」と返すと

だって、日本人ならシャツのボタンそんなに開けないもん

とおっしゃられたのです…ほわわ~びっくり。

その時は事態が収拾出来ず、文字通り口をあんぐりしていると

「え?シャツの着方を他人があれこれ言うなんて失礼よ」と私の横にいた女性がピシャリ。その場は納まり、ゲームが再開されました。

これが、マウントを取られるというものか…これは開けすぎなのか…?いや、でもボタンダウンでびろ~んとならないし、これが私のスタイル…ネイティブに間違わられた☆とか、浮ついてた自分ウケる…わあ~すごい、こんな気持ち初めて…とふわふわしていると、

隣で彼女の言葉を注意してくれた友達が「日本は聞いていたより保守的な国なんだね、実際どうなの?開けないの?日本人」と興味津々の様子。

後にも先にも、カナダでこうした経験は無く、

日本人自身が考える日本人らしさから、私はちょっと外れてしまっているのだな、と気付くきっかけになりました

しかし、思い返せば、日本に一時帰国した際には、家族や友人に「欧米人っぽい恰好だね」「日本ではそれはアウト」だなんて苦言を呈される事もあるっちゃあるので(あるんか~い)郷に入っては郷に従え、の精神(また出た)が、マナーという側面と、周りの平穏の為にも大切なのだな、と思います。

服装だけでなく、言葉のキレや言い回しなんかも、日本語はとても丁寧ですよね。美しい日本語。レジなんかで並んでて「お次お待ちの方、お待たせしました、こちらへどうぞ~」なんて、涙出ちゃう。トロントでは「NEXT!」とキレ気味に叫ばれること多しです。(キレてない)

そうした言葉の美しさは忘れないでいたいな、と思います。

在外邦人の私が思う、日本人観光客や留学生から見る日本人らしさ

そして、これはちょっと誤解を招くかもしれませんが例えば、日本からいらした旅行者や留学生を、トロントの街角で見かけ「日本の方に違いない」というのはよくあります。

それは、顔の輪郭やパーツの並びなどの生物としての先天的なものではなく(ちなみにですが、私はよく言われる、韓国人・中国人・日本人などの見た目の違いは殆ど分かりません。自分自身も、実兄と国外を旅行中「日本人の男性と韓国人の女性のカップル」に間違わられましたし、ここトロントでも苗字を言わない限り他の国出身者とよく言い当てられます。

パートナーは台湾出身ですが「巷で言われる台湾男性らしい顔」なのかはよく分かりません。)

ここでいう「日本人の方に違いない」は、笑い方(大抵手をかざして口元を隠したり、笑いながら手を叩く)、歩き方(特に女性の方に顕著で、内またで歩幅が狭い)、服のセンスや着こなし方、またはヘアスタイルやメイキャップなど。

ちなみにあまり知られていないと思うのですが、北米はリュックサックを肩紐きつめで上の方で背負う習慣があるようで、大抵、みんな上の方。それに対して、比較的ゆる~くぶら~んと背負うスタイルが日本流かと。日本では高めで背負うのはダサい感ありませんか?

子どもから大人まで定番のカバンと言えば、リュック!な北米に比べて、元々リュックを背負っている日本人の方はあまり見かけないんですけどね。ちなみにトロントではbackpackと呼びます。

以下イメージ

画像2

画像3

こんな所で、比較が出来たりする。これもまた、らしさ、なのかな。

ま、探り当てたからと言って、どうする事もないんですが。

ちなみに以前、Twitterにて「海外で近付いて来る日本人には、注意せよ。逃げるんだ!」みたいなディスカバリーチャンネルの予告かの様な呟きを見た事があるんですけど、

仰っている事は分かりますが、なんとも虚しい気持ちになりました。同じ民族という事をネタに、詐欺や宗教の勧誘等あるようなのですよね‥

ちなみに私は当たって砕けろ!の精神で生きていて、基本的には、自ら近づいて行くタイプです。

まとめ

これらの話、だからなんだ!という話でもないのですが、今、私が考える「らしさ」についての考察でした。

ま、結局のところ、個人の自由、枠にこだわらず楽しく生きれたらと思います。民族の垣根を越え、地球人として生きる…私はそんな生き方を目指しています。

そもそもトロントにいると、「カナダ人とは?」という枠組みが本当に人それぞれ。ここに五年住んでいる、と言うと、永住権や市民権の所持を問わずに「あぁ、カナダ人なんだね」なんて返して来る方もいらっしゃいます。

それが、ダイバーシティ。自分が自分らしく居られる都市だと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


参考、画像参照:

♡♡♡

良かったらこちらもご覧ください。同じようなアイデアを話しています。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?