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私のぽんこつ幼稚園時代「桜にターッチ✋」

実家から徒歩圏内にあった幼稚園。小学校以降の学校生活はとても苦痛だったけど、この幼稚園時代は私にとっては比較的のびのびとリラックスできたと思う。

近所に住む幼なじみの男の子がこの幼稚園に行くことになったと聞いて母に「〇〇幼稚園にいく!」と突然言ったらしい。母は慌てて私を健診に連れていき、願書を持って園へ向かってくれた。願書受付締切の二日前だった。

ここの園は入園をくじ引きで決める方法を採用してて、まさに商店街のガラガラポンみたいな、出た玉の色で合否が決定✨(←現在はどーやら面接してるらしい) 母は受付でくるくるとレバーを回転させ、もちろん大当たり🎊晴れて入園が決まった😆✌️

母は私に、何かを強制してくることは一切無く、何かを始めるのも終えるのも私は全部自分で決めた。
3つ上の姉とは違う園に通うことを私は自分で選んだのだ。
でも、ある出来事から、こうも思う。
ある出来事とは、、
姉が幼稚園時代にトランポリンをポンポンしてる途中、強引に途中参入してきたオトモダチがいた。それで姉はバランスを崩し吹っ飛び頭を数針縫う大ケガをした。病院での出来事や母の様子の一切を近くで見ていたから、母が姉と同じ幼稚園に通わせたくないかもしれないことを、私はおそらく感じていたのだと思う。
その園の責任ではないのは母も承知していただろうけど、母の気質を鑑みても多分間違いないと思う。
まぁ、そんなこんなで私はこの頃からそーゆー本質的な観察眼は生まれた時からなんら変わっていない。

🌷

園内は草や虫や花に加え、動物がいた。丸太小屋や池、鬱蒼とした森があり、オトモダチと探検ができた。小さな土俵まであったな…笑。
私はシロツメクサの冠を作って頭に乗せたり、庭の近くになる木苺を採って食べたり🍓、広い園内を走り回ったりもした。

青空  鳥  自由

エサやり当番は大変だった。カメ🐢は一定の距離が取れるから安心してエサをポイポイ投げるだけで良かった。ウサギ🐰は手で人参を掴んであげたけど、すごい前歯で食いつくから怖くて始めだけしか持っていられなかった。ニワトリ🐔のエサやりはさらに怖かった。追いかけ回されるわ突かれるわで、檻の中は地獄だった。どーにか回避する方法を考えた結果、エサを全部その場に置き去りにし、早々に檻から出て外から見守ることにした。
こうして無事に当番を終えられた😳✌️
なーんて賢い園児✨

🐢

さてさて、私がいちばん好きだった時間がある。
それは瞑想タイム。全員が遊戯室のイスに座り、
先生がピアノでベートーヴェン「悲愴」第2楽章を弾いてくれる。それが始まれば“目をつぶって手はお膝の上”というのがお決まりだった。

私の脳はすぐに旅立ち、ふわぁ〜っと幸福感で満たされ、時に睡魔に襲われるのだw。
そんな園児(⁠ ⁠˘⁠ ⁠³⁠˘⁠)⁠♥。
園に、先生に、母の愛に感謝✨


🐢

オトモダチと遊んでいたある日。
桜の木の下のブランコ。
「あの葉っぱに手が届いたら交代ねー😆」
ぐーーんと勢いをつけて、葉っぱにターーッチ✋

空も飛べるはず(←ブランコで) byスピッツ

すると、私の右手に蛍光の黄緑の小さなフサフサなものが乗った。その瞬間、チクーーー😵。
「やーーーん!!毛虫!!!」
手をパタパタ振ったらどっかに飛んでった。
もう毛虫はいないのにヒドイ痛みが走る。
うわぁぁぁぁん。⁠:゚⁠(⁠;⁠´⁠∩⁠`⁠;⁠)゚⁠:⁠。 
いいい、痛ぁぁぁぁい😭
毛虫の毛に攻撃を受けた😵‍💫涙を拭うためにほっぺに触れたから顔も痛い😭

なにあのキレイな毛虫・・・

先生に助けを求めた。
毛虫の毛を取り除くためと称して、私の手と顔にガムテープを貼り付けてバリバリバリーっと剥がされた😭うわぁぁぁぁん😭痛いーーーーーー😭

もうその後は覚えていない。。治りかけの水ぶくれが気持ち悪くて、毛虫を始めとする「虫全般」がキライになった…笑。桜もブランコも好き。虫だけキライになるなんてよく考えたらおかしいぞ。

その後、執念深い私は攻撃してきた蛍光の黄緑の毛虫が「イラガ」という名だということを突き止めた🧐✨毛虫の種類で名前を存じ上げてるのはこの子だけ😅 そーいえば、最近私のオーラは「蛍光の黄緑」だけど何か関係あるのかな。無いか・・・(笑)
オーラの話はコチラ↓

幼稚園時代から夢やビジョンを視ていたから、当時の私は、今の私と同等の受け取りがあったはず。もしかすると、今よりも多かったかもしれない。ここ数年、役に立ったビジョンは、まさにこの頃受け取っていたものも多い。
ほんの数年前、あちらの世界にいたんだもんね。
記憶に新しいから正確なわけだ😌
幼稚園、、たのしかったな~♥

この頃に限ってはポンコツではない疑惑✨
「ブランコ得意ーー✨」

Ayumi☽

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