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正解のない問題を解くということ〜義務教育と社会における【正解】の違いと、答えを出すことよりも大切なこと〜

1日、約35,000回の意思決定

私たちは、日頃から正解のない問題をたくさん解いています。

時間に間に合うためには…
多くの人が納得のいくやり方とは…
今日の晩ご飯は何にするのか…
より日本の経済を良くするには…

仕事や学校、日常生活で沢山の意思決定をしています。ある調査では、ひとは1日に約35,000回の意思決定をしていると言われています。

そのひとつひとつは、決して大きなものばかりではありませんが(いつ歯を磨くのかなど無意識的なものも含めて)、正解のない答えに答えて動くことの方が実は多いのだと感じています。

ただ、ここで考えていきたい事は、義務教育における正解と、社会における正解の違いです。

正解のある問題に答える

誰かが作った問題に答える。そして、1つの答えがある問題を解くというのは、ほとんどが義務教育の過程において経験するものであると感じています。
学校という場所に行き、先生が出す問題を解き、正解をもらう。
そのようなシステムの中で、1つしかない"正解"を沢山出した人が成績優秀として、進学の選択肢を多くもらえる。

正解のない問題に応える

社会という場所において、社会から投げかけられる問題に自分という答えを投げかける。
それが答えのない問題に応えるということだと思っています。
答えは1つかもしれないし、2つかもしれない。
もしかしたら答えなんてなくて、自分が出したものを答えにしてくれるかもしれない。
でもそんなこと義務教育では習ったことがない。

そーゆうものです。

答えは目の前の人が持っている

さらにサービス業であれば、サービス提供者が出すべき答えは、サービスを受けるお客様が持っています。つまり、お客様の数だけ答えがあるという事です。
答えがない問題ではありませんが、答えを創ったり、探し出す作業が途方もなく続く、それが社会だと思うんですね。

答えを出すことよりも大切なこと

でも、実は自分達も、小さい頃から、お父さん、お母さん、親戚の人たち、皆さんに自分の答えを見つけてもらうという事をしてきました。
赤ちゃんのうちは答えを教えられませんから、泣く事で問題がある事を知らせます。
反抗期では言葉は喋ることができますが、本当の思いは話せず、答えを知りたいお父さん、お母さんを困らせるという事をしたと思います。

広い意味で誰もが出題者であり、回答者です。
そして大切な事は、答えを出すということよりも、考えること。

自分のために考えてくれること。

誰かのために考えるということ。

そして、

答えは出すのは自分自身であるということ。

今回は『正解のない問題を解くということ〜義務教育と社会における【正解】の違いと、答えを出すことよりも大切なこと〜』について書かせていただきました^ ^

また、あした^ ^✨

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