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”それでいい”と割り切れるのは、むしろ強さだと思う理由~諦めとの違い~

今日も1日お疲れ様です(^^♪
では今日のnote始めていきましょう。

今回のテーマは『”それでいい”と割り切れるのは、むしろ強さだと思う理由』です。

”それでいい”

”それでいい”と聞いてどんな印象を受けるでしょう。
どちらかと言えば『あきらめ』というか、『テキトー』というか、なんとなく中途半端な印象を受けるのは私だけでしょうか。

もっと自分にとって適切な答えがあると思っているにも関わらず、そこに至らない選択肢で妥協しているような印象を受けませんか?
周りの意見ばかり気にして、本当の自分の意見を見失っている状態という印象を受けませんか?

ここで、妥協という意味を辞書で調べてみると・・・

主張が対立している場合、互いの主張を幾分かずつ譲り合って、一つの結論・取決めを導き出すこと。

Oxford Languages

とあるのですが、
”それでいい”の代表格である”妥協”という意味を見ていくと分かるのは、
一つの結論・取り決めを導きだすうえで必要なプロセスだったりするわけですね。

結果のために

その結論がもしかしたら自分の思ったものにならなかったかもしれないけれど、その会社にとって、チームにとって重要な決断ならば、トータルとして最も有効な答えを導く必要があります。
そんな時、自己主張というのは、もしかしたらその決断を遅らせるものになる可能性があるわけです。

ここで誤ってはいけないと思うのは、”それでいい"や"妥協"というのは、諦めや無気力といったネガティブな要素ではないということです。
そして、"それでいい"や"妥協"が諦めと決定的に違うところというのは、歩みを止めないということです。

自分が主張していることが100%含まれていないにもかかわらず、歩みを止めないというのは、ある意味勇気がいることなんじゃないかと思うんですね。
誰だって、自分が思ったことを100%盛り込んだ方がやりがいがあったり、満足感が得られると思うんですよ。

諦めよりもむしろ強さ

それでも、全体の価値が最大限高まるために、自分にできることをする
その気持ちが、”それでいい”には含まれているように感じてなりません。
そういった意味で、”それでいい”と割り切れるのは、諦めよりもむしろ強さなんじゃないかなあと思っています(^^♪

今回は『”それでいい”と割り切れるのは、むしろ強さだと思う理由~諦めとの違い~』について書かせていただきました。

また、あしたね(^^)/~~~


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