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5 チャイコフスキー交響曲第5番の思い出と「人生」

人生はまさに一人旅。
私は概ね予定通り進んでいる。
チャイコフスキーの交響曲第5番のごとく。
生きづらく思うように前進できない人生の第1楽章で幕を明け、“私”を整える第2楽章を終え、現在、第3楽章のワルツを踊る私。終始美しい旋律で、満を持して第4楽章のフィナーレへと向かうつもりだ。
私の旅は、そのように展開させると決めた。

今から17年ほど前、劇場でアルバイトをしていた。
その日はある海外オケが来日し、ほぼ満席だった。
休憩明けに「チャイコフスキーの5番」。
チューニングが終わり、マエストロ入場直前の一瞬の静寂を境に、客席と舞台が一つとなり、空間の発する“音”と“空気”が変わる。

その瞬間だった。最後列の若い外国人女性の不穏な動きに私の脳と目が反応を示した。小脇に置かれた紙袋から小さな録音用マイクが出ている。
演奏が始まってもいないタイミングで私は彼女から発する不可解なエネルギーの渦を見つけてしまった。マエストロが入場したのに彼女は拍手をせず、手元のボタンを押した。ランプが光り、録音が開始されたようだった。

私は見て見ぬふりできる性格じゃない。上司に報告を入れるしかなくなった。
ロビーに出て報告をすると、案の定、職員を巻き込んでの大事になった。私は再度、会場内に戻り彼女を注視していた。録音のランプが消えることはなく第3楽章に突入した。
終演後に職員が直接声かけし削除要請に入るという手はずが着々と進んでいるようで、私に向けて無線が飛んでいる。

演奏は第4楽章に入り、美しくて華やかな旋律でフィナーレに向かおうとしている。私は50分間ずっと彼女の横顔を見つめていた。彼女の表情からはうっとりとした幸福感が漂ってきた。時間が経つにつれ彼女から発するエネルギーが変わってきたことに気づいた。

私は自分の仕事をしていた。
だけど彼女の複雑で強い想いが私の中に流れ込んでくる。
両手で顔を覆い、潤んだ瞳で真っ直ぐに舞台をとらえる彼女の横顔を見ていると、私は自分の判断が正しかったのだろうかと思い始めた。あんな小さなマイクでは後で聴いてもろくな音じゃない。舞台から遠いその位置では雑音がひどくて音も悪そう。この様子からして曲に寄せる思い入れは尋常ではない。今日の演奏会を思い出し感慨にふける、そのための行為なのかもしれない。気づかないふりをしても良かったのではないか。。
そんな“迷い”が発現するほど、その日の演奏会は私にとっても強烈なインパクトだった。

大喝采のなか終演した時、彼女は号泣していた。
その複雑な涙の意味は本当のところ私には分からない。それをしばらく堪能した彼女は友人と共に立ち上がった。その行く手を遮るように職員が声をかける。彼女の戸惑い慌てた顔を見届けたが、すぐに私は彼女から視線を逸らし自分の仕事に戻った。
私にも複雑な思いが湧き上がる50分だった。

彼女はあの時、人生の何楽章だったのだろうか。
今の私のように、この曲になぞらえて自分なりのフィナーレに向かう旅の途中だったのかもしれない。

***


今も私はあの時の仕事に後悔はしていない。
でもこの観客の思いは自分の中にきちんと取り込む必要があると感じた。
私はその後、案内係の統括責任者となった。
私が統括する現場では、そんな心と目を持ち続けることを伝えたいと常々考えていた。

これは、私の人生での第1楽章終盤の出来事だ。
人生は、楽じゃない。
でも時間が来れば演奏も人生も終わる。
だから、どう生きるか。
それに尽きるのだと思う。
まだ旅の途中。
この曲に「人生」をなぞらえる私がいる。

Ayumi☽





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